百目鬼という名の世界
特に玄人が、百目鬼に置き去りされたことに落ち込んだ。
彼はあの日以来沈みがちになり、俺達はあの日以来体を重ねるどころか、以前の軽くふざけあう関係でも無くなってしまったのである。
俺は百目鬼に話し合わねばと彼の後を追い階段を上がって行き、パタンと閉まった物置の扉を続いて開けた。
「百目鬼さん。」
狭い物置で屈んで荷物を置いている彼の後姿がぴくっと反応した。
畜生、なんて素晴らしい後姿なのだ。
「何だ?淳。せっかく良純さんだったのが百目鬼さんに戻ったのかよ。クロを手に入れれば俺におべんちゃらは不要になったか?」
俺は言葉が詰まった。
彼に嫌われたくないと願う自分が此処にいた事に気づいたのだ。
玄人は口実だ。
愛する人を口実に使う俺って一体なんだ?
そこまでして振り向いて欲しい百目鬼は、俺の一体何なのだ?
「どうした?お前は仕事はいいのか?クロとやりたいなら店が開店した後だな。あれは完全に当主の頭になっているから、落ち着くまで何もできないぞ。」
彼は俺に何の感情も無い言葉をかけて、俺の横を素通りしようとした。
「なんだ?」
俺は無意識に百目鬼の左腕を掴んでいた。
「どうした?淳。」
金色の目を煌めかせて俺を射る。
俺は彼に言うべきことを忘れて、同じ身長で同じ位置にある顔の唇に口付けていた。
百目鬼が喉の奥で笑い声を響かせた事を感じた。
そう、感じただけだ。
俺は以前彼にされた報復のように、彼に口付けて彼を調伏しようと試みた。
彼のほうが一枚上手だったが。
前回は俺の下半身は一切触れなかった男が、俺の尻を性的になで上げたのだ。
ハッとした俺は彼から顔を外し、余裕綽々に微笑む悪魔に俺が調伏された事を知った。
「お前は本当に可愛いヤツだよ。」
物凄くいい声で含み笑いをした男は、ぐっと俺の腰を抱いて口付けた。
俺は玄人が欲しかったが百目鬼も欲しかったのだ、と、自分に認めるしかなかった。
彼にからかわれて仲間外れにされる度に、必要以上に傷つき落ち込んだのは、俺が彼を愛していたからだと、俺は自分に認めるしかなかったのである。
玄人の「僕の世界は良純さんのものだ。」という告白に俺は嫉妬して苦しんだが、百目鬼の世界に存在する玄人を俺は愛したのだから、世界の創造主である百目鬼を排除する事など出来る訳が無いのだ。
そして、多分どころか、今回も彼ではなく、俺だけが彼に耽溺してしまった。
俺は玄人が物置に入って来た事も気づきもしなかった。
玄人に気づいたのは、百目鬼が俺から離れてしまった事による。
彼はぱっと離れなかった。
含み笑いをしながら悠然と俺を手放しただけだ。
手放された俺は百目鬼の視線を追い、玄人の姿を認めて、俺が百目鬼からぱっと離れた。
そして涙目の赤い顔をした玄人に、鬼は残虐な台詞を言い放ったのである。
「お前はマグロだから仕方がないだろう。お前も自分から動いて見るか?」
俺は百目鬼の言葉に、ハっと息が漏れた。
この男はなんて酷い事を言い放つのだ。
そして、俺の恋人は鬼とよく似た所がある子鬼でもある。
「僕は、マグロにしかなれません。僕が邪魔なら僕は家を出ますから、お二人でお幸せに。アンズの引き取りと荷物の片しが明日以降になりますけど……。」
アンズとは玄人のとても大事にしているモルモットの事だ。
アプリコット色のモヒカンのような鬣があるスキニーギニアピッグを、彼は何よりも愛して可愛がっている。
その子を連れて家を出るということは、家には二度と戻らない覚悟だ。
「ちょっと、クロト。短絡的に考えないで。これは。」
「いいんじゃない?俺は明日も仕事だからね。出て行くならお前の合鍵で勝手に入って勝手に荷物を持っておいき。」
玄人が百目鬼の言葉に両目を大きく見開いた。
百目鬼はその顔を人差し指でなで上げると、ふっと笑ってその横を取り過ぎ部屋から出て行った。
目の前には青白い顔で立ち竦む玄人。
俺は一番大事な恋人から、彼が存在できる世界を奪ってしまったのだ。




