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動力神と斬りすぎる者  作者: 白石 流
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第十三話

――――――――


「ダインさん、起きてください!」


 フーリンの切迫した呼びかけ があった。長い夢を見ていた気がする。どんな内容だったかは考えるまでもない。


 少しばかり寒い。目をこすりながら、 


「どうした。今は……どこなんだ。おい、フーリン」


 隣のフーリンは鼾をかいて寝ている。


「寝言までふざけてんのか、こいつは」


 御者席の方へ行き、身を乗りだす。


 陸地――街道を走っていた。畑の点在する見晴らしの良い左右には、幾筋かの主たる大河の周りを毛細血管のような小川が流れていた。ピリミ大海は無事に渡りきったのかと胸を撫でおろす。


 石灰を撒いた砂利道とは異なる石畳の、比較的に規則正しい振動で馬車が揺れる。

 

 多少は低くなった夕日が目を刺した。


 馬尻を観察しながら「うんうん」と神妙にうなずいていたエイルーシャがダインに気づく。


「おはようダイン君。もう北大陸だよ」 


「そうみたいだな。俺達だけ休んですまない」


「構わないよ。スニルとヨーストがいるし」


「夕日も綺麗だしな」


「それは見飽きた」 


「だろうな」笑うと顔のあちこちが痛んだ。「ラルタルまではどのくらいだ」


「もう少しだよ。次に立ち寄る都市で〝一泊〟したら、いよいよって感じ。……私も少し疲れたよ」


 島種との戦い以降、ずっと走ってくれていたのだろう。怪我の程度は分からないが、消耗は激しいに違いない。


「ありがとうな、色々と。出会った頃は腹立たしかったが、世話になりっぱなしで頭が上がらない」


「やめてよ。他人事じゃないんだから当たり前でしょ」


 互いに饒舌でもなく、すぐに会話が途切れる。


 この際なので、なんとなくフーリンには切り出しにくい質問をぶつけてみることにした。


「今回、他の神はどうして動かない。武闘派の連中が弱らされたことはフーリンに聞いたが、神官すら出してこないのか」


 うつむき加減になったエイルーシャは、頭のなかで慎重に言葉を選んでいるように見えた。


「そもそも、天界の気から離れたことで、エイリーが暴走する前から神々の力は弱まり続けていたんだ。正確には、力の根源は損なわれなくても、それを扱うための器が壊れていった。要は、神様にはない筈の寿命というものが実質的に定められたようなものだね。

 神官達の力は主神に依拠するから、強力な敵を相手取れる者も減ってきて、判定神院からもフーリンだけしか抜擢されなかった。天界からの正式な神官じゃないから、ノルン様の能力減衰の影響がなかったんだろうね。

 他の神のところにも、現状では力不足な神官しかいない。そうやって世界の力を弱めてきたのは、他でもない〝世界そのもの〟。あいつはこの状況を下地にして、今度はエイリーを使ってこの世を終わらそうとしている。破壊神が現れるもっと前から念入りに準備を進めてきたんだ」


「あの時、アルスも言っていた。自分の行いは〝世界そのもの〟の意志の代行だってな。一体、そいつは何なんだ?」


「そのままの意味だよ。大いなる意志の流れで全てを支配する、世界そのもの。私なんかは概念として理解してるだけだけど、途方もない図体をした巨人のようなものだって聞いた。この星も、あいつの身体の極々一部に過ぎないんだ」


 まともに想像すると頭が馬鹿になりそうだが、食らいつく。


「つまり、あの手この手で自分の一部を壊そうとしているのか?」


「うん、何か不都合があるのか、単なる新陳代謝のようなものなのか、理由は誰にも分からないけどね」


 アルスの言葉が思い出される。


 自分を退けたところで〝世界そのもの〟は更なる強硬手段をとり、抗いようのない大いなる流れによってこの世界を終わらせると。


 あれは虚仮威しでなく、厳然たる事実だった。そうであれば、戦いの終着点はどこなのか。動力神となったフーリンは如何にして未来を変えるのか。いくら考えても答えは出そうになかった。


「……全部じゃないが、色々と理解できた気がする。今はとにかく、考えすぎずに目の前だけを見た方が良さそうだな」


「私もそう思う。市井の人間が関わってる時点で異常なんだから」


「異常……か。ややこしい話を聞いたらどっと疲れてきたよ」無理に話を変えようと努めた。「ところで、休憩で立ち寄る都市ってのはどこなんだ」


「何の変哲もない自由都市、ハーノイルだよ」


 不意打ちだった。脳神経に針が刺さったように背筋が伸びた。


「……そうか、ハーノイル……か。い、行ったことはあるのか?」


 ダインの動揺をよそに、悪気のないエイルーシャは首を傾げる。


「ないけど。人づてにちょっと聞いただけで。どうかした?」


「いや、何でもないんだ。気にしないでくれ」


 心拍数が上がって気分が悪くなってきた。ハーノイル、メアリの故郷。


『銀髪は嫌い?』


 冷や汗が滲む。棘の山、溶け出した大地。鮮黄色のローブが、にわかに網膜に焼けつくようだった。記憶より先に内臓が飛び出しそうだ。


「申し訳ないが、もう少し寝かせて――」


「あ、見えてきたよ」


 遙か彼方、石畳の果て。数多の川の合流地点に、外周三キロ程度の城壁が見えてきた。東側の城壁の一部が大きく膨れだしており、新たに追加されたものと思われる。


 ダインは胸を押さえ、理由の説明がつくような、つかないような、叫び出したい衝動に駆られてしまう。異変を悟られないように馬車のなかに引っ込むと、たった今目覚めた様子のフーリンが寝ぼけ眼で迎えてくれた。


「どうしたんです、ダインさん」


 髪の先を鏡代わりにして寝癖の有無を確かめる仕草を見ているうちに、何故だか混乱が収まっていくのを感じた。


「島種にやれらた傷が疼いただけだ。そっちはもう大丈夫なのか」


 フーリンは軽快に肩を回しながら「えぇ、もうすっかり」と伸びをした。


「そうか……良かった。もうすぐ都市に着くぞ。ハーノイルにな」


「もう、そんな所ですか」


 素っ気ない返事に、隠しきれない暗さが含まれているのを感じた。或いは気のせいかと、探りを入れる気力はなかった。





 最後の休息のためハーノイルに入国した。


 三人で御者席から街を観察する。狭苦しく、ドブ水の臭いが濃く漂う。誰が特徴を述べても同じものになりそうだった。


 賑やかで活気のある筈の表通りでさえ細々とし、そこに屋台やパン屋兼飲み屋、一欠片の計画性もなく建てられた住居が通りにはみ出して乱立し、その癖じつに静かである。


 路に敷き詰められた不揃いな丸石が夕日を浴び、細長い高層住宅の影を黒々と描き出していた。


 路傍に座り込む、酔っ払いか物乞いか見分けのつかない者達が目立つほかは人通りも少ない。よくよく店を覗いてみれば営業中の場合が多く、仕事おわりの労働者と思しき男達が葬儀のように杯を傾けている光景が散見された。郊外など行けば更に雑然と寂れているのだろう。 


 ジュレヴィスと同程度の無音無声だが、開放感が皆無なせいで比べものにならない陰気さを覚える。冷たい秋風に吹かれて身が縮まった。どこからか継ぎ接ぎだらけの下着が飛んできて、放擲された屋台の骨に引っかかった。


「ここも、かなりやられているな」


「えぇ、動力停滞の坩堝です。一杯やっている人達なども、ジュレヴィスの住民のように以前の習慣が形だけ残っているパターンがほとんどに見えます。時間帯もあるとは思いますが、この人通りの少なさ……。大半の市民には、もう外出する力すら無いのでしょう」


 かつて、メアリが暮らした街。追い立てられ、命を奪われ、誰も死なせまいと足掻いた場所。戦乱の跡はどこにも見当たらない。


 本来のハーノイルはどんな姿なのだろうと思いが巡る。すぐにどうでも良くなり、腐ったような空気に身もだえした。たまらなく不快だ。


 気がつけば銀髪の者などを探している自分が腹立たしい。見つけたと思っても、せいぜいが汚らしい白髪の年寄りが壁を見つめているぐらいだ。


 川や水路に架かる小さな橋を、数十メートル毎に渡る。たまに泳いでいる魚は、大体が腹を上に向けていた。


 どの脇道を覗いてみても、急な高低差で曲がりくねって先が見えない。店の明かりが怪しく手招きしている。


 中心部に近づくにつれて路傍に転がる市民が増えてきた。眠ってもいない。起きてもいない。絵に描いたような虚脱の衆。


 犬とも人ともつかぬ鳴き声が聞こえた。若いヴァイオリン楽士が、彼にしか理解できない言語で弾き語っていた。それに対し、目の前まで顔を近づけて喚く者がある。口ぶりと服装からして遍歴説教師だろうか。二人の意見は永遠に合いそうにない。

 

 ハーノイル中心部の広場には、予想外に多くの市民がひしめいていた。無気力と狂気のごった煮。修道院や市庁舎からも、生ける屍が掃き掃除ゴミのように溢れていた。数百の引き伸ばされた魂が寄せ集まり、何某かの磁力で押し固められて引力を有している。


 動力停滞者も二つに大別できそうだ。動力の役割が多岐に渡るので、停滞症状も不統一になるのか。単なる生命力の枯渇のほか、人間性や知能のみの欠損も見られる。魂の引き伸ばしが進めば、行き着くさきは同じに違いないが。


 市民達の過ごし方は様々だ。ほとんどの者が寝転ぶだけのなか、微動だにせず直立し自分の手を見続けている子供。見えない敵との和解を試みる女。空を診る医師。商売の最中の娼婦。赤ん坊の乳を吸う母親。その他諸々。多動であっても動きは鈍い。目を閉じても耳を塞いでも吐き気を催す光景だった。


 時の進行、心の移ろい、気の流れ、精神の変化、肉体の働き、命の維持。あらゆる動きの源である動力。そんなものを司る神の存在と、その暴走。あまりにも実感を得にくい事態が、改めて真に迫る。


 三人は言葉も交わさず引き返した。金輪際、中心部には近づくのも嫌なので郊外に宿を求めて進んだ。


 大通りを一歩外れれば入り組んだ構造に迷いこむ。加えて坂の上り下りが多すぎる。都市の創設時、河川の合流地点であること以外の立地条件を度外視したのだろうか。


 いくつもの袋小路を引き返しては進んだ。建物が減っていき、代わりにゴミが増えてきた。排泄物の悪臭が強くなってきた。橋の上では鼻を覆うほどだ。


 狭い空から夕日が消えているのに気付く。深紫色の千切れ雲が、全天に氷のように静止していた。ただでさえ治安の疑わしい路地が、暗さと不気味さを増す。


 フーリンに肩を叩かれた。指さす方を見やると、ぽつりと灯りが点っていた。宿かと思えば居酒屋であり、大声で怒鳴り散らす複数の声が、薄い壁越しにくぐもって聞こえてくる。


 何か言いたげなフーリンの手を引いて、逃げるように通り過ぎた。速やかに屋内に入りたいのだ。


 数十分もしてやっと宿を見つけた。みすぼらしい木造の四階建ては、蹴れば折れそうに細長い。小脇の中庭に馬車を置いた。馬が馬なので見張りは不要とのこと。 


 半開きのドアの先には饐えた空気。消えかけた蝋燭を眺める若い主人が一人。何を言っても返事がないので勝手に上がった。まともに付き合っていられない。


 真っ暗な食堂階を過ぎ、個室が並ぶ三階へ。空室は二つだったので、男女で分かれることにした。


 起きたばかりのダインも既に瞼が重くなっていた。フーリンも同様だ。最も疲労困憊であろうエイルーシャが船をこぎながら、


「長居はしていられない。仮眠をとったらすぐに行こうね」


「おい、あまり無理は……」


「こんな時だから、私の疲れなんかどうでもいいよ。フーリン、多分あんたが先に目覚めるだろうから、そしたら私も起こしてくれて構わない。いい?」


「分かりました。苦労をかけますね」


「お前らが起きたらノックしてくれ。すぐに出る」


「ええ。では後ほど」


 ふらふらと部屋に入っていくエイルーシャと、肩を貸そうとするフーリンを見送ってからダインも自室に入った。


 ドアを開けた傍から他人の垢や汗の臭いが鼻腔を痺れさせる。浮浪者が住み着いているかと警戒したほどだ。


 消えかけた蝋燭が照らす簡素な部屋には、不潔そのものな黄ばんだベッドがあるだけだった。いくら慎重に歩いても凄まじい埃が舞いあがり、どこを踏んでも蛾や甲虫の死骸を潰してしまう。半ばミイラ化しているのでパリパリと音を立て、粉状になって散らばる。


 もっとも閉口したのが鼠の糞の山だ。流石の鼠もここからは逃げ出したか、足音もない。あるいは、糞だけはここでと決めているのかも知れなかった。


 容赦のない隙間風がいっそう冷たい。体感的には約二週間ぶりかと思われる日没時の空気が、素晴らしい粉末を顔まで巻き上げる。首から上の穴という穴に侵入してくるのに参ってしまい、ついにダインは室外へ飛び出した。


 あまりにも酷い。あんな環境で呆然と寝起きしているであろう他客を思うだけで身震いがする。廊下や食堂で寝ようとも思ったが、個室と大差ない有様なので断念した。


 咳き込みながら宿を出た。さぞ寒かろうが馬車で寝たほうがマシだと思い、中庭へ。


「よう、冷えるな」


 寝息を立てるスニルとヨーストに声をかけてみる。気持ちよさそうに眠っていたが、ダインが馬車に乗ろうとすると同時に目を開け、嘶いたのである。突然に度肝を抜かれたダインに対し、二頭はなんと二足で立ち、人間の拳闘のようにパンチを繰り出してきたのだ。


 命からがらやりすごし、馬車から一定の距離をおくと攻撃が止む。スニルとヨーストは何食わぬ顔で再び寝てしまった。


「なんだってんだ……」


 短い間だが行動を共にしていたというのに、こんなにも嫌われていたとは。天界の動物というのも理解し難い。行き場を失ったダインは少し自棄になり、宿の外壁に身を預けた。紫色の夕暮れが寒々しさを助長する。


 一人でゆっくりできる時間も、この先なさそうだ。それがボロ宿に寄りかかっての野宿とは、世界を救うべく戦う者を冷遇しすぎではないのかと、冗談交じりに憤慨してみた。


 心中で愚痴を漏らしつつ、睡魔はすぐに訪れる。異族はびこる岩場で大の字になっていた傭兵時代に、少しは心身が戻ってきたのだろうかと、自嘲気味に笑った。


 どのくらい経ったか、目が覚める。珍しく夢を見なかったお陰で、案外とよく眠れた。そうなると、決まって次の寝床では普段以上の悪夢を見るのだ。安眠した罰のように。


 そういえばフーリン達が起きたら部屋をノックするよう言ってあった。もう待っているかも知れない。急いで宿に入ろうとすると、ちょうどフーリンが出てきたところだった。


「あら、こんなところに」


「悪いな、探したか? あの部屋じゃ寝るどころじゃなくてな」


「私に言ってくれれば風でどうにかしたんですがね。部屋に伺ったら不在だったもので、疲れて寝てしまいましたよ」


 その手があったか、と自分の迂闊さを恨んだ。器用な風でゴミや不快な空気も取り去ってくれたに違いない。


「まぁ良い。出発か」


「いえ」フーリンが首を横に振る。「エイルーシャを今しばらく休ませましょう。本人はああ言ってますが、彼女に倒れられてはどうしようもないですから」


「そうだな。だったら俺も部屋で横になるか。掃除を頼めればだけど」


「構いませんが、その前に一つ付き合ってはもらえませんかね」


「ん?」


「もう少し見て回りたいんですよ。この街を」


 意外な申し出に戸惑った。正直、ダインとしては見れば見るほどに辛くなる場所だ。頭の中では長いこと実在さえ否定していた。いくら心が拒否しても目がメアリの面影を探そうとし、微かな痕跡さえ見えてこないことが異様に腹立たしいような、そんな街並みだった。


 第一、現状では汚物溜まりような水路以外に見るものが無さそうだ。口ごもっていると、フーリンが申し訳なさそうな顔をした。


「私、おかしいですね。これからに備えて体力を温存すべきときに、観光まがいの誘いなんて」


 忘れてください、と踵を返したフーリンの背がいたく寂しげに思え、無意識に口走ってしまう。


「嫌とは言ってない。どこに行こうか考えてただけだ」


 嘘ばかり、とフーリンが笑った。

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