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失った時の慟哭を知るためにあなたをその手にかけるべきか(馬13)  作者: 蔵前
十九 時間を巻き戻しても私はこの人生を選ぶ
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玄人不在であるけれども

 百目鬼は文章だけではなく、撮られる事を嫌がって逃げ惑っている玄人の写真まで送付してくれたのである。


 原人のようなクリーチャー状態の玄人をだ。


 せっかく毛むくじゃらの玄人のイメージを払拭できたばかりであったのに!


「ハハッ。似合わない。チビにひげも脛毛も似合わない。へ、変な生き物だ。でもさぁ、加瀬がチビの母親と結婚しちゃうとはねぇ。」


 加瀬は挨拶もなく、そして相模原にも戻って来なかった。

 警察を辞めたのだ。

 彼は俺達に会わせる顔がないと手紙を送ってきた。

 対の玄人は幼稚園児のような文字と文章だというのに、加瀬の手紙は真面目そうな彼の性格が窺える丁寧で綺麗な文字と文章で、俺達への感謝と謝罪で溢れていた。

 手紙には神職を取るための勉強を始めた、とも書いてあった。


「マッキーはようやく前向きになれたんだねえ。初めて自分で行動してのこの結果は可愛そうな気もするどさ。」


「かわさん。マッキーはいつもポジティブだったじゃないですか。」


「そう振舞っていただけでしょう。彼はちびと似ていたよ。人に好かれるためには流されて、嫌だと思っても嫌と言えない。」


「かわさんはそれを知っていてマッキーなんてあだ名をつけたんだ。」


「そこはよく見ている上司ですねって、褒めないか?山口も酷い奴だな。俺って本当に可哀想だよ。」


 俺は楊の、可哀想、という言葉に吹き出し、楊は俺の背中を軽く叩いた。


「行っておいで。それであいつらに甘えてこい。自分一番のあいつらがお前を甘やかせてくれる気はしないけどね。」


「かわさんたら。行ってきます。」


 俺が百目鬼に送ったメールには、休みにそちらに行っていいかの一言も入れてあったのだ。

 百目鬼からの返事は、メールの癖にぶっきらぼうなものだった。


「来たければいつでも来い。」


 そして俺は久しぶりの休みを貰えたからと百目鬼家に押しかけたのだが、玄人はやっぱりどこかに籠っているのか俺の前には出てこなかった。


「心配するな。あいつはネイルだよ。」


「ネイルですか!」


「おう。毛玉になってから日々馬鹿に拍車が掛かっているぞ。」


 俺は馬鹿な恋人にがっかりしながらも、美貌を回復した彼に逢いたい気持ちが湧いたのも事実だった。

 百目鬼の道場で洋裁の講師をしている神崎署長の妻は、もともと百目鬼家の三軒隣に住んでいただけあって、百目鬼と仲が良い。

 最近ではその彼女は玄人を外に連れ出しては、自分の孫娘のようにして可愛がって遊んでいるのだそうだ。


「なんか、お子様店長が可愛いネイルのお店らしいな。」


「い、意味が分かんないですね。」


 俺は微妙に声が上ずっていた。

 数年前にほんのちょっとだけ懸想した相手が、確かにこのご近所さんでエステサロンを経営している。


「とにかく上がれ。」


 俺と百目鬼は二人きりでちゃぶ台を挟んで座ることになり、何とも言えない緊張感のなか俺は茶を静かに啜ることになった。

 いや、俺が勝手に緊張しているのか。


「手ぇは出さねえから安心しとけ。」


「そ、そそんなこと。」


「ああ、お前の方からキッスして来るんだっけ?いいぞ。お前は俺が知っている中で一番うまいからいいぞ。」


「あ、あああ!え、ええと、このお茶、面白い味がし、しますね。」


「周吉の土産だよ。新商品か?麹菌入り玄米茶。いまいちだよな。」


「いらしたんですか?白波さん。」


「ああ、あいつは復活した愛娘と加瀬の見守りでこっちにいるよ。」


 百目鬼が説明してくれたが、白波家はようやく神社の世話から解放されると大喜びで浮かれているらしく、学費等の援助を惜しまないと加瀬を家族同然に受け入れたというのである。

 白波周吉は生き返った娘のために上京し、加瀬と娘が落ち着くまでと、白波久美の家で三人仲良く暮らしていたのだそうだ。


「三人でって。久美はどうしたのですか?」


「そう思うよな。俺も同じことを聞いたんだよ。」


 百目鬼は俺と同じ質問を周吉にしたらしく、周吉はフフフと嬉しそうな笑い声を上げながら楽しそうに答えたらしい。


「クミはユキの家に逃げちゃいました。あの子達は昔から沙々がどうしても受け付けないみたいで。あんなに玄人は可愛がるのにねぇ。」


 周吉のその返事を聞いてから、百目鬼は俺が考えてもいなかった言葉を周吉に返した。


「あなたは全部見越していましたね。それとも、あなたの計画でしたか?」


「それで、白波さんはなんて答えたのですか?」


 百目鬼に問い詰められても白波周吉はどこ吹く風で、毛玉になった玄人の姿に笑い転げて幸せそうに目を細めるだけだったそうだ。


「まともに答える訳ないよ、あの老獪なジジイは。あのジジイは全部判っていたか、仕組んでいたはずなんだよ。」



ムーンの「最後の吐息」にちらっと出演していた山口君は、ストライクだった主人公に粉をかけていたこともあるのでした。

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