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動力神と斬りすぎる者  作者: 白石 流
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第一話

 人の背丈ほどもある赤い顔面が、今も忘れられない。

 

 厚い鱗に覆われた醜悪なそれは、死を悟った脂汗と、何かを哀れむような侮笑にまみれている。


 こちらの振るった剣身が側頭部から侵入し、眼球に達しても表情は変わらない。ついに頭が飛んでも、口角は暫くねじ上がっていた。


 敵の命が消えていく。安堵し、相棒に笑顔を向けようとしたとき――視界が斬り刻まれた。巨大な死体は肉の飛沫となって吹き上げられ、岩々が裂け、四囲の荒野は幾多の刃創で掘り起こされた。


 状況が理解できない。土塊や鱗が降り注ぐなかに、見覚えのある物の残骸が混ざっている。破れた背嚢、水袋、火打ち石、瞳の蒼い眼球、生皮に付着した銀髪の束……。




 同じ顔、同じ歌ばかりが酔った脳裏を巡り続けている。


 古びた椅子にもたれ、両腕を投げ出す男。ダイン・フィング。


 無精髭が長い。だらしなく伸びた茶髪は肩にかかり、額に貼りついている。力のない黒目は卓上の葡萄酒から動かず、多量に浮かぶ埃の遊泳を見守るばかりだ。

 

 廃人然としているが、秋だというのに裸の上半身は板金鎧を思わせる筋骨である。


 必要最低限の家具類のみが置かれる石造の小さな室内には、生活に欠かせないはずの道具という道具がことごとく存在しない。壁に立てかけられた長剣だけが、くすんだ黒の木鞘を所在なさげに光らせている。


 朝日の差し込む窓からは、雑草だらけの広い庭を囲う木柵をへだてて、農村が低きに一望できた。農地と共にパン焼き場の煙にぼやけているのは、ハルトという村長の有する領主館であるが、彼は何故かそこには住まず遠くの小屋で寝泊まりをし、立派な館はもっぱら領民達に物置として使わせている。


 ハルトは妙な男だが、行き場のないところを迎え入れてくれた恩人だった。村長が他の者であれば、どう接されていたか。


 関わりにくいだろう自分をまめに気遣ってくれればこそ、自棄にならず生きながらえている。自身もどこかの戦線で片腕を失いながら、過剰なまでに明るい性格には救われてばかりだ。何か返さねばと思うばかりで早七年、こちらからは会いに行った試しもないが。


 同じように過ぎる毎日。荒れた草むらにぽつりと佇む家にこもり、ハルト以外は柵に近づくことさえ許さずに接触を断って久しいダインを、領民達は不気味に思いながら陰口をたたく。あれが破壊神殺しの成れの果てかと。


 物思いに沈んでいるとズボンに何かが触れた。白い子猫が身体をこすりつけていた。半開きの戸口から入ってきたのだろう。数ヶ月前から顔を出すようになった野良猫であり、どうあってもこの敷地に居つく物好きだ。黄色い目で意味ありげな視線を投げてくる。


 まず背を撫でてやると、喉は鳴らさず心地よさそうに目だけを細める。次に頭を掻いてやると耳を平たくして、口を少し開けて牙をのぞかせる。この表情を見ている時だけは、うつろな心が僅かに癒やされる気がした。そろそろ名前でも考えようと思っている。


「待ってろ。今なにか食い物を――」


「ダイン・フィングはご在宅か!」


 戸口が吹き飛ぶように開き、三人の騎士達が踏み込んできた。驚いた猫が外へ逃げていく。


 招かれざる客は揃って大柄で、年頃はダインとそう変わらず二十代前半といったところか。全身にまとう鎖帷子ごしにも、体つきから弛まぬ鍛錬を感じる。


 華美な装飾の両手剣を手に、ダインを取り囲んだ。


「強盗騎士か。時流の読めない奴らだ」


 ひときわ大柄な一人に殴りつけられ、椅子ごと床に転がった。倒れ伏したところに呑みかけの葡萄酒をぶちまけられ、微かに酔いが醒めた。床に積もった埃と、かび臭いアルコールが鼻先で混じり合う。


「少しでも矜持が残っているなら、立って反撃してみせろ。英雄殿」


 ダインは立ち上がりながら、


「欲しいものがあるなら持って行け。その代わり他の家には近づくな」


「取りにきたのは貴様の命。有事だというのに招集にも応じない、腑抜けきったろくでなしの首だ。国のため、民のため、ロアナート公国の恥さらしを生かしておけば全体の士気に関わる。今のような世の中、過去の栄光に甘えるだけの遺物は不要と見なすべきなのだ」


 その顔は確かな義憤に満ちている。どうやら強盗ではないようだ。


 ――目も鈍ったな……


 騎士は力説しながら傍にある長剣を蹴飛ばし、ダインの足下まで滑らせてきた。


「抜け。果たし状も公開していないが、もはやかまわんな」


「俺と戦っている場合か。お前らが剣を向けるべきは異族だ」


 異族と人間は、理解し合えぬ性情と、共存不可能な姿や生態を持つが、戦力は拮抗するとして最近まで相互不干渉を保ってきた。古の戦歴に見る双方の被害状況が酸鼻を極めるあまり、獰悪な者揃いの異族をもってしても争いによる不利益を考慮せざるを得ない状況だったのだ。


 破壊神アルスという共通の巨敵がいたことも大きい。七年前、その厄災を人間側が退けたことも手伝って、双方の仲は良からず悪しからず、関わりのない異国の者に過ぎなくなった。


 しかし四年前、地上のどこからかアルスに酷似する存在の復活が確認されたことで世は一転する。自然発生的には有り得ない事態であり、何者かの意図が関与していることは明らかだ。両陣営は互いのアルスとの繋がりを邪推し、短い平和は終わりを告げてしまう。


 以来、異種間戦争は日々激しくなり、犠牲者は加速度的に増え続けている。


「相手が違う。そうだろ」ダインは長剣を拾い、鞘からは抜かず構える。


「安心しろ。貴様のあとは、アルスを利用せんとするバケモノの連中を一匹残らず斬り殺す。我々は勝つ。貴様などいなくても、我々が負ける筈はない!」


 勇ましい言葉を皮切りに、三人同時に斬りかかってきた。初動の俊敏さだけを見ても、果てしない修練の跡が見える。まっすぐで暑苦しい闘志に心を焼かれる気がした。


 両手で振るわれた斬撃が三条。ダインが全ての刃を受け流すのと、騎士達が宙を舞うのは同時だった。足を払われ、葡萄酒で滑るよう誘導され、攻撃の外しざまに重心を狂わされたことを、どこまで認識しただろうか。したたかに打ちつけた首や頭を押さえ、混乱顔で悶絶している。


「得物に意識が流れすぎだ」


 冷たく言い放ちながらも息があがっている。余裕を装っているが、ここまで上手くあしらえたことに驚いていた。泥酔して寝ていただけの身体が、操られたように滑らかな動きをしたのだ。


「このっ……屑ごときが」


 鎖帷子は打撃等の衝撃にそう強くない。起き上がるのも辛いだろう。


「頼むから帰ってくれ」アルコールが手伝い、ふらついてきた。


「これほどの業前がありながら、戦いから逃げるのは何故だ」


 ダインは立ちくらみを覚え、膝をついてしまった。そして、何度も叫び、誰にも信用されなかった言葉を口にする。


「護るべき仲間と、罪なき自国民を殺した人間に、剣を抜く資格はないからだ」


「なんだ、それは」


 そのままの意味だと答えて立ち上がろうとすると、よりいっそう強力な立ちくらみで視界が砂嵐に覆われた。倒れかけ、とっさに卓に掴まろうとした手には長剣が握られている。鞘が卓の角に当たった――感触がおかしい。剣身が直に触れている! 攻撃を受け流したとき、使い込んだまま長らく放置していた鞘が割れて刃が露出していたか。卓には思いのほか深い傷が刻まれた。


 まずい。そう思うより早く騎士達が細切れになった。床、壁、天井、家具類、細かな小物の一つ一つまで、何もかもが同時に爆ぜるように斬り飛ばされた。


 材木や血肉が舞い狂うのをかき分け、戸口へ走った。野外に飛び出したのを見計らったように主柱も断裂し、家は無残に倒壊する。


 粉塵と瓦礫の山、数多の刃創で抉れた庭に、長剣一本で放り出されたダイン。恐れていたことが自分の間抜けによって現実化してしまった。


 罪のない愚直なだけの人間を誤って殺した。残酷に斬り刻んだ。思い人を屠ったあの日のように。アルスとの決着と同時に発現した、何かを斬ると周囲のあらゆる物が斬れるという特異な現象をもって。対象は見境なく、加減はほとんど利かない。


 剣で斬らなければ良いのかと思ったが、何であろうと武器・道具で人や物を傷つければ結果は同じだった。目視できないような微細な傷のほかは、どの程度であっても大惨事に繋がる。


 だからナイフやフォーク等で食事ができない。薪が割れず草も刈れない。衣類が破れたときに裁縫もできない。誰かと共に戦うなど、もってのほかだ。


 世界の命運と引き換えに、ダインは何気ない日常を失った。人生の意義を、希望を、最愛の女性を微塵切りにした。これは力というより、ひたすら理不尽な呪いに過ぎない。こんな憂き目に遭っておきながら、肝心の仇敵は復活したと騒がれている。今さら戦意など湧こうか。


 ひとしきり呆然とし、現実に目を向けてみる。すぐに遠巻きに集まってくるだろう見物人達に、事態をどう説明したものか。瓦礫を撤去し、その下の死体もどうにかせねばならないが。


 ハルトに言えば領民を動かすだろうが、気が咎める。どこかの業者に依頼し、この猟奇的な惨状を見せつけるか。一方的に決闘を挑んできたのが相手側とはいえ……。


 ふと、庭に刻まれた刃創の群が、ある程度の方向性をもって瓦礫の山の横手から奥へ続いていることに気付いた。悪寒に導かれるように辿っていくと、木柵の根元に白いものが二つ転がっていた。血液の絨毯に白毛が際立っている。内容物を失い、薄くなっていた。


 名前もない子猫が、はっとした顔で両断されていた。


「……何の罰なんだろうな」


 乳白色の曇り空が明るい。友の死が克明に照らされている。


「納得いく筈ないよな。俺たちは、ただ生きてきただけだ」


 謝罪の言葉さえ見つからないまま、小さな友を埋葬した。盛り土の前で、涙の一つも出ないことには空疎な諦めがあった。いっそ、邪魔なだけの長剣で、どうしても捨てられなかったこの長剣で自らを刺し貫こうかと思い詰めた。


 耳を抜ける風に思考が途切れた。絹のように柔らかく、優しい微風だった――。それはどこからか一輪の白い花を運び、盛り土に添えてくれた。


 人の気配を感じる。風上を見やると、影のような女が立っていた。シャツと見まごうほど薄手な革鎧が、身体のラインに沿って全身を鈍い黒で覆っている。荷物はなく、胸に光るのは銅の十字架だ。風体が分かる距離ではあるが、風になびく腰近くまでの白髪が顔貌を隠してやまない。


 ――年寄りか?


 動きや体つきは若々しいが……。女が歩を進めてきた。一歩一歩と寄ってくるたび、白髪が色変わりする様に目を見張ってしまう。あまりに艶のありすぎる髪が、曇り空をことごとく反射して同色と化していたのだ。雲の形まで映し出そうかという鏡面の髪が、光の加減によって徐々に目のくらみそうな漆黒へ染まっていく。


 さながら時間の逆行、生命の巻き戻しだった。風が止み、露わとなったうら若い顔。目から、目が離せなくなった。プラチナグレーの光彩に放射状の雷がはしるガラス玉を、見ずにはいられない。不思議と脂汗がにじんできた。


 女の第一声。


「いつまで経っても、曇っていますねぇ」


 え? と間の抜けた声を出してしまった。ダインと違い、女には一切の緊張感がないようだ。脇をすり抜けて盛り土のそばへ行き、しばらく胸の前で手を組んでいた。


「どこの者だ。柵の外へ出ていけ」


 祈り終えた女は、無表情で空を見上げた。


「フーリンと申します。判定神院よりダインさんを訪ねに参りまして」


「判定神院……?」


 その名を聞いてから女――フーリンの胸にある十字架と思っていたものを見直すと、やはり妙な形状をしていた。各地を旅していた頃、遺跡や神殿で何度か見かけたのと同じ、皿のない天秤を象った紋である。たしかに判定神という者の象徴だと聞いたことがある。


「悪神と善神、悪人と善人を見定め、それぞれに応じた賞罰を与える判定神。その一角であるノルン様が営む施療院……のようなものです。表向きは単にノルン邸ですが、実態を知る我ら神官は判定神院と呼ぶことがあります」


「神が……営むだと? いきなり戯れ言を吐くな」


 人類の前に現れた神にはアルスの例があるが、あれは数千年に一度とされる天変地異の類だ。人に紛れて施療院経営など、寓話にしても出来が悪い。どうかしてるんじゃないのかと言いかけるのを遮って、


「人間では一部のみが知ることですから、首を捻るのも当然です。いつの頃からか、天界にいた主たる神々は地上に降ろされ、配下である神官以外には正体を隠し、巧みに姿形を切り替えながらお役目を果たしておられるのです」


「何のためにだ」


「〝世界そのもの〟である存在の決断とだけ、今は申しておきましょう。この場で本題とすべきは、悪神のために再び我々の世が終わりに向かっていることです。すなわち――」


「待て」荒い語気で台詞を打ち切ると、フーリンが大きな目を瞬かせた。「話の向かう先は読めた。お前に言われなくても世情くらい分かっているからな。要するに早く戦いに出ろと言いたいんだろ」


 フーリンは涼しげに、


「敵は異族でもアルスでもありませんが、あなたの協力が必要です」


「どうにも筋が見えてこないが、共に戦線に立てるつもりか? 俺のことを何も知らないようだ」


「知ってますよ。抜けもしない長剣を、誰かの墓石のように未練がましく拝んでいることもね」


「なんだと、お前」


 突然の棘のある物言いに逆上しかけた。フーリンは背を向け、小さな溜息をつくと再び空を見上げた。葡萄酒で汚れた自分の顔が後ろ髪にうつり、風でばらける。


「今朝は曇っていますねぇ」


「それがどうした」


「いつから曇っているんでしょうか」


「は?」


「いつから、朝なんでしょうか」


「また意味の分からないことを……」


 呆れつつも、気の遠くなるような感覚を覚えた。意味深な言葉に、重大な認識の皮を剥がれたような。


「魂の強さによって個人差が大きいのですが……。貴方はまだ、他者の言葉によって我に帰れそうで何よりです」


 明らかに違和感はあるが、その正体が言葉に出来ない。いつから朝なのか、曇っているのか。代わり映えのない日々を過ごしてきたとはいえ、こんな問いに戸惑うほど呆けていただろうか。


 今朝がいつ始まったのかが分からない。もっと言えば、昨夜と先週の区別も曖昧だった。


 頭が惚けている、昨日のことが昔のことのように思えるといった、生やさしい理由では説明がつかない。限りなく巨大で絶望的な気付きを、フーリンがあっさりと言語に変えた。


「今まさに、世界は停止の(きわ)にあります。現在のところ〝一日〟と認識されている時間は、かつての四日間に相当するのです。ダインさんは近頃、体調不良はありませんか」


「大いにあるが、それは俺が――」


「身体が鈍っているから、酒を飲み過ぎたから、精神を患っているから等々、一つの疑いもなく自分を納得させ、大いなる流れには原理的に気づけない。それが神と人間の差ということです。本当の原因は、一日分の力で四日を生きるという魂の希釈。命が薄く引き延ばされていると表せるでしょう。動植物も無機物も、神や星でさえ例外はあり得ません。今はまだ体調不良で済みますが、このままでは一日は一年、百年となり、やがて停止に至ります」


「そんな真似ができる悪神が、この世に紛れていると言いたいのか」


「北大陸。ベリア公国の君主にして、四大陸随一の城塞都市ラルタルに住まう男……エイリー・ケイオス公」


 誰もが知る名前だった。実質的に北大陸を統べる男。負け知らずの武名は、海を隔てたこの南大陸にも轟いている。しかし、いつからか勇猛な話も聞かなくなり、何ら音沙汰ない。理由に関しては様々な憶測が飛び交うが、確かなことは不明だ。それにしても、そのエイリーが神であるとは突拍子もない。


 話に順応しようと努めていると、フーリンは微かに畏れを滲ませ、重々しい単語を言い放った。


「動力神。それが天界にて授けられたエイリーの役割。存在自体が世界の動力源であり、あらゆる神格のなかに於いて最高位の能力を有しています。奴は今、自らを封じることで世界の動力循環を滞らせているのです」


「存在自体がってことは……エイリーを斬ればどのみち動力は途切れるんじゃないのか」


「私はノルン様に仕える神官の一人として、エイリーから動力神の座を奪うために送られました」


「そんなことが」そこで、すっかりフーリンのペースに呑まれていることに気付いた。話の内容が内容なだけに聞き入ってしまい、このまま共にラルタルへ繰り出す勢いだ。「ついていけない部分が多すぎるが、大体の理屈は分かった。お前の気が触れてるんじゃなけりゃ、一刻の猶予も無さそうだな」


 力強く首肯するのを、冷たく突き放す。


「それじゃあ、さっさと座を奪ってくれば良い。俺と無駄話してる暇なんかないだろ」


 フーリンの額に青筋が浮かんだ。意外と感情が豊かなのかも知れない。


「一人じゃ無理だからダインさんに助力を乞いにきたんです」


「自分の役割が果たせないのか。ノルン様もがっかりだな」


「何故に他人事なんです。あなたが守った世界も、そのために犠牲にしたものも無駄になるんですよ」


「お前はもう黙れ!」自分でも意外なほどの激昂だ。一気に詰め寄って怒鳴りつける。


「確かに俺は全てを犠牲にした。その後でさえ、苦痛を抱えてただ呆然と暮らすことすら許されない。どうせご存じなんだろうが今日だけでも猫と家を失ったよ。これ以上なにを捧げればいい。命か? それなら心配は要らないようで安心した。有り難い神様に会ったら伝えておいてくれ。『もっときつく栓を締めろ』ってな」


「ダインさん……」


「それに俺は、世界を救ったと言われるのが一番嫌いだ。俺は自分の世界を何ひとつ守れちゃいない」


 箍が外れてまくしたてると、フーリンの表情が大きく変わった。ダインの投げやりさの原因となる諸々の出来事を、どこかで追体験してきたかのような悲哀の歪みだった。


「そうやって田舎の端の角っこで腐り続けていくのが本望ですか」更に表情が歪む。目尻の光は涙か否か。「動力の断絶を待つまでもなく、もう……七年も前から停まっているんじゃないですか。私は、ダインさんがこのまま終わっていくのを見たくない。だって、だって貴方は何も――」


 警鐘の大音響に、やりとりは打ち切られた。村はずれの高台に立つ独立監視塔がけたたましく鐘を打ち鳴らしている。ただ事ではない音量で耳が壊れそうだ。


 続いて、そんな警鐘すら掻き消してしまいそうな獣の絶叫が高みより耳を突く。遙か遠方、白日の空から何かが飛来してきていた。かなりの速度だ。蠅ぐらいに見えるかと思えば、既に一つ一つの輪郭が分かる距離まで迫ってきている。三十体ほどの異族の軍勢であり、方角からして首都に向かう道すがらだろう。


「海の方からか……滅多にないことだぞ」


 この時代、ダイン達が知る世界は――極めて大雑把だが――ピリミ大海を中心とした東西南北、四つの大陸がほとんど全てである。


 元より異族達は、外界と呼ばれる四大陸の外側、人間未踏の地より包囲的に攻めてきた経緯がある。その名残で、各大陸のピリミ大海側が人間領、外界側が異族領という配分で落ち着いているのが現状だ。


 つまり依然として人間は異族に囲まれており、紛争は主に内陸の国境沿いで頻発している。ここロアナート公国は南大陸の最北地方に属し、最も戦いから遠い場所の一つなのだが。


「続きはあの中で話しましょう」


 いつの間にか元の無表情だが、僅かに紅潮が残っている。


「あなたにも他人を守ろうという気概は残っているのでしょう? さっきは格好よかったですよ? それとも、戦えるのは私だけですかね」


「お前はどこで俺を見ていたんだ! 本当に嫌な奴だな」


 そうは言っても、どうなるか。先ほども猛威を振るった力の出番だろうが、ダイン自身もあれの全てを把握できてはいない。威力や範囲に大きなバラつきがあり、調整方法も分からないのだ。


「フーリン、邪魔だから逃げろ。俺の力を知っているなら」


「巻き込むのが心配だとは、私の台詞でもありますよ」


 もう互いの声が聞き取りにくい。敵勢力との距離、約四百メートル。生ゴミと獣臭が腐ったような空気が鼻にしみてきた。

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