加瀬
この世は生まれてくる子供の数よりも死者の数が多過ぎると、心臓が止まっても死ねない人間が生まれてしまう。
それは、黄泉平坂を越えて来る悪鬼たちを抑えるための、生者の世界を守るための嘘による現象。
その嘘を暴くものは世界にいらない死神で、その嘘を作り出すものは世界のための生き神となる。
僕はどちら?
加瀬は歩きながらずっと考えていた。
すると、加瀬が憧れた彼の寂しそうな表情と言葉が思い出された。
「僕は大勢に恨まれ憎まれ切り刻まれた。それは、僕が死神だったからでしょう。」
彼はそう言って泣いた。
加瀬が以前に失った力は、彼の対になるものだった。
そこで加瀬は我が身を振り返った。
「それならば僕は人に持て囃され、守られ、助けられる筈ではないのか。」
実際の彼は、いつも僻まれ憎まれ排除されてきただけだ。
自分の持っていた力が、自分に不幸を呼ぶものだと考え、彼は力を奪われたままにした。
いらない、と思っていた。
加瀬の対になる人がとても美しく、彼を殺す者になりたくなかったからだ。
「それなのに、なぜ僕はここにいるのだろう。」
加瀬の目の前には暗く狭い階段が続く。
彼はやっぱり死神だったのだと、加瀬は考えた。
自分を破滅に導く、恐ろしい神様に違いないと。
それでも彼は階段をゆっくりと降り始めた。
「この階段を降り切った時、僕は社会的に完全に死ぬ。」
そうわかっているのに、彼の足は下へ下へと進んでいった。
自分の破滅を確信していながらも、加瀬にはいつも付き纏う不安がこの時こそなぜかなく、足は当たり前のようにまっすぐに目的地へと確かな足取りを見せていた。
そして加瀬は地下の扉を開けてステンレス色の世界に身を投じた時に、自分が社会的に死んだ後悔よりも、生まれて初めての自由になれたという開放感を身に感じていたのである。
加瀬が侵入したそこは、冷蔵庫のようにひんやりと冷たい空間の中に金属のロッカーがずらりと並ぶという、火葬場の奥に設置されていた死体安置室であった。
一歩踏み出した彼は見回しながらさらに中を進むが、このままでは目的のものがいつまでたっても見つけられないと気がついた。
「そうだ、添付書類も全部嘘八百だったんだ。」
深呼吸して気を落ち着けた彼は、部屋の中心で軽く目を瞑り、感覚で探し物を探す事にした。
今までやった事もなく、なぜこの方法を取ろうと思いついたのか解らないまま、本能に命じられたかのように彼は感覚で探し始めたのである。
加瀬が瞼を瞑ると、世界は今まで目にしていた映像と同じ映像が瞼を通して見つめる事が出来たが、瞼を瞑ってみる世界は全てが灰色だった。
昔の白黒映画の様な世界である。
加瀬は世界を見回して、そこで見つけた。
灰色の世界でただ一つ、金色の光を漏れ差している場所があったのだ。
まるで彼を呼ぶようにして、金色に輝き存在しているのだ。
いや、確実に自分を呼んでいるのだと、加瀬は確信していた。
「そこにいたんだね。」
彼は目を瞑ったまま微笑み、目を開けるや真っ直ぐに一つの扉の前に行き、そして、知っていたかのように簡単に数字を打ち込んで鍵を開けたのである。
「愛しい君、狭いところから出してあげるよ。」
彼が扉を開けて引き出しを引き出すと、黒い膨らんだ死体袋が出てきた。
彼は震える手でそのチャックを開け、中身を確認すると再び閉めた。
「ごめんね。まだ起こしてあげられない。ここから遠く離れてからじゃないと、君を目覚めさせてあげられない。待っていて。すぐだから、僕を待っていて。」
加瀬は黒い死体袋を胸に抱きしめながら、繰り返し、待っていてと唱えた。
この場を誰かに見つかって、自分が撃ち殺されたとしても本望だと、加瀬は死体袋を抱いていた。
彼女は誰にも渡さない。
彼女は自分だけの存在なのだ、と。




