あの日の発端
後悔先に立たず。
その通りだ。
俺は恋人を悪魔の手から守ろうと悪魔に対峙して、悪魔に魂ごと奪われてしまったのだ。
弁解の余地もなく、俺は一瞬で全てを失った。
ついこの間、全てを手に入れたばかりであったというのに。
玄人は俺に全てを委ねて、全てを与えた。
俺は受け取り、幸せの絶頂にあった。
玄人が余計な事を口にさえしなければ。
「淳平君。僕は良純さんにマグロと言われてしまいました。淳平君にとっても僕はマグロでつまらなかったですか?でも、僕はマグロにしかなれないし。」
百目鬼は不動産が副業で、本性は禅僧だ。
その禅僧が養子にした子供に手を出していただと?
そこで俺は奴が俺を手篭めに仕掛けた事を思い出したのだ。
その行為は俺を玄人から引き離すための彼の策略だったのだろうと、俺は今まで思い込んでいた。
しかし玄人の告白を聞いて、百目鬼との行為を受け入れた俺が玄人と百目鬼との行為を責められなくなったのだと気が付いた時、百目鬼が俺にしてきた行為の本当の目的に、俺はようやく気が付いたのである。
あいつはそれを見越していたのか、と。
玄人は俺が出会った人間の中で、一番美しく、一番可愛らしい生き物だ。
口では異性愛者だと言い続けた百目鬼が、玄人の美しさに惑わされて、男でもいいか、と方向転換するのは当たり前だ。
玄人は百目鬼以外でも、異性愛者だった男達に惚れられ誘拐されそうになるほどの美貌なのである。
俺は根っからの同性愛者で、玄人が女性化する前からの信奉者だというのに。
そんな俺がようやく彼を手に入れたのだ。
そして俺の腕の中の彼が本物の恋人になったと有頂天になっている自分を認め、その美しい彼が瞳を潤ませて俺を見つめている姿に絆され、彼を責める事などせずに、百目鬼に対してだけ心の奥底で怒りを燃やした。
そうだ。
俺は一切玄人を責めなかったのだ。
俺を見つめる彼の瞳は黒曜石のように黒く輝き、その大きな目の周りを華々しい長く濃い睫毛が飾り、卵型の完璧な輪郭にはそれまた人形の様に小作りのそれまた完璧な鼻と唇が納まっている。
彼はどこから見ても絶世の美少女であるが、その美しく可愛いだけの生き物の下半身が少年だ。
華奢な上体は女性化してしまったが、変化した体は少女の体のようで清廉で美しく、同性愛者の俺にとっても彼は最高の恋人になりえる許容範囲である。
俺は最高の恋人である玄人のために決意をした。
百目鬼に対峙して、俺達を裂くような真似を二度としないで欲しいと懇願しようと。
決断した俺が向かった先は、玄人達が開店準備を手伝っている新店舗であった。
その長柄由紀子が開く店は武本物産の名前はなく、その代りに「マッドパーティ」という看板がぶら下がって揺れており、雑貨屋と言うよりはイギリスのパブの雰囲気の外見を持っていた。
「紅茶と言ったらイギリスでしょう。お茶を楽しみながら若い人達に高級食器を使う楽しさを知って欲しいなって。それで、アリスのマッドパーティなんだけど、マッドなイザック商品も置いちゃうし、いいかなって。」
「ありがちですよ!店長!」
数人の若いスタッフ達にからかわれ、怒った振りをして楽しそうな由紀子の外見は、つるっとした白い肌に少々プックリした丸顔の美人で、まるで博多人形のようだ。
由紀子は嬉しそうに店内に商品を並べていた。
「やっぱりね、私はお店が大好きなのよ。大きなフロアにずらっとお気に入りを並べてお客さんに良さを解説していく。大きなフロアではないけれどね、お客様に自分の大好きな商品を勧める楽しさ、また、それが出来るのだわ。」
その脇に玄人が真剣な目で商品を並べながら、かなり細々とスタッフに注文をつけていた。
時々怒りんぼうになる、俺の可愛い恋人!
この時までは。