呼び出し
高級というほどでもないがそれなりの物件でもあるのに、そのマンションとまではいかない賃貸ハイツは廃墟化してしまっていた。
低層で小規模の建物でありながらエレベーターが付いており、エントランスはオートロックで、留守宅用の宅配専用ボックスまでも設置されている。
管理に関しては申し分のない物件だ。
共有部分のその照明器具にも切れた電灯はなく、照明カバーにヒビどころか虫が入っている様子もない。
ゴミの保管倉庫もちゃんと管理されており、自転車小屋に関しては無駄な駐輪自転車もない。
管理の悪い所は、近隣住人によって不要の廃棄自転車が置き捨てられたりもしているものなのだ。
建設会社も管理会社もしっかりしているからか、外構も植木も手入れがしてあり築年数を感じさせないが、事故物件となった部屋があるために居住者が殆んどいない様子だ。
遅かれ早かれこの物件は流れるな、と、俺は頭の中にメモをした。
「ほら、玄人!入って来なさい。」
妖怪署長がオートロックの内ドアを押さえたまま、郵便受けの並ぶエントランスポーチからオートロックドア内のエントランスホールに入って来ない玄人に声をあげた。
「嫌です。帰ります。僕はここには入りたくありません。」
玄人はポーチの片隅にきゅっと縮こまり、ドアを押さえる署長がギリギリ手の届かない場所にいる。
俺達が、特に玄人がここでぐずぐずしているのは、署長に呼び出されたという事もあるが、俺の車がエンストしたので帰れないという理由だ。
玄人がマンション近くのコイン駐車場に車を乗り入れた時点で「帰りたい」と訴えた時、俺は玄人の言い分をあっさりと受け入れて駐車場から車を出そうとはしたのだが、そこで車に再びエンジンをかけている最中に車内で点灯していた全ての明りが落ちたのである。
「畜生。外車は電気系統が弱いって楊が言った通りか。」
電気系統が壊れたたらしい表示が出ており、JAFに電話をかけようとスマートフォンを取り出した矢先に、俺の車の前にはニヤついた年を経た妖怪が立っていた。
「仕事が終わったら帰してあげる。それまでこの車は人質ね。」
「お前の仕業かよ。」
「嘘!オコジョまであの人は使えるの!車に貼り付いている子達、全部ウチのオコジョです。」
俺も吃驚だよ。
三厩は嘘吐き鼬で、武本が雷獣オコジョではなかったのか?
「以前に言ったでしょう。武本も三厩も兄弟のようなモノだって。」
「え、神崎署長は三厩も武本も関係ない人でしょう。」
不思議そうな顔で玄人が俺に振り向くが、彼は目の前の男が三厩隆志であった事を忘れているのだから仕方がない。
「あいつはもともと三厩の人間なんだよ。」
玄人は目を見開き、そして目の前の三厩でもある妖怪を呆然と見返した。
「ホラ、早く。完全にエンジンを駄目にしちゃうよ。」
仕方が無く俺達は車を降りて署長の後を付いて行くことになったが、結局玄人が今の状態だ。
「ねぇ、お父さんの君、この子なんとかならない?」
俺も早く帰りたい気にもなってきているので、大きく息を吐いた。
「おい。どうして嫌なのか言ってみろ。」
スリムジーンズに白いロングニットを着せたのは俺だが、頭にいくつも髪飾りを飾った馬鹿は彼である。
そんなどこから見ても可愛い小動物の風情の玄人は、目をうるうるに潤ませて俺を見つめ返してから口を開いた。
「だって、怖いもの。」
「帰っていいか?」
「駄目だって。なに簡単に絆されているの。父親は子供に対してしゃんとしないといけないでしょ。」
妖怪は俺達を目的の部屋に連れて行くまで帰さない気なのはわかったので、早く帰りたい俺は使いたくない方法を使わざる得なかった。
「クロ!俺への早い誕生日プレゼントだ。お前の頑張りを俺に見せろ。」
玄人は物凄く嫌そうな顔を俺にむけたが、よろよろと立ち上がり俺の方へとトボトボとやってきた。
そして、俺に復讐もした。
「今ならマッキーを使って良純さんが大好きな豪華客船の南の島ツアーだってできたのに。マッキーに浮かれている辰爺からヨット一隻くらい奪う事だって。」
「父の日って手もあるぞ。」
玄人はゲっと声をあげて、顔にしまったの表情を浮かべた。
「ホラ、いい加減に行くよ。」
最近五十年寿命を削られて老い先が二百五十年に戻った妖怪は気まで短くなったようで、いらいらと俺達をせかした。
俺達をエレベーターに乗せて彼の目指す三階へと辿り着くと、今度は彼の知人の部屋の前に俺達を追い立てるようにして立たせたのだ。
部屋はどうみても完全に空き家である。
「留守なら帰るぞ。」
「君は本当にろくでなしだな。坊主だったら人付き合いを大事にしなさいよ。」
妖怪署長は確実に無人らしき部屋のインターフォンをわざわざ押し、応答が無いインターフォンに「北原」だと名乗ってから中に入って行くではないか。




