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失った時の慟哭を知るためにあなたをその手にかけるべきか(馬13)  作者: 蔵前
十九 時間を巻き戻しても私はこの人生を選ぶ
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俺はあなたについていきますよ

 住居も決まり入籍も済ませた早坂夫妻は、百目鬼の家に挨拶に来たそうだ。

 上等な服を纏い、絶世の美女を腕にぶら下げた早坂になった加瀬は、やはり好感の持てる加瀬のままで、深々と百目鬼に土下座をして謝って来たという。


「えー。もう顔を上げなさいよ。あなたがそんなに頭を下げるもんじゃないって。大体、あなたが悪かった訳じゃないでしょ。」


 ちゃぶ台で偉そうに茶菓子に齧り付く女の太々しさに、百目鬼はカチンと来た。


「よくわかってんじゃねぇかよ。お前こそ少しは面倒掛けた俺達にごめんなさいは無いのかよ。」


「五月蝿いわね。あんたは坊主だったら、些細なことは流しなさいよ。」


「いや、ちょっと、沙々さん?」


 加瀬は年下にしか見えない物凄い年上女房をびくびくしながら宥めはじめ、百目鬼はその様子に、前世の早坂辰巳が心臓病で死んだのはこの女のせいじゃないのか、という考えが頭をよぎった程らしい。


「まぁ、私はこの糞坊主じゃなくて息子に会いに来ただけだからね。ほら、玄人!どうしたの!ママに顔を見せなさいよ!」


 居間で天井に向かって沙々が大声で叫ぶと、二階から人の動く気配がして、その気配はゆっくりと居間に向かって来た。

 そろそろと襖が開けられ、ヒョコっと玄人が顔を覗かせる。


 その時は玄人の無駄毛は殆んど取れていたが、玄人は数年ぶりの母親に対しての自分がどう振舞っていいかわからず、百目鬼の自室に逃げ込んでいたそうだ。


「仕方が無いですよね。ママと叫んで抱きつくには大人過ぎるし、それに自分が母親の愛人再生の為に生まれたって母親に知らされればね。」


 彼は亡くなっていた母を無条件に愛していたのだ。

 それがあの魔物だ。


「お前は優しいよな。お前のその優しさが沙々に無くて良かったよ。」


「え、どういうことですか?」


「いやな、沙々からクロが隠れていたのは、周吉や沙々から親子で住まないかって申し出があった事もあるんだよ。沙々も八年前はクロを猫っ可愛がりしていた母親だっただろ。加瀬はクロに惚れていた事もあったから、全然オッケーどころか喜んでってな。一緒に色々な国を廻りましょうとまでクロに言ったぞ、あのマッキーは。」


 玄人は良純宅から出たくないと思いながらも、幸せだった母親との暮らし、母親に愛される暮らしに憧れを感じてもいたのだろう。

 彼はおどおどと居間に顔を覗かせた。


「その様子がさ、この俺でさえ可愛がってやりたくなる可愛らしさでな。加瀬が見惚れて溜息ついちゃってさぁ。」


 しかし、八年ぶりの邂逅に関わらず、玄人の可愛らしさに嫉妬した沙々は、白雪姫の継母同然に豹変したのだという。


「なにこれ!私よりも可愛いは許せない。私が一番美人で一番可愛いのよ!その睫毛、糸切りバサミで全部刈ってやる!そんな髭と無駄毛大臣の癖に!」


 玄人は母親から逃げ出し、百目鬼の自室に再び閉じこもってしまった。

 沙々はチッと舌打ちをすると、階下から大声で我が子に叫び声をあげた。


「モルモットは食用ネズミだって知っていた?戻って来ないとから揚げにして食べちゃうわよ!」


「そんなに凄い母親なんですか?」


 俺は唖然としながらも、再び同じ質問を百目鬼に繰り返していた。


「お前の義母だな。頑張れよ。」


「良純さんは何なんですか。」


「え、俺はクロの単なる養父だろ。養子の子供の実親と養父ってさ、普通は関係ないし、親戚付合いもしたくなければしなくて済むかなぁ、なんてね。」


「パパァ、俺はあんただけに付いて行くよ。」


 抱きついた俺は百目鬼に転ばされ罵られた。


「誰がパパだ。ふざけるな、馬鹿!」


 畳に転がって俺は笑う。

 百目鬼も笑う。

 俺達は玄人が短命でも不思議な体でもかまわない。

 ただ愛し続ければいいのだと思い知ったからだ。

 毛むくじゃらにならない限り。

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