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再生と復活

 俺の目の前から身を翻して加瀬は逃げ出し、加瀬の後を追おうとした俺を捕まえたのは髙だった。


「放せよ。クロをあいつから取り返しに来たのじゃないのかよ。」


「待って下さい。追い詰めた方が玄人君が危険です。加瀬にはもう逃げ場がないのです。気持ちが落ち着く時間をほんの少しでも上げてください。あの子は人殺しの出来ない子です。それでも追い詰められたら人は何をするか。」


「わかったよ。」


 髙の手を振り払うように腕を引き、俺達は加瀬の後を追うのにゆっくりと歩き出した。

 加瀬はあの小柄な人形を重量など感じないように抱きしめたまま土手を下り、砂浜の方へと駆けていく。

冬の海でありながら青く煌めき、砂浜は白く輝く。

 楊が語った通りの素晴らしい風景だ。

 玄人の母親の故郷の海は、冬になると荒れて鉛色に染まる。


「ここは普通に観光で来たかったね。」


「本当にそうですね。女房に子供が生まれたら、遅い新婚旅行でここに来てもいいかなぁ。」


「子供が生まれたらただの家族旅行じゃねぇか。」


「あぁ、そうですね。」


「もう、君たちは!」


 俺達が気を落ち着ける目的でくだらない会話をしているというのに、空気の読めない老人は声をあげ、俺達を追い越して一人で駆け出していったではないか。


「じじい。」

「もう、あの人は。」


 仕方がなく俺達も歩を早めて追いかけると、先を走っていた加瀬はガクッと跪いた。

 そんな加瀬から逃げ出すわけでもなく、玄人は加瀬を赤子のように抱きしめ、撫で、悦楽の表情まで浮かべている。

 艶かしい女が獲物に纏わりつく姿だ。安珍と清姫そのもの。

 玄人が変質したのか?


「おい、何をやっているんだ。クロ、お前はその体でいいのか?」


 女の形をしたモノは顔を上げる。

 目の輝きは完全に知らない女のそれだった。


「あれは何だ?」


「どうしました?百目鬼さん。」


 灰色の髪を纏った女は、俺には他所の女でしかなかったのだ。

 俺の玄人では決してありえない。

 俺に手を伸ばした時の目の表情は玄人のものであったが、今目の前にいるものは、顔も姿かたちも玄人と似て非なるものである。

 美しい顔はそっくりでいて、全く違うと言い切れる別物。


「あれはクロとは全然違う。本当にクローンか?」


「確かに、骨格が違い過ぎますね。ですが、XXYの再現よりもXXで再現した方が技術的に楽だったからじゃないですか?あるいは本当に蛇様のクローン。」


「君は玄人君ではないね。蛇様でもなく、沙々さんだね。」


 神崎の声に俺達は歩を止め、そして呆然と目の前の妖怪同士の会話を聞く嵌めになった。

 親族でもある菩提寺の坊主が妖怪になった家だ。

 嫁いで来た女が最初から性悪な女狐、この場合は蛇女か、それも毒蛇であったのは不思議ではない話だろう。

 目の前の自分の欲望しか語らない女は、結婚も出産も自分の愛人のためだと言い切った。

 自分が生んだ子供が最初の夫の生まれ変わりになるはずだと信じていたとは。


「お前はクローンじゃないんだな。クロの母親の沙々そのものなんだな。電車に突き飛ばされても死ななかったのか?」


 俺に顔を向けた女は艶然と微笑む。


「あら、死んだわよ。打ち所が悪くて死んだの。でもね、私には生きる力があった。この体にしがみついて、復活だけを望んで生き永らえて来たのよ。そうよ、クローンではないわ。どこもかしこも私の体。破損した個所を、長い長~い年月をかけて再生し続けてきただけよ。」


 ふふふっと不気味に笑う女が母親だったとは、父親にネグレクトされた玄人の不幸も仕方が無い。

 これと同じ顔の子供は、自分の子供であっても恐ろしいものだっただろう。


「お前はその加瀬だけが大事で、実の子供のクロはどうでもいいのか?」


「そんなわけ無いじゃない。玄人は私にそっくりな可愛い子供。白波の姿で白波の心を持たない可愛いオコジョ。あぁ、早く大きくなったあの子を抱きしめたいわ。」


 そしてすっと目を閉じて「げっ」と小さく喘いだ。


「イヤだわ。あの子の魂を抜いちゃったから、ろくでもない奴にあの子の体が悪戯をされている。」


「悪戯?」


 俺は山口が意識不明の玄人に性的な悪戯を仕掛けているのかと一瞬だけでも考え、俺以上に毛玉になった玄人に引いていた山口を思い出してそれは無いと自分に冷静に突っ込んでいた。

 そんな冷静な俺とは違い、妖怪女は妖怪らしき事を激昂して叫んだのである。


「畜生!私の大事な赤ちゃんに変な犬神を重ねやがった。あれじゃあ毛むくじゃらのクマゴローじゃないか!」


 そしてフーと溜息を出すと再び署長に振り向いた。


「ホラ、私の子供が取り返しのつかない姿になる前に命を頂戴よ。五十年よ。それ以下は受け付けませんからね。さぁ、早く!」


 小心者の署長は怖い女に脅されて巣に逃げ込みそうな素振りも見せており、人生を投げ打ってここまで来たはずの加瀬は、可哀想に、要求だけの妖怪そのものの女の姿に毒気を抜かれたか、ぬいぐるみのように女に抱かれたまま呆然としている。

 すると、俺の隣で髙の噴出し笑いだ。


「髙さん。」


「いえ、玄人君が心配な百目鬼さんには申し訳ないですけどね。加瀬にはこんな怖い年上女房が出来たってことで凄いペナルティでしょ。署長だって、今度の事で他人の振りやら鼬とやらをもう少し管理してくれるだろうしね。いいんじゃないですか?さぁ署長、その蛇様にさっさと命をくれてやって、玄人君を目覚めさせてやってくださいよ。」


 署長はとても嫌そうな顔で髙に振り返り、美女はこれ以上無いくらいの妖艶な笑みを見せた。

 それは、獲物を飲み込んだアナコンダそのものの笑顔である。

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