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動力神と斬りすぎる者  作者: 白石 流
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第二十七話

 大きすぎる武器を持ちながら、ダヴィッドはあまりに速い。今まで相手にしてきた何者よりもだ。そして襲い来る刺突の針山。針といっても、丸太ん棒も真っ青なランスの切っ先である。ハヤブサの機動と得物の長さが相まって、体感的には弓兵の間合いだった。


 ダインもダインで、これを当然のように避けていなす。易々と土中へ刺さっては引抜かれ再発射されるランスは、残像と実体が同時存在するようなテンポだった。


 やり合わず回避に徹する。ダメ元でランスと刃を接触させてみても無意味などころか、重量差によって脳が揺れそうになる。


 防戦のさなか、脳裏にあったのは森での死闘。棘の異族のうごめき。死ぬしかなかった黒棘の濁流が、ダヴィッドの甘い刺突とかさなり、絶望感の落差に鼻白んでしまう。


 もう何発目になるか、突きの速力は際限ない加速を続けている。


 明け透けに伝わってくる慢心。あの異族には決して有り得なかった油断を見逃しはしない。


 ――要らん連撃が過ぎる


 狂いなく質を維持していた攻め手のゆらぎは、心ある者の宿命。おそらく万の一だろうが、土中に深々と潜りすぎて引きの動作に遅れが生じたのは右前方、至近の刺突だった。


 あろうことかダインは武器を捨ててランスに飛びかかると、そのまま抱きかかえてしまったのだ。風力の動作補助があったから成せる業である。


 絡めた手足に付加された気流が、ランス表面と耳障りに反発し合う。長物を通してダヴィッドの動揺が伝わってきた。


 次の手はたかが知れている。ダインもろともランスを振るい、叩きつけでもするのだろう。案の定、急激な上方への力により引っ張られようとしている。


 ダインは力の出鼻をくじくタイミングで、なおかつ相手の握力がもっとも高まる瞬間に地面を蹴り、竜巻のように身を捻転させ、恐るべき豪腕による縦の出力の軸をずらし、回転力に変換してランスに与えた。


 ダヴィッドの掌中でも、ランスの柄が火切り棒よろしく回転。硬質化させた手が擦過によって煙をあげても、武器を奪われまいとする条件反射で握りを強めてしまい、かえって手首を持っていかれて損壊。連なって肘、肩の関節までが脱臼にいたる。


 肉を突き破って飛び出るはずだった骨は、硬質化した皮膚に跳ね返されて行き場をうしない、筋肉組織を断ちながら無軌道に暴れるのだった。


やはり睨んだとおりだ。ダヴィッドの法力はあくまでも表層の防護であり、身体等の構造的剛性までは補強しない。自傷を防ぐために同じ法力にかけられていれば感覚的に分かることだった。


 ダヴィッドは激痛に叫び、翼での揚力さえ保てずに錐もみ回転しながら墜落した。短くのたうち、体勢を即持ち直そうとしたところに飛んできたのは破城槌より巨大な自らの得物。不意には避けられなかった。


 ダメージで法力の安定性を欠いたらしく、ランスがダヴィッドの左腕を千切り潰す。ばたついていた左方の翼も地面に挟まれ、満足にもがくことも出来ない有様だ。


「またなオッサン。先を急ぐんでな」


 生殺与奪の権を握ったダインは、しかしとどめも刺さずに立ち去ろうとした。


「待てぇ! 行くなダイン・フィング!」


 脅威の根性で、自ら翼を引き剥がしつつ立ち上がるダヴィッド。その表情に滲むのは、強者としてのプライドを傷つけられた憤りだけではないようだ。


「これ以上どう戦う。お前に勝ち筋はなくなった」


「……負けは認める。厄介な力さえ封じれば良いと思っていた俺の完敗だ。英雄とまで呼ばれた男を侮った愚かさを死ぬまで恥じるだろう。だが、これだけは答えろ。分体でも言ったはずだが、分からないなら更に教えてやる。

 お前達が仮にエイリー様を討ち、あの女が動力神となったところで誰も救われはしないんだぞ。〝世界そのもの〟に不要と見なされたこの世界で一時しのぎに命を拾ったとて、待っているのは劫末の炎に焼かれる未来だけだ。どれだけの地獄に苛まれるか誰にも想像がつかん。エイリー様は、それを分かっていればこそ動力停滞によって自らをも苦衷に置き、偽りの安寧の内にお前達を眠らそうとしている。一旦は終わらせ、然る後に綿密な戦略でもって再建しようと考えておられるのだ。

 それを邪魔して何とする。あの女が動力神に成りかわって何が変わる。あの女がエイリー様に代わってどんな未来を提示しうるのか、お前も聞かされてはいないんじゃないのか。今のお前達は、救世にあたっての絶大なリスクでしかない。それが自覚できるなら、進む意義はどこにある」


 長台詞のあいだ、ダインは剣身に映る自分の顔をまじまじと眺めていた。神官を見慣れたせいで、これまで気付き得なかった人間特有の雰囲気を掴んだような気がし、翻って目の前で息を切らす神官とは、いくら見てくれが似通っていても生物的に分かり合えない宿命を感じないでもなかった。しかし何故か無視はできず、本心のまま答える。


「俺はな、ダイン・フィングなんだよ」


「……?」


「英雄なんかじゃない、ただの人間なんだ。昔から女に弱い、意志の弱い、未熟な男に過ぎない。少し前……いや、今日の朝までは廃人に等しい飲んだくれだったくらいだ。そのうえ呼んでもいない客にぶん殴られ、住居を無くし、ご丁寧に愛猫まで殺し、いっそ死んじまうかと思ったときに変な女が現れた。

 嫌みったらしい生意気な女は、俺を……俺だけを頼りにやって来た。そいつは生きる意義を、向かうべき目標を突きつけながら、ずっと沈み込んでいた過去の沼から力尽くで引っ張り上げてくれたんだよ。そんな相棒に『信じろ』と言われて、他にどんな理由が必要になる?

 エイリー様御一行にしてみれば矮小で下らない、身勝手な理屈なのかも知れない。だがな、人間の営みは俺のような矮小な魂で形作られている。お前達は主神への盲信と偏った使命感に取り憑かれて、俺達一人一人の命や心が、今ってものが眼中にない。俺はそんな奴らよりも、間抜けで慇懃無礼な女を信じる。少なくとも、こんな湿っぽい空気はぶっ飛ばしてくれるだろうからな」


 二度と振り返らず、今度こそ去って行くダイン。言葉を失い見送るダヴィッドは『せめて殺せ』などと戦士らしくすることもない。


『お前には一度助けられた』と言われるのが、何故か分かってしまったからだ。


 ダヴィッドが膝をつき、聞こえない距離でダインが呟く。


「アンタとは違う出会いをしたかったよ」






 

「おっと、もう少し左ですねぇ」


 城塞を挟んで、ダインと反対側で空中迎撃部隊と交戦しているフーリン。眼下にはもう上中庭が見えており、手前の方には防御城塔がずらりと立ち並んでいる。その並びからどれだけ離れているのか、大規模すぎる主塔の存在感が、距離感覚を不能にする。


 フーリンは、雄叫びをあげて向かってくる神官達を望遠鏡の一振りで次々と打ちかえしていく。よく狙いをつけ、白いのは防御城塔のいずれかへ叩き入れる。侍従や侍女等がいるのかいないのか、奥の方に見える主館や隣接するサーヴィス区画へは黒いのを飛ばす。身体の小さいのは鍛冶場や井戸へ。特別に大きいのは主塔へ打ち込んでみるも、外壁が赤く染まるのみで効果が薄い。


「なめるなよ女……!」


 千手の全てに斧をもつ、最後の雑兵が躍りかかってきた。威勢は良かったが風に包まれて球状に潰され、望遠鏡で打ち飛ばされて主塔の染みになった。


 通常であれば恐らく一騎当千の大敵。しかしまったく苦労なく、指先で埃を丸めるように屠ってしまった。我がことながら恐ろしい力。これならばエイリーと渡り合えるとの確信を新たにしたとき、なにやら啜り泣く声が聞こえてきたのだった。


 小鳥ほどの気配もなくそこにいた、黒髪と白い肌が美しい女である。紛うことなき麗人であるが、目を離した傍から忘れてしまいそうな無味無臭さ、特徴の無さこそが特徴といった、量産品の彫刻の風貌だ。


 丈の長い、紗のような青白い薄衣から透けて見えるは、遠目にも位の高さを知らしめる綾羅錦繍の衣類。白亜色を基調としており、下腹から首元へかけて配置された細かな銀色の宝石が、ベリアの国章である引き裂かれた女の姿を象っている。


「なにを泣いているんです。戦意がないなら消えなさい」


 油断せず〝手〟を構えた。女は一向に泣き止まぬまま、


「いいえ、戦意の有無は貴女次第。あぁ……申し遅れてしまいました……。私はマリーという者です。トュール様の神官であり、ラルタルに於いてはエイリー様の奥方役として永らく暮らして参りました……」


 消える気はなさそうだ。縄状の風を成形し、先制してマリーを拘束した。泉のように湧出する涙が、小さな天の川となって風散する。


 このまま圧殺か放置かと考えていると、指先も動かせぬよう縛りあげた筈のマリーは掌で涙を拭い、髪を耳裏にかけ直してみせた。風の縄などは気付いているかも怪しいぐらいだ。


 ――なんと……


 にわかに心拍の高まるフーリンに対し、涙声は続く。


「どうか、どうか引き返して頂けませんか。まさか、ここに来るのが貴女だったなんて。私はもう、運命とやらがつくづく嫌になりました。これもまた大いなる流れの悪意なのでしょうか」


「はぁ……?」


 不可解な言葉の羅列による幻惑でもなさそうだった。これが本心からの深い悲しみによって紡がれる懇願でなければ、マリーの演技は神すら欺くだろう。そう感じるに十分な泣き顔だ。


「正直に申し上げれば、私はもうこの世界も『これから』の戦いもどうでも良いのです。主神に先立たれ、偽りの関係でありながら気付けば本気でお慕いしていたエイリー様にもやがて捨てられる身ですから。私に残っているのは、やるせなさと喪失感。否定し得ない憎しみだけ……そう思っておりました。こうして貴女と対面するまでは」


「さっぱりですねぇ、仰る意味が」


「私は弱く愚かな女です。焼けつくほどに恨めしくとも、ひとたび心身を許した相手への同情を拭えないのですから。ここまで残酷な流れなど、受け入れることはできません。さぁ、お帰りになって下さい。犬死になどせず、動力停止のその日までを平穏に幸せに生きるのです」


 マリーの脳天に望遠鏡が打ち落とされた。直撃と見えた打撃は、か細い手によって受け止められて音もない。それでいて山肌を殴ったような感覚。視覚情報と手ごたえの相違に脳が軽い混乱をきたし、間合いを離したフーリン。


「伝えたいことは分かりませんが、ただの泣き虫ではないようで」


「分からずとも結構です」孤独な愛に殉じる女の顔になると、掌中に武器を顕した。月を鍛造したような剣は身幅広く、それでいて重ねが薄い。「貴女をエイリー様に会わせはしません。それが、存在意義なき私に残された……最後の情念」


 大気が唸り、世の開闢のごとく開かれた四対の翼。それに加えて、歪ながら最も大きい翼がもう一枚、下段の左にだけ伸びていた。


 ――翼が九枚……? そんなことが


 四対までが神官で、五対からが神。有り得ない半端を見た驚愕も、肉薄してきたマリーの剣術によって断たれる。凄まじい間合いの詰め方もさることながら、剣筋が描きだす体系化された千変万化がフーリンを焦らせた。


 大出力の風を起こすための一瞬の予備動作が許されない。雷のように鋭く、ともすれば不動に近い緩慢。動きが交わる度に押されていく。しおらしい外見と裏腹な、計り知れない修練の泥臭さ、血と汗の重々しさが望遠鏡を鳴らす。 


攻勢に転じようとした初動を制され、足で望遠鏡を押さえ込まれた。その状態のまま、仕返しとばかりに脳天唐竹割りの一刀が降ってくる。すぐさま風膜を片腕へ集中させて受けると、回り込んできた柄頭に顎を打たれていた。


 ――反応速度が違いすぎる


 どうにか最低限の防護は間に合った。奥歯が根っこから抜けて口内に刺さっている。飛びかけた意識を引き戻したとき、フーリンが見たのは拳大の正方形だった。それは月に類する色合いで、中心に鋭角な模様が――


 目線に合わせて剣先を真っ正面から差し向けることで、こちらからすると剣身が点のように見える技法だと理解。骨が折れる直前まで首をまげてマリーの突きを避けたが、腹に膝蹴りを食らう。二つ三つと剣撃を防ぐたび、胴の急所をしたたかに蹴りつけられた。内臓から血液が逆流してくる。


 猛撃の隙をぬって距離をつくり、大出力の構え。背後に判定神紋を浮かび上がらせ、我が物とした広大な気流は積乱雲のように集結し、瞬で大剣の群れへと成形された。


「消え失せなさい!」


 マリーを滅多刺しにせんと飛んでいく大剣は、ハゲワシの集団捕食を思わせる多勢に無勢ぶりであった。


「いいえ、貴女が消えるのです」


 翼の一対が軽やかに空を薙いだ。フーリンの起死回生の反撃は、時空をも押し流しそうな斥力との激突によって相殺されてしまった。


「そんな、馬鹿なことが……!」


 フーリンの狼狽ときたら、内心は卒倒しかねない程である。エイリーのみが問題で、配下の神官などに及ばぬなど有り得ない、否、有り得てはいけない。粗悪な紙のごとく突破できずして、最後の敵に歯が立とう道理がないのだから。ましてやノルンからの助力も完全にして、いま実現しうる限界の強さを誇る自分である以上、ここで苦戦していれば最終決戦に望みは持てない。  


そんな怯みや逡巡を汲んでか汲まずか、マリーは己の剣を見つめて儚げに嘆く。


「これを初めて手にしたときの高揚が、毎日のように振るっていた頃の慈しみが、悠久を経てもなお艶を増していく……。もうずっと触れていなかったのに、自分でもおかしいくらいに……」


 フーリンが飛びかかるのを翼であしらい、まるで無視の体で滝の涙をながすのだった。精神の変調が極まろうとしている。


「神官でありながら不安定で非力な〝手〟しか持たない私に、トュール様がお与えくださった。斬り捨てられて当然の者に、戦う術を教えてくださった。いつも傍に置いて愛してくださった。なのに……私の心はよそへ引き渡されてしまった。他ならぬトュール様によって」


 全ての翼を折りたたんで丸くなり、峻烈に開かれると姿が変わっていた。体格の増長は二回りほど。伸びた髪が後光のように泳ぎ、顔から浮きでた黒文字の羅列が足元にまで及んでは、体表をことごとく流動する。

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