玄人
十一月二十一日の早朝に、俺は相模原東署の署長室に緊急呼び出しだ。
ようやく昨夜自宅に連れ帰れた玄人と今日はのんびりと、仲睦まじく、久々の親子の団欒を楽しむはずだったというのに、俺は非常な呼び出しを署長直々にかけられたのだ。
「なんだ、うるせぇな。俺は相模原東署の署員じゃねぇよ。」
「いいから早く来て。玄人もちゃんと連れて来る事を忘れないでね。」
がちゃん、つーつーつー、だ。
あの妖怪め。
相模原東署の人間は、俺が神奈川県の相模原市でなく、東京の世田谷区住まいの世田谷区民だという事を忘れているのではなかろうか。
全く、今朝の滑り出しは最高だったというのに。
「良純さん。何をしているのですか?」
自室の向かいの三畳程の物置にしている部屋を漁っていると、その音で玄人が目覚めたらしく、彼が部屋の前に立ち首をかしげている。
ガーゼの寝巻きを羽織った玄人は、頼りなげで可憐な、俺の大好きな佇まいだ。
彼は俺の大事な着せ替え人形でもある。
そんな愛しい人形を、俺は昨夜完全に自分の物にしてみようと試みたが、結果は自分が異性愛者だと再認識しただけであった。
人間やろうと思えば何でもできるが、途中で出来た所でちょっと違うと感じたのだ。
俺は玄人を性的に可愛がるのではなく、赤ん坊のようにあやす方が楽しいのかもしれないと思い直したのである。
何しろ、コロンと転がった美女の股の異物の存在は、俺の下半身だけでなく気分を一気に下降させるものであったからだ。
「すまないね、煩くして。お前の帆布鞄を作った布を探していてね。駄目になってしまっただろう?」
とすっと背中に温かいものがくっ付いた。
「嬉しいです。」
目を輝かせて喜ぶ可愛いものが二十一歳の成人男性だと知りながらも、俺は彼の可愛らしさに頭を撫で抱きしめ返した。
そしてもっと喜ばせようと提案をしてみた。
「淳にも作ってやれば、お前らは本当のお揃いになるな。」
俺は玄人の人非人な所を忘れていた。
彼は自分第一で、俺よりも酷いヤツだ。
彼は本気で嫌そうに顔を歪め、俺を押しとどめる台詞を吐いたのだ。
「それは止めて。」
「前は淳とお揃いだって喜んでいたじゃないか。」
玄人はわかっていないなぁ、な顔付きで首を振る。
俺が楊だったら玄人の頭を叩いていた。
「帆布鞄を斜め掛けしている所がお揃いで嬉しいな、です。全く同じものだったら希少性が無くなるじゃないですか。良純さんの手作り鞄は僕だけのものです。」
俺は玄人が凄く馬鹿可愛いと思いながらも、山口に何か作ってあげたい気持ちになったのも事実だ。
山口は髙に好かれるだけある、実に可哀相な男だ。
そんな久しぶりの団欒に水を差すような、狸からの俺への呼び出しだ。
鞄を作る時間が呼び出しにより無くなったので、俺は不機嫌なまま署長室のドアを開けた。
玄人はもちろんアンズ入りのキャリーケースを持っている。
「またそんな格好をさせられて。」
ミリタリーコートを脱いだ玄人の服装は、襟元のボタンホールがループになっているアンティーク風のブラウスに、焦げ茶色のコーディロイのストレートパンツだ。
まぁ、頭にリボンつきのカチューシャをつけたが、そこは別にいいだろう。
俺は昨夜眼にした光景と後悔を忘れたい気分であるからだ。
「俺も暇じゃぁないのでね。さっさと話してもらえませんか?」
丸顔の妖怪はチッと大きく舌打をして、俺がドカッと座り込んだ応接セットの真向かいに座った。
玄人は床の適当な所に座り込んで、勝手にモルモットをキャリーから出して床に放して遊び始めている。
武本家の菩提寺の住職でもあった妖怪署長は、そんな武本家当主の姿に呆れたような顔をして見せたが、すぐに真顔で俺にまっすぐに向き直ると、俺が聞きたくもない言葉を放ったのである。
「失敗した。」
「話がそれなら帰っていいですか?」
「全部聞きなさいよ。」
立ち上がろうとする俺の袂を彼は引っ張り、俺は袂を放そうとしない狸としばし睨みあったが、睨みあう時間が惜しいと俺の方が根負けして再び座り直した。
「わかったから、出来る限り簡潔にして早く話せよ。」
大きく溜息をついた署長は、ようやく本題に入った。
「加瀬が消えた。それも力を取り戻しての失踪だ。」
「帰っていいですか?」
「どうしてそこで帰ろうとするかな。話を聞こうよ。」
「加瀬の力は玄人の対でしょうが。関わったらクロが面倒を背負うじゃねぇか。帰るぞ、クロ!この忌まわしい場所から俺達は出て行くぞ!」
ガタっと椅子が倒れるほどの勢いで席を立ちあがってから玄人の方を向いたが、そこで俺は固まった。
「何をふざけているんだ。」
俺の目にした光景は、ぱたっと仰向けに横になっている玄人の胸の上で、心配そうな声を出したモルモットが玄人の顎や耳元を鼻で突いているというものだ。
睫毛をそっと閉じた顔は青白く、完全に生気が消えていた。
「クロ、目を覚まして。」
震える手で玄人の口元に手を翳す。
俺の手が震えているからか、玄人の吐息が何も感じられない。
嫌がるモルモットをそっと玄人から避けて、玄人の心臓の音を聞こうと頭を胸に乗せた。
とくんと、ゆっくりだが動いている音と振動に、心臓が動いていることを確信できた俺はホッとしながらも違和感に気が付いたのである。
俺はボタンが飛ぶのもお構いなしに玄人の服を乱暴に肌蹴て上半身を露わにしたのだが、露わとなった彼の体は胸のふくらみが消えた少年の体であった。
「何が起きたんだ。クロ、どうしたんだよ!」
生きるために女性の体を獲得した彼から女性性が消えたとしたら、それは彼の終焉の兆しなのでは無いかと、気付けば俺はこの世に拘束するかのように彼の体を強く強く抱きしめていた。




