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動力神と斬りすぎる者  作者: 白石 流
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第十七話

 一切の負荷は消えた。強引に飛び起きた勢いで、のしかかっている銀杯を天井まで跳ね上げてやった。すかさず自らの頸部を深く握り、スカーフでも剥ぐように毟り千切ったのである。肉骨が露わになるかと思いきや、その自傷部から煙に似たものが噴出し、あっという間に空間高く伸びていく。


 いつか、この首を刎ねた者に見せるべく封印していた、本来の姿。内に貯めつづけては発散の機を窺っていた、紫煙のごとき戦気の粒子群。膨大な堆積は、そのままトュールの体躯のおよぶ範囲であった。


 もうもうたる粒子群が、少しずつ形を明確にしていく。気体は固体となり、人型となり、武器庫の天井を突き破らんばかりの長身と化したのである。黒鉄の板金鎧は組織的に生身と繋がり、筋肉や内臓、毛細血管の先に至るまでが鎧そのものとなり、脇腹の傷にも癒合する。


 首から上も例外ではなく、元より薄黒い顔も同様の金属光沢を宿す。金色だった蓬髪にも同じ質感が統一され、毛というより鉄塊のようだ。この姿となったトュールの肉体密度には、ともすれば引き寄せられそうな、惑星じみた引力をさえ想起させかねない重々しさがある。


 神格差が顕現化されたこの空間内において、相も変わらず座ったままのノルンが猫ぐらいに見える。小屋も壊れよと広げた七対の翼で、すっぽりと包み込んでやった。


「ははは……小さい。あまりに小さいぞノルン!」


 そうか、と気のない返事だった。


 トュールが不敵な笑みを浮かべると、手中が鮮烈に発光する。その光は背丈を越える深紅の大剣へと成形され、腿より幅広な剣身がノルンの頭上に影を落とした。


「いつまで余裕でいるつもりだ」


「ようやく回ってきた。〝目が覚めそうだよ〟」


 欠伸まじりに言いながら、卓上の脚を組みかえる。ついにトュールが激昂した。


「いい加減にしろ……。酔いどれの寝ぼけ顔はもう見飽きた! そのまま死ね!」


 一条の剣撃は、初動の余波だけで建屋を、ノルンの姿を滅却した。打ち終えた頃には、次元の歪みもかくやといった真空の波動が三百六十度に伝播し、四囲のことごとくを吹き飛ばした。


 残ったのは、何もない清浄な白い空間。明るいが自分の影すら出ない。立っているのか浮いているのか、まるで霧の中。トュールは大剣を構えなおし、平常心を保っていた。また無駄な戯れか、と張り上げた声はどこにも反響せず去っていく。


 鐘の音が聞こえた。始まりは小さく、次第に腹を震わせる。透き通るような、しかし力強い音に虚白が払われると、今いる場所を知ることになるのだった。


 ここも屋内だ。赤い絨毯が敷かれている他には物がない。眩いが柔らかい、極彩色の明かり。万の花弁がひしめいたような、人間のステンドグラスに似た工芸が壁面のほとんどを占めているが、昇り階段の先にある一面だけは永い年季のはいった黒壇調である。そこで翠に聖光を発する、巨大な判定神の紋。皿のない天秤がよく際立ち、嫌でも見上げてしまう。


 鐘の音が止んだ。


「判定を言い渡す」


 先刻までとはうって変わった厳粛な声。紋の直下に立つノルンが両腕を広げ、トュールを見下ろして曰く、


「北の軍神。トュール・ローグ。此度、人間界に動力停滞の災禍を及ぼした反逆神エイリー・ケイオスへの加担および、それに付随する非道なる殺戮の数々を鑑み、改めて貴公を罰すべき悪神と見なす。よって、判定の間にて即刻の神罰を下すものである」


 紋の聖光が輝度の最高に達すると、ノルンは両腕をゆっくりと降ろしていった。自らが天秤の皿となり、咎人の罪の重さを知らしめるように。


 宣告が終われば、その後はもう殺意だけだった。武器庫とは極端に雰囲気が違いすぎる。「直々に手を下すのは、アルスの前の厄災……エイムノイス以来だ」


 呟くと階段を降りてくる。トュールは振幅の大きい武者震いも収まらぬまま、床を蹴って躍りかかろうとする。しかし、ノルンの静かな一歩一歩が、微かな動作の前触れでさえ、死を予感させる牽制となって脚を硬直させるのであった。


 瞬きもせず見据えられているだけで、気に当てられた剣身が砕けそうに悲鳴を上げている。


 身じろぎも出来ずにいる内に、ノルンは切っ先に触れるまで肉薄していた。神格差顕現化の戯れも終わり、それでも双方の体格差は大きかった。胸よりも低い位置にあるノルンの顔。改めて全身を見てみれば実に華奢だ。だが、この眼光だ。あの時と同じ目をしている。敵の巨大さをものともしない戦力の権化。今から自分は、この憎々しい憧れを抹殺するのだ。


「行くぞノルン」


「上等だ小僧」


 神は〝手〟を持たない。存在の構成要素が法力に同じであるためだ。


 数多の大軍を屠ってきた規格外の大剣と、白魚のような手が衝突した。


 得物から伝わる衝撃に顔が歪んだ。初めて聞く音に目を見ひらく。敵を斬り損じたことなどない深紅の刃が、半ばから呆気なく折れてしまった。


「こんな馬鹿なことが……」


「その程度で狼狽えるな!」


 ノルンの、気が狂った怪鳥を思わせる気合いの雄叫び。下段への蹴り一閃。か細い脛がトュールの左大腿部を粉砕した。ふんばりが利かなくなり、剣技での反撃もままならないでいると股間を膝で突き上げられた。たまらず後退したところ、無意識に低い位置になっていた顔面に拳がめり込む。それは右目を残酷に直撃し、ひしゃげた眼球から透明な液体が噴霧された


 うめき声を出す間もなく崩壊した右眼球内に指を突き入れられた。指先は眼窩縁に引っかけられ、そこを支点として腕力で投げ伏せられたのだった。


 仰向けに倒れたそばから、顔面に足の裏が落ちてきた。どうにか躱すと、顔があった場所が間欠泉のように噴いた。白い床材が塵埃の柱となって天井にぶつかる。


 まだ立ち上がることは許されず、蹴り飛ばされて壁に激突した。如何なる神にも傷つけられたことのない、鎧と一つになった身体がボロ雑巾である。身じろぎする度に肉片が転がっていく。


「どうした、無敗とは虚栄か。こんなことでは、軍神どころか男かどうかすら怪しいものだ」


 やっとの思いで「これからだ年増」とだけ言ってのけ、折れた剣を杖にして片足で立ち上がった。隻眼となり距離感が狂う。剣を握る手にも痺れがまわってきた。左耳が取れかかり、ぶら下がっている。骨などは何ヶ所おれていることか。


 えずき、嘔吐した。滅茶苦茶にされた右の眼底が、吐き気という危険信号を脳に送り続けている。


 徒手空拳の相手。思い返せば初めての経験。なんと原始的で、混じり気のない暴力だろうか。神格の差という言葉が、生々しさと重量をもって肩に乗ってきた。潰されてしまいそうだ。


 歯が立たない。相手の異常さを見誤った。このまま続けたところで――


『有り難う。君とだったら何でも出来る気がする。それだけは、いつだって変わらない』


 痩せ衰えた友の顔が、挫けかけた戦意を奮起させた。


 指を鳴らし、分体の群れを生成する。一糸乱れぬ動きでノルンに向かわせ、逃げ場のない集団剣舞を喰らわせてやった。


 一瞬の時間稼ぎで構わない。僅かでも体力回復に専念する。


 浅はかな狙いは、いつの間にか目前に立つノルンに打ち砕かれた。その背後には、えらく形の整った球体が無数に転がっていた。渾身の分体達の成れの果て。さながら丁寧に作られた泥団子だ。 


「なんとデタラメな……」


 ノルンの足指の先端が、鳩尾に深く深く突き刺さった。歴戦の如何なる神器よりも、法力よりも鋭く、絶望的な刺突だった。ただ〝く〟の字に屈曲して飛ばされ、腰から壁に潜没するのみである。堤防が決壊したように喉奥から血が流れ出た。


 全身が壁に入り込もうとすると、小さな手が毛髪を掴んで引き戻してきた。毛と呼べる硬度でもないものが無理矢理に握られ、五指の形に変形する。


 完全に引っ張り出された次の瞬間、後頭部が床に叩きつけられた。何度も何度もだ。それは長時間続いた。気を失い、気がつくとまた気を失った。頭蓋骨の感覚がなくなる。


 ノルンの姿が何重にもブレて見えながら、トュールは問わずにいられなかった。


「貴様なら動力停滞の目的は分かっているのだろう。それならば、何故にエイリーを悪神と見なした」


「……奴は自らを見誤っている。今のやり方では結末を変えられない」


「知った口を利くな! では貴様ならどうすると言うのだ」


「全ては〝次なる動力神〟に伝えてある。茨の道を地道に行けとな」


 にべもなく返され、トュールは苛立つ。


「もういい……話していても無駄なようだ。やはり貴様は倒さねばならん。そうすれば後に残るのは助力も不十分な雑魚のみ。エイリーの敵ではないわ」


 ノルンの表情が曇った。ひどく憐れむように。


「私からも一つ問おう。お前は何故、ラルタルに向かう神官とその仲間を直に斬りにいかなかった。私と戦うより遙かに容易く、話が早いにも関わらずだ」


 白々しい質問をするな、とトュールが鼻を鳴らす。


「エイリーをもってしても奴らの正確な居場所は分からなかった。あれは貴様の仕業なのだろう。標的をここに絞らせるためか」


「いくら私でも、お前らの知覚にまで手を加えられる訳がない。ましてや遠方から巧妙に姿を隠させるほど器用でもないよ」

「偽りを言うな。〝世界そのもの〟に我らの邪魔立てをする理由がない以上、残るは貴様しかいないのだ」


「察しの悪い男だな」


「どういう意味だ。動揺を誘っているつもりか?」


 埒があかないとばかりにノルンが首を振った。


「それより良いのか。もう少しでお友達の命運は尽きようとしているぞ。一人の神官と、二人の協力者によってな」


 それを聞くと、ずっと息巻いていたトュールが雷に打たれたように絶句した。耳を疑っている。


「……たったの、三人だというのか?」


「実質二人だな。一人は戦闘員とは言いがたい」


「馬鹿な……。たったそれだけの戦力でラルタルを攻め落とし、エイリーの首を獲れると本気で思っているのか」


「あぁ、どのみち手が足りなくてな。他に如何ともしがたいんだよ」


 ノルンは何食わぬ顔だ。


「無謀な賭けにでたものだ。動力神たるエイリーを相手に――」


「言わせてもらうが」ノルンが遮った。「今のエイリーが相手なら、十分に勝算ありと見ている。神としてのあり方を見失い、盲信に取り憑かれ、そしてお前という相棒がいないエイリーにならば」


「黙れノルン……! 何が言いたい」


「言われたとおり『たったそれだけの戦力』なんだよ。弱ったエイリーを倒すためだけの、本当にぎりぎりの……。敵方にどこぞの軍神でも加勢した日には、ひとたまりもないほどに」


 言葉がでないトュールに対し、続ける。


「ラルタルで、お前とエイリーが揃って迎え撃てば良かったんだ。少しでも思考が働けば、それが必然だった。しかしお前はここに来てしまった。考えを狂わされ、私と戦うことへの思いを増幅されたお陰でな」


「何だそれは……? 意味が分からん!」


 トュールが頭を掻きむしった。自分は確かにエイリーを助けたい一心で動いていた。ここに来た理由も明確にある。


 その実、無意識にも戦闘が主目的と化していたというのか。友や世界のことなど放っておき、ノルンと戦うことへの渇望を満たすことが。そして、それは全て外部からの操作によるものだったと。


「奴……〝世界そのもの〟は、随分と舐めてくれたということだ。私の神官達の相手など、エイリーだけで十分との判断なのだろう。お前という駒は、邪魔の最たる者である私にぶつけられた。その未来を一切の根拠もなしに察知し、疑わずして待ち構えていた私もまた、駒という訳だ」


 険しさの崩れ始めていたノルンの顔には、すっかり悲哀が湛えられていた。


「さっきから何を言っているんだ! どういう事なんだ! 俺は、俺は自分の意志でのみ動いている! 誰にも操られてなどいない……何故お前がそんな顔をする。この俺に同情しているとでも言うのか! 答えろノルン!」


 叫ばれる度にノルンは俯く。


「ここで私が言うのも甚だ奇妙だがな。お前だけは、エイリーの近くにいてやるべきだった。道化に墜とされた動力神の傍らに。……自分の立場や言動との矛盾をどれだけ感じても、そんな思いに耐えきれないんだ」


「な、何故だ……やめてくれ」


 ノルンが流す涙を見て、トュールはいよいよ混乱に耐えきれなくなった。いくら攻撃を受けても離さなかった剣を放り投げ、頭を抱えてあらん限りの叫喚をするのだった。脳味噌が潰れてしまいそうだ。


 

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