ヘビ神様
加瀬をこの体が抱きしめた途端に、僕達は立場が逆転したのである。
僕が加瀬を守り、加瀬は僕に逃げ込んだ。
この体の主が前に出て、僕は彼女の後ろに下がり彼女の温もりに埋没した。
「おい、何をやっているんだ?クロ、お前はその体でいいのか?」
砂浜を歩く三人の足音に、彼女は愛しい人を抱いたまま顔を上げた。
彼女の前に立ち塞がったのは、良純和尚と髙警部補に、そして全ての発端となる男、神崎と名乗っている彼女の仇だったともいえる三厩円慈。
え?みんまや、えんじ?
お爺ちゃんが成人する前には亡くなっていた人でしょう?
「和尚様にはお久しぶりでございます。」
神崎署長は立ち止まり、驚きに瞳孔を見開かせた間抜け顔を彼女にさらした。
彼女の心の中で彼を詰る声が聞こえた。
「この小心者の小動物の王め。」
しかし彼女は微笑みを崩さず、友好的に神崎を見つめている。
僕は彼女の後ろから、彼女が仇と言い切った男を見返したが、神崎は寂しそうにも見える表情で僕の方を見つめていた。
「君は玄人君ではないね。蛇様でもなく、玄人の母親の、死んだはずの沙々さんだね。」
当り前だが、良純和尚と髙は一斉に驚きの息を飲んだ。
母はその驚きを受けて、悠然と彼等に微笑み返すだけだ。
僕はそんな母の背中にしがみ付いた。
イメージの世界でしか無いのかもしれないが、僕には温かな背中だった。
「和尚様。あなたが大事な和久を守るために私を騙したものと思っておりましたが、玄人の記憶を読んで、全てマヌケな鼬の仕業だったと諒解致しました。全て爪の甘いあなたの責任ですが、玄人が許すと言うので、しぶしぶですが、私も許して差し上げましょう。」
母は幼子のようになっている愛した男の頭を、背中を、撫でる。
加瀬は母が愛した男。
毎年の決まった日に、僕を連れて早坂家を訪問していたのは、彼の命日を祈るため。
持病の為に若くして死ななければならなかった彼女の愛しい男。
母にとっての永遠の夫なのだ。
泣きながら震える青年の髪を、彼女はやさしく何度も撫であげる。
「可愛い人。あなたは聖輝でも紅蓮でもないの。あなたは早坂辰巳、早坂辰蔵の二十三歳で早世した息子の生まれ変わりよ。」
加瀬は母の肩から顔を上げ、母の顔をまじまじと見つめ返して来た。
母はその懐かしい顔を愛情を込めて、さらに優しく撫で上げた。
「私はせめてあなたを生み直そうと鼬の言う通りに子供を産んだのだけれど、あなたはちゃんと私の為に生まれ直してくれていたのね。」
彼女は円慈に向き直り、右腕を差し出した。
「さぁ、命を頂戴。玄人を生き返らせたいのでしょう。私に縋り続けた愛しいあの子は、私の存在に全てを委ねてくれた。あの子を元の体に返したいなら、さぁ、私に命を。」
ママは僕だけの人じゃなかった。
ママは僕を殺しても加瀬が欲しいだけの人だった。
僕は父を思い切ったように、母を思い切ることにした。
良純和尚の腕に帰るのだ。
僕はしがみ付く母の背中から見通し、彼女の核を壊そうと手を伸ばした。
「お願いよ!私に玄人をもう一度抱かせてちょうだい!」
ああ、ママ!
僕はその一言で母を許した。
許すしかなかった。




