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何もわからない

 目を開けて見えた風景は見知らぬ天井。

 ホテルのような?

 僕は署長室にいたはずだ。

 今のは何の夢?これも夢で何かの暗示なのか?


「目が開いた?君は目覚めたんだね?」


 聞き覚えがあり、ものすごく嬉しそうな声に頭を動かそうとした。

 ああ、体が重くて動かない。

 僕はそこで目線だけ動かした。

 ここが簡易ホテルのような一室であり、加瀬が頬を上気させて僕を見つめていたことがわかった。


 僕が具合が悪くなって彼が看病していた?


 昨夜は僕は快楽の中で死ぬと思った。

 でも良純和尚は最後まで僕にすることは無かった。

 それは、僕がマグロだったからだろう。

 そこで発散できなかった彼は山口と消えて、僕は加瀬に任されたのだろうか。


 でも、どうして体がこんなに重くてだるいのだろう。


「喉は渇いた?水がいい?ジュースの方がいいかな?冷蔵庫にベリージュースとオレンジジュースが入っていたよ。コーラはどうかな?」


 加瀬は本当に親切な人だ。


「はぁ。」


 ありがとうと言おうとしたが、空気が漏れる音しか出なかった。

 ぐっと右手が握られ、加瀬の顔が目の前に来た。

 幸福感に満ち溢れた表情。


「本当に目が覚めたんだ。君は生きているんだ。」


 彼は感涙に咽び、つかんだ僕の手に頬を摺り寄せて、よかった、を繰り返す姿に、本当にどうしたのだろうと僕は不安ばかりが膨らんでいた。

 とにかく現状を加瀬に尋ねようと僕は再び声を出そうとしたが、やはり「ふぅ」としか声にならない音しか出なかった。


 体も上手く動かないし、僕は一体どうしてしまったのだろうか。


 加瀬が握る自分の手を見つめる。

 白くて、色素が抜けたように白くて、血管も見えない死体のような手。


「はぁ。」


「あぁ、御免。何か口に入れたいよね。ベリージュースにするよ。」


 彼は僕の手を離すとさっと僕の視界から消えた。

 足音から判断するに、この狭い部屋を横切って冷蔵庫へと向かったのだろう。

 冷蔵庫を開ける音が聞こえたのだから間違いはない。

 再び足音が近づいて来て、加瀬の顔が僕の視界の中に戻って来た。

 彼の手にはパックのジュースが握られている。


 彼は僕が見守る中で、パックジュースにストローを差すと、加瀬は僕の体の下に腕をいれ、これ以上ないくらいに優しく抱いて僕の体を起こしてくれた。

 その時に僕の体を覆っていた布団がはがれ落ち、布団で隠されていた僕の体が露わになった。

 僕は全裸で、なんと、僕の体は昨夜までのものと違っている。

 ほんの少しだけ膨らみがあったものとは違い、お椀かオレンジのように丸くて大きいふくらみが胸板に乗ってるのだ。


「ぼ……は……どうな……の。」


 僕はどうなっちゃったの?

 衝撃が僕を動かせたのか、ようやく途切れ途切れであるが声が出せたが、出した声は僕の声じゃなかった。

 完全に女性の声になっていた。

 僕の声を受けた途端に、僕を支える腕はびくんと震えた。


「さぁ、飲んで。」


 加瀬は恋人のように片腕で僕を抱き、片手に持つジュースパックのストローを僕の口に入れるが、僕の唇は動くがストローを吸う事ができなかった。


「む……り。」


 加瀬は僕ににっこりと微笑むと、自分でジュースを一口含み、僕に口付けた。

 この展開に驚きと、そこまでする加瀬に違和感とドン引きを感じていた僕だが、口腔に含まされた液体が喉を通り胃へと流れ行くに従い、体がドクンドクンと脈打ち出し、血が巡り始めた事を知った。

 僕は一体どうしちゃったの?


「はぁ。」


 加瀬は僕の声ではない声を聞いて、再びジュースを飲ませ、そして、ギュッと抱きしめたまま少し泣き始めた。


「あぁ、夢の中で僕を呼ぶ声だ。愛しているよ、君。何もいらないから、僕だけの、僕の側にずっといてくれ。」


 僕は僕を抱きしめて嗚咽する加瀬に同情心がちらりと湧いたが、僕は自分が一番の人非人なのである。

 どうしたらこの現状を打破できるのかと考え、けれども僕にはどうしてよいのか全くわからなかった。

 なぜならば、今の僕には何も見えないのだ。

 オコジョも蛇様も、見えないものの存在も。

 僕はただの人になったみたいだ。

 僕は一体全体どうしてしまったの?

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