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お前は俺には狸親父でしかない

 室内は火事によって、小火だな、で、燻製されて黒く煤けて荒んでいる。

 電気も止められているため明りがつかないので、室内の明りはベランダからの太陽光に頼るだけだ。

 しかし、昼日中だというのにどんよりと暗い室内である。

 署長は俺達に靴カバーを渡すとそれを彼も装着して室内に上がり、誰もいない空間で挨拶までしている。


 とうとう惚けたか。


 左側が生暖かく突っ張ると思ったら、玄人が俺にしがみ付いてぴったりとくっ付いている。

 何も見えないように俺の袖に顔を埋め、静に震えているのである。


「えぇ、野々上司令。犯人は捕まりました。今回は被害者二名で犯人を止めることができました。ですからもう、あなたが何度も亡くならなくてもいいのですよ。」


 署長の声に続き、ドアが閉まる音で玄人から顔を上げたが、やはり署長の目の前には何も無く、彼だけがぽつんと煤けて空虚な空間に立っているだけだ。


「なんのおふざけだよ。俺達がここに来る必要があったのか。」


 後ろ向きのままの彼は、後ろ向きのまま俺に答えた。


「野々上司令という人はね、司令という立場から様々な現場の中から特定の現場の同一性に気づいて、それで一番最初に東の凶行に気づいて止めようと頑張った人なんだよ。当時刑事になりたての北原とね。だけど、野々上司令は呪術の三人目に選ばれて殺されて。それを苦にさ、北原は頑張っていたのだけど、彼は過労で心臓発作でね。まぁ、凶行が始まる度に野々上司令にこの部屋へ呼び出され、彼の死んだ現場を検証させ続けられたんだ。北原は辛かったろうさ。誰にも相談ができずにね。」


「あんたも辛いのか?」


 後姿の男に問うた。

 俊明和尚しかいなかった俺の世界に現れ、俊明和尚が亡くなった後も俺の世界に居続けた恩人であり、俺の相談相手でもあった三厩隆志。

 楊が担えなかった俊明和尚の代わりとなれた、俺のしばしの親代わり。


「親はしゃんとするものだろう。辛くってもそのまま、まだ署長のままでいろよ。」


 俺は玄人を抱えたまま、俺に向き合おうとしない後姿の三厩に吼えた。

 お前が三厩隆志を辞めた事で、お前は俺に喪失感を与えたのだ。


「俺は他の奴らと違ってお前を忘れられないのだからな。そう簡単にコロコロ成り代わるんじゃねぇよ。」


 三厩はフフフと肩を震わせて笑い、俺のむかつく言葉を言い放った。


「君は本当に鈍い。」


「俺はふ、つ、う、の人なんだよ。こんな殺風景な部屋に無理矢理連れてこられて察しろって言われてもね、普通は無理だろ。俺はそんな俺が全然おかしいとは思わないね!」


 腕の中の子供が震える。

 玄人は俺の言に笑い出しているのか。

 気持ちがほぐれたらしき彼の頭を撫でて、もっと懐へと引き寄せる。

 そして、引き寄せて、彼が笑っているのではなく、体の震えが酷くなっていただけだと気がついた。


「クロ、どうした?おい、用事がこれで終わったのだったら、子供の具合も悪いようだし、俺は今すぐに帰りたいのだけどね。オコジョをさっさと俺の車から引き剥がし――。」


 俺は後姿の男の姿形を見返して、その後ろ姿が中年太りどころか今の和久そっくりなことで、ようやく三厩が言わんとしていた事に気がついた。


「お前は武本なんだな。三厩ではなく、武本の蔵人の父親の方だったのか?」


「僕は行人ゆきひとではないよ。武本家の次男が跡取りのいない三厩の養子となっただけの話だ。ただ、兄がね、行人が戦死して戻ってこなかったから、僕が兄の子供達を育てて、時々兄の振りをしていたってだけだよ。あそこを他人に奪わせるわけにはいかないからね。頑張り過ぎてこんな体になっちゃったけどさぁ。」


 ゆっくりと振り向いた男の顔は、玄人の従兄の和久の面影がある若々しい男の顔をしていた。

 そうだ、彼が術を使ったのは戦後すぐ。

 二十代の青年の時のはずだ。

 まじまじと俺が見つめる目の前の男の顔は、いつもの人の良さそうな丸顔でなく、顎のしっかりした頬骨の高い顔であった。


「それが本当の姿か?あんたは本当に妖怪なんだな。」


 目の前の若返った男は、東北人らしき彫の深い顔に険しい表情を浮かべた。


「それだけ?」


「俺は帰りたいし。どうでもいいんだよ。あんたが元々は三厩だろうが武本だろうがな。あんたは俺の前で三厩隆志だって紹介して、俺達はそれで邂逅を持ったんだ。だからあんたはずっと三厩隆志のままなんだよ。それでも成り代わられると俺と親交を絶ちたいように思えるからよ、もうしばらくは署長でいろってだけだよ。」


 若返った三厩隆志は俺の言葉にひとしきり笑うと、真面目な表情になった。


「僕が君達をここに連れてきたのは、野々上司令の浄化の為の経を君に上げてもらうこともそうだが、玄人にね、伝えたい事もあったのさ。」


 玄人は一層ガクガクと震え、俺の中に入ってくる勢いでギュッと俺に抱き付いている。


「ここじゃないと駄目なのか?」


「玄人の状態を見ればわかるでしょ。この子はこの部屋の住人に怯えているわけではなくて、この敷地こそに怯えているのだよ。そして、この部屋は惨劇があったがための、封印が決壊した場所かな。――つまりね、ここは神社があった場所なのさ。武本が願をかけた神社ではないけどね。」


「願、……あ。」


「白波さんとこみたいに古い神様が生き残れるのも珍しい話だよ。御利益があるって神様は、大体がそこに住む人達が自然発生的にして拝んで来たエネルギーだ。そういった御利益がある神様の力を使って呪いをかける事もある。夏に君達に聞いて、単なる願掛けだったとはと、僕は脱力しちゃったけどね。」


「ああ!」


 俺はようやくこの男の目的がわかった。

 彼は武本の呪いを解く道を探していたのだ、と。

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