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動力神と斬りすぎる者  作者: 白石 流
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第十六話

 不規則凹凸に富み、岩や木といった遮蔽物が多く点在する草原。


 天界に存在する某実戦訓練場を模して作らせたその場所は、ノルンが〝庭〟を開拓したものだ。


 遮蔽物のほとんどは傷つき、焼け焦げ、打ち倒されていた。そこかしこが血なまぐさい。


 普段であれば武器等がぶつかり合う音で騒がしいが、今は誰もいない。ノルンは独り佇み、黄昏と夜の狭間を見上げるばかりであった。


 ――近いな


 トュールを阻む神官の気配は、もう片手で足りる。白波に揉まれるローブの切れ端が、赤潮のように水面を染め上げる様を思って歯噛みする。


 大海へ消えた彼女たちは、今際に自分を恨んだだろうか。敵うべくもない相手に立ち向かわされ、仲間達の残酷な死をいくつも目の当たりにし、それでも鬨の声で自らを鼓舞し、すぐに同じ運命を辿った。時間稼ぎのために。


 呆然と、誇らしかった。神官の身でありながら、神に、ましてやあの軍神に向かっていけるなど本来は有り得ない。恐れの調伏、本能の欺瞞、生の忘却をもって命を賭した彼女たちの断末魔が内耳に反芻するようだった。今はただ一つ一つの顔を思い浮かべることしかできない。あまりにも粗末な手向けだと自嘲してしまう。


 ノルンは眼を閉じ、上へ上へと意識を昇らせ、天界さえ越えた別の次元までを知覚に捉う。明瞭に視認できるものはない空間、この世の外の向こう側。紅の紗のかかった無限遠に見えてきたのは〝世界そのもの〟の爪の先か、剥落した欠片か分からないが、とにかく極々一部。全身ともなれば一体いくつの世界の集合なのか、思考可能な範疇を過ぎている。


 自分より神格で上回る者であれば更に広範囲を認識し、今いる世界が睫毛でも抜くが如く除去されようとしている事態を克明に見て取るのだろう。


 ぎりと歯噛みした。そんな、痒い所を搔くような何気なさで滅ぼされてたまるかと。


 エイリーもまた、同じ思いでいるのだろう。否、紅の紗の原因であろう巨星らしきものから発せられる、途轍もない思念の正体をも知覚しているのであれば、奴の考えたるや……。


 もう一人の自分に頬を打たれた。下した判断を疑うよりも、消えゆく前に出来ること、やるべき事があると。違いないと独言し、気を地上に戻す。


 背後に慣れ親しんだ気配。かしずく女が一人。


「ノルン様」


「エレーナか」


 普段とは別人な、戦人の風格を匂わせるエレーナ。今や一部の隙もない武士(もののふ)の威厳を醸す。人間の住民が見たら失語しかねない気迫を纏っていた。


「もうじきです。如何いたしましょう」


 心なしか、二段階は声が低い。


 対するノルンも、上層の神官達しか知らない厳かな表情、乱暴な語調で応えた。


「丁寧なご案内をして差しあげろ。小僧が恐縮するくらいにな」


「承知いたしました」


 言い残し、気泡に似た消え方をした。


 場違いにも昔を思い出す。小さき暴君、そよ風使いの鏡髪少女の来訪を。あの時もこの庭にて、エレーナと同じような会話をしたものだった。双方、どこか嬉しげな含み笑いを交えながら。もはや、あの頃には戻れない。


 フーリンに力を送るのも限界が近い。必要分を送り終えた確信はないが、これ以上はこちらの命が危ないのだ。足りない分があるならば、ダイン・フィングの力に期待するしかない。忸怩たる実情だった。


 短い溜息をつき、漠々たる庭を改めて見回す。神官達とのあらゆる思い出に抱きしめられた。人間達に接するときの慈愛に満ちた優しき女性像をかなぐり捨て、猛々しく互いを高め合う彼女たちを見守るのが楽しみだった。だが、もうじき二度と会えなくなる。主神の不甲斐なさゆえにだ。


 拳を握りしめた。指が掌を貫くほどに。


「始めようか。……あの娘が一番泣くかも知れないな」





 庭での訓練には終わりがなく、常に過酷を極めていた。酷暑でも厳寒でも、雷雨でも戦い続けた。気が狂って然るべきな日々でも心を支えたのは、自分がノルンの神官であり、女神に並ぶもの無しと謳われた豪傑の配下だという気高き矜持である。


 副神官長たるジブラ・クロウともなれば無論、ノルン配下の二番手として夥しい強敵共から恐れられ、神官長ネメロスには及ばぬまでも山の如き戦果を積み上げてきた。


 いつか、少しでもノルンの背中に追いつくことを目指して。矛を、〝手〟を、振るい続けてきた。 


 来る日も、来る日も。誰にも敗れぬように――


 ――及ばなかったか


 陣形を組んで一斉に襲いかかるまでは良かった。次々に叩き切られ、ジブラのみになってから何度切り結んだか。必死すぎて二度目以降は覚えていない。


 海面に落ちゆく目に映るのは、中空で錐もみ回転する自らの下半身であった。ノルンに憧れて染め、伸ばしていた麦畑色の髪も、頭皮ごと剥がれて潮風にたゆたっている。 


 それを一顧だにしないで、つまらなそうに短剣を納める黒鎧の男、トュール・ローグ。最後の砦であるジブラを斬ったことなど歯牙にかけず、紅のマントを翻し、八足の黒馬にまたがった。


 ――ノルン様……申し訳ありません。この軍神の前では、私などとても……。もしお許し頂けるのであれば、またお会いしたときも……必ずや貴女のもとへ……






 ――何故だ


 最後の一匹が水柱をたて、魚の餌になった。


 トュールが首を傾げる。


 愚にもつかぬ豚女共に、これほど時間を奪われるとは。


 本来の姿どころか、武器さえも人間の手でこしらえた粗製濫造の短剣をさらに切り詰めたものを用い、少しでも長く戦いを味わおうとするのが古来の常であった。


 この急場に際し、そんな悪習を拭い忘れていると気付いたのが、たった今なのが我ながら信じがたい。本来であれば、たかだが神官の群など一瞬で殲滅できたに関わらずだ。


 過剰な手加減が永らく常態化していたのも、噂に名高いノルンの神官達があまりに弱かったのも事実だが、エイリーのために刹那でも早く先を急ぐべき時に枷を取り去さっていなかった自分への強烈な違和感があった。戦いに楽しみを求める質とはいえ、決してそこまで愚かではない。


 外的な支配、操作によって愚鈍な真似をさせられたのは明らかだ。〝世界そのもの〟であれば自分の邪魔をする理由はない。ならばどこの馬骨とも知れぬ連中に戦闘での隙をつかれ、思考への介入を許したか。


「この際……望み通りに踊ってやる。ノルンまで力を温存させたことを後悔しろ」


 鞭打つまでもなく意志を汲み取り、怨敵の元へ向かう愛馬。馬蹄の動きはトュールの目でも追いきれぬ回転速度だ。そのため空を駆ける足音にはリズムがなく、一つの長い咆哮のようにも聞こえる。


 邪魔がなくなった今、アスティリアまでは嘶き三つであった。海面が森になり、主たる街をいくつか過ぎたかと思えば、とある一点目がけて峻烈に急降下していく。密集する村々のなかで異彩を放つ、豪奢な修道院もどきの前にだ。


 僅かな減速もない極超音速の着地は、判定神院の門前に小規模な災害をもたらした。あまりの衝撃に地盤がうねり、広範囲の樹木が根元を露わにした。土中深くにあった石などが炸裂四散しては木々を穴だらけにしてしまう。土塊は雲まで吹き飛んで煙柱を立てる。遠くから見ていた者があれば、大型異族の襲来だと勘違いしたことだろう。


「スレイ、ここで待て」


 すぐに戻ると言い残して、見上げるような幅広な門扉と正対した。院を巡る鉄柵や腰壁にも傷跡ひとつ無いのが不可思議であり、感情を逆なでした。


 左右対称に曲がりくねった青銅が組み合い、モチーフ不明な模様を描く門扉。隙間が多く、広い芝生の庭園が丸見えだ。招かれざる客の襲来を察知している筈にも関わらず、屋敷は警戒心の欠片もなく、恐らくは換気のために開けられた窓からは部屋の掃除をする人間の女が見え隠れし、鼻歌を口ずさむ始末であった。それどころか季節の花など咲き乱れ、こちらの存在などまるで意中にないかの如くだ。


 体験したことのない屈辱に脳漿が煮立ち、無意識に短剣に手が掛かった。斬り込まんとしたとき、出鼻を挫くように背後から気配が出現した。振り返ると誰もいない。全方位を確認し、再び門扉を見やるとローブを纏った赤髪の神官、あどけなくも精悍な少女が尋ねてきた。


「ご用件は?」


 返事の代わりに首を撥ねた。少女の頭部が放物線を描いてスレイの足下へ落ちる。巨大な馬蹄がそれを躊躇なく蹴り潰し、脳と頭蓋の混合物が散った。


 ならば入れとばかりに、独りでに門扉が開いた。舐められたものだと気色ばみ、ついにトュールは敷地内へ踏み込んだ。


 鋼鉄のブーツの底で芝生の柔さを感じるや否やである。前触れもなく光景が一変した。長閑で無人だった庭園が、殺伐とした広野、殺気による針のむしろと化したのだ。花々も、屋敷も何もかも消えた。凹凸に富んだ地形に、戦痕だらけの岩木。それらの影から、上から、思い思いの得物を携えた神官達が好戦的な面持ちでトュールを包囲しているのである。


 思わぬ出迎えではあるが、本陣とはいえ残存勢力が案外と多いものだと、欠伸混じりに思うだけだった。頭数ばかり何百いることか。包囲網は実に多重であり、一つ一つの覇気がピリミ大海で討った者達とは桁違いだ。


 力の程度を示す翼はいずれも三対。五対からが神格とされる。


「失せろ。少しは出来るようだが、俺に勝てると思ってはいまい」


「我々の〝庭〟へようこそ。薄汚い無法者め」背後から、殺したばかりの赤髪の声。後頭部に何かが飛んでくるのを感じた。首を曲げて避けると、よく研がれたナイフが真っ直ぐに消えていった。「折角のもてなしだ。有り難く受けるんだな」


 先ほどまで門扉があった場所にて、頭部を失っていた少女――エレーナは猛々しく歯を剥いた。首の切創、砕けた顔面が気泡のようなエネルギー体を吹いて復元されていく。小柄な体躯に倍するだろう二対の長槍を頭上高く交差させ、天も砕けよと絶叫した。


「この悪神をぶち殺せえええぇぇぇ!」


 手元も見えなくなる、濃密な集中放火。槍と見紛うような剛矢の雨や、まさかこれを投擲するかという驚くべき大剣、そして練りに練られた法力が、地形ごと破壊し尽くす自然現象の混沌となってトュールを包む。雑多な衝撃が鎧を叩きまくり、骨身に鈍い痛みが伝わった。指先の動作すら阻害される。


 天界の戦を思い出すのはいつ以来かと、頬が緩む程度の熾烈さではある。土壌が削られて足下が低くなっていく。マントを翻し、種々の飛来物を持ち主に打ち返してやった。いくらかは的を抜いたらしく、猛射が減衰した。


 トュールが地を蹴り、姿を消す。神官達の大半が、見失った標的を探そうとする前に短剣の餌食となる。しかし刃に感じた一抹の心地悪さ。


 ――肉が軽い。やはり分体か


 分体使役。生粋の天界の者が行う存在操法の一つであり、投影した魂を実体化させ操ることを指す。何分の魂で構成するかにより性能の程度は変化し、なお、どれだけ優れていても神官格が一度に出せるのは二体までだ。


 気配からして、この分体共はせいぜい六分。実になめられたものである。この期に及んで戦力を出し惜しむのは、戦いを終えた先の未来を考慮してのこと。


「阿呆な豚共が」すぐに蘇った神官の群を一笑し、再び細切れにしてやった。どこかで息を潜める本体を想像すると、愚かで哀れでたまらない。「平和な人間界のおかげで天界の常識を忘れたか。この俺が敵と定めた者に、未来などない」


 言葉が通じぬらしく、物量で攻め続けてくるのに辟易とした。キリが無いと指を鳴らし、爪先ほどの魂を投影。十数体ほどの分体が生成され、合図もなしに迎撃に向かう。影のように平面的で不完全であるが、それでも一対百で余りある歴然たる戦力差の前に、神官達は斬り伏せられ、再生した傍から泡沫とかす。


 少しは役に立つかと出してみたウスノロな分体に、恥も外聞もあったものではない形相で鈴なりに群がる女達。腐肉に集く蠅そのものだと頭を振り、すっかり迎撃の止んだ野を悠然とゆく。


 南南西、遠きに矮小な建造物を認めた。わざわざ歩かせるか、と芝生を踏みつける。


 やがて一等高い丘の上に、実に慎ましい木造の堂が見えてきた。やたらと縦にばかり長い。


 申し訳ていどに掲げられた天秤の紋と、ふてぶてしく放たれている気配がなければ、最下層の使用人の居住小屋だと素通りしたかも知れない。


「まるで厩舎だな。豚の親玉には似合いか」


 背後で続く乱戦。「待ちやがれ」「行かせるか悪神」と吠えるだけの雑兵を尻目に、一足飛びで正面口へ。目の前で見ると、そのみすぼらしさからは侮辱の意図さえ汲み取れた。招かれざる客は、この小屋で十分だと。


 白く塗り重ねられても尚ごまかせぬ老朽化。餓鬼の六、七人が遊べば所足らずな床面積。あの判定神が、こんな所で確かに手ぐすねを引いている。メッキの剥げたドアノブに手をかけると、不思議と余裕が崩れていく感があった。否、それは錯覚の類であるとドアを殴り飛ばした。


 覗き込んだ室内は、案の定な質素。装飾の一片も見当たらず、多量の刀槍が整然と並ぶ武器庫だった。誰が扱うのかという長物もあるので、建屋も細長いのだ。


 奥の壁際。適当に手作りしたような、錆びた釘先の飛び出す木椅子にふんぞり返り、場末の居酒屋を思わせる薄汚れた丸机に足を乗せる者がある。


「久しいな小僧。何千年ぶりだ」


 鈍く輝く、男の胴ほどもある銀杯を傾け、琥珀色の液体を口に流し込んでいた。離れていても鼻をつく濃厚な芳香は、それだけでも脳が麻痺しかねない強烈なものだった。


「神官には見せられん姿だな」


「そうでもないさ。今のところはな」


 赤子よりも隙だらけだ。顔に紅が差し、心地よさそうに脱力している。何らの覇気もない。瞼が落ちかけ、今にも寝てしまいそうだ。


「酔っているのか。こんな時に酒とは呆れて言葉も出ん。西の天秤は、もうすっかり朽ちてしまったと見える」


 ノルンが乱暴に銀杯を置き、残りの酒が跳ねた。


「酔って、眠っていたんだよ。ここに降ろされてから今まで、ずっとな。……そろそろ目覚めなくてはならない」


「人間共の前で闘気をひた隠すのも疲れただろう」


「だがやり遂げた。女は演者だ」


「立て、ノルン」


「いいだろう。付き合ってもらうぞ、寝起きの運動に」


 見向きもせぬまま指で招かれ、トュールは憤怒に任せて突進した。戦闘の構えもとらずに先制攻撃を促されるとは、屈辱も屈辱。


 誰を侮ったか分かっているのか。刹那での決着をもって報いとしてやる。激しい念を乗せて叩きつけた刃は、突如として現れた木の壁に食い込んだ。


 ――何だこれは


 深々と刺さって抜けない。どんな手を使ったか知らないが、地上の物質などは手応えも感じずに刃が通るはず。自らが用いて神器とした武器が、木材ごときに捕らわれるとは。


 ごとりと、重量物の落ちる音が床を鳴らす。足下を見やると黒鎧の一部が脱落していた。防護をうしなった左脇腹が半円にえぐれ、臓器には冷たいものが直に触れている。木の壁から垂直に伸びてきている焦げ茶色の円柱だ。


 短剣を引き抜くどころではなくなり、跪いた。口や鼻からの流血が止まらない。円柱から離れると、腹圧から解放された腸が飛び出そうとするのを手で押しとどめた。苦悶しながら状況把握に努める。ノルンはどこに消えた。周囲の景色が明らかに変わっている。空間を転移させられたのか。


 否、目も潰れよとばかりのアルコールの充満を感じる。屋根はあるが相当に広大な場所だ。ラルタルのいかなる城塔よりも高くそびえる塔が、所狭しと林立している屋内空間。一体どこだとの狼狽は、前触れなき洪水にさらわれた。


 琥珀色の水が傷口を満たし、激越な刺激が体内を燃やす。古傷にまで浸透して高温をもたらすのはアルコールか。瞼を堅く閉じても眼球が爛れていく。闇の中で壁にぶつかると水流が退いた。


 浜に打ち上げられた魚のように、のたうち回った。時間をかけてゆっくりと、やっとの思いで光を取りもどして天を仰ぐ。そこで初めて気がついた。遙か、遙か高みより自分を見下す至大の存在、ノルンは最初と同じ姿勢で空になった銀杯を覗き見ていた。


 場所など変わっていなかった。あの武器庫のなかで、トュールの存在が虫ほどに矮小になっただけなのである。初めに短剣を食い込ませたのはノルンが腰かける椅子の脚。そこから飛び出していた釘が、突進の勢いで脇腹をえぐり飛ばしたのだ。神をも殺傷する神器となって。


「これが格の差だ」


 任意の領域内における他神との同時存在時の神格差の顕現化。反逆する者に力量差を分かりやすく示す程度の戯れだ。ノルンは酔い顔で、床にぶちまけた酒を惜しそうに眺めている。


「許さん……!」立ち上がりかけると頭上が遮光されて影に包まれた。空になった銀杯――今のトュールからすれば銀の山――が降ってくる。避けるどころか、つんのめって転ぶ。途端、計り知れない重量に押しつぶされて床板に埋まってしまうのだった。


 暗闇だ。指先も動かせない圧力で、身体の輪郭が平面に近づいていくのが分かる。頭蓋が変形して眼球が飛び出しそうだ。腸以外の内臓も出口を求め、破れた脇腹から溢れ出ようとしていた。


 黒鎧もひび割れてきた。そんな絶望的な状況下で、トュールから湧き起こったものは歓喜、声なき哄笑だった。世界に生まれ落ちてからの数千年。確かに今〝二度目の昂ぶり〟にある。


 まだ名もなき未熟な放浪神だった頃、天界の目から傍観していた一撃。地上を完全に蹂躙するだろうと思っていた『毒の津波』が殴られて生き物の形を失い、届く道理のないトュールの目前まで確かに飛ばされてきたあの時。生まれて初めて、生まれてきた意味を知った気がした。


 力をつけ、主たる神と見なされ、地上に降ろされ幾星霜。相まみえるべき瞬間まで己を磨いてきた。戦技臨界に達し、もはやノルンなど敵として不足か、記憶のなかで誇張された幻想に過ぎぬかという傲りもあった。しかし、こんなにも遠いとは!


 椅子と、釘と、酒杯だ。軍神とは笑止。〝世界そのもの〟から見捨てられた星にも、闘争の愉悦にだけは果てない余地が残されていた。動かぬ体躯に力が漲る。永きに渡る抑制を取り払える日がきた。心臓が喚く。まるで再誕の産声――


 ――見せてやる

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