ただ愛せと魔物が囁く
玄人の呟きを聞いた山口の涙目を目にして、俺は噴出してしまった。
「酷い!抜かないで下さいよ。いくら絶対的なクロトの言葉でも、俺の木は抜かないで!ね、クロト!いいでしょう。」
玄人は山口に言葉を返すどころか、タタタと俺に駆け寄るや俺の真横に並んで立ち、顎を上げて唇を尖らせ、偉そうに腕を組んで山口を威嚇するだけだ。
俺は本気で慌てている山口と、焼餅を焼いて山口を苛める玄人の姿に笑いが止まらなくなってしまっていた。
玄人の頭で輝くピンは、俺の作ったトンボ玉だ。
俺はそっと右手で彼の頭を撫でた。
一族全員に愛され、姿かたちが変わっても受け入れられた玄人は、生贄の羊でしかない。
武本家の期待の星は和久で、玄人はそのための呪い避けの身代わりの人型なのだから、そのためだけに作られた生き物がどんな形をしてようとかまわないというだけなのだ。
当主にだけ「人」の文字を与える武本家において、玄人の父が「器が無い」と隼と名づけられたのも、誕生時に既に才能豊かと見極められた和久が和久だったのも、すべては呪い除けである。
武本家の当主となった男児は五十歳までしか生きられない、という呪い。
だが、武本家の呪いはもう一つある。
「当主がおわす限り武本は栄えますように。」
当主が不在になると武本家は終わるのだ。
玄人の祖父蔵人は、和久の為に当主を決めずに武本家を潰す事を考えた。
しかし、自身も床に付き死の覚悟を決めたその時に、妻の年の離れた親友である沙々が恐るべき可能性を囁いてきたのだ。
彼が亡くなれば彼の遺言など無視されて、結局和久が当主に持ち上げられる可能性が高い。
名前など関係なく、「当主」という存在が呪いの対象となるのだと。
蔵人は沙々の言葉を受け入れた。
彼女の生んだ子に「玄人」と名づけ当主と決めた。
玄という暗く黒い文字を当てたのは、無垢の赤ん坊を生贄に捧げた行為により自身も呪いが薄れ、結果として己が生き長らえた事への罪悪感からだろうか。
「私が当主を生んであげるって言ったの。私は独り身に疲れていたし、産んだ子が生まれ変わりでも無くても、愛して愛される存在が私には必要だったのよ。」
俺の自室から居間に戻って来た玄人は沙々に抱き寄せられ、縫いぐるみのように彼女にあやされていた。
沙々は玄人の髪を撫で、抱きしめ、頬ずりをする。
玄人は一方的な愛情をただ受ける動くぬいぐるみか?
俺はいたたまれない気持ちになって玄人を沙々から奪おうと手を伸ばしたが、沙々の膝から顔を上げた玄人の目が涙で濡れているのを目にして手を引いた。
「私は後悔していないわ。後悔なんてする訳がない。こんなに愛おしくて、こんなに可愛い子供を抱けるのだもの。」
「クロは五十までしか生きられないと知っていてか?」
「生まれた時のこの子は二十歳までは生きられない体だった。私が生まなければこの子はこの世にさえいなかったのよ。この子の存在が無い世界などあなたには考えられて?失ったら辛いけれど、この子の存在は私達には喜びでしかないでしょう。失った喪失感は、愛して愛されたという時間があってこそなのよ。」
俺は化け物に、喪失感を感じられる人生こそ満ち足りた幸せなのだと諭されたのだ。
だからこそ、愛せる時に愛し尽くせ、とも。
確かに、俊明和尚の死が俺にいかほどの喪失感を与えたか知っていても、俺は彼に出会えない人生など絶対に選ばない。




