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失った時の慟哭を知るためにあなたをその手にかけるべきか(馬13)  作者: 蔵前
十六 清廉潔白な男とろくでもない上司
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君は我らの期待(生贄)の星でいよう

「嘘嘘、君は凄いよ。凄いからさ、隣の俺は自分が情けなくてね。そんなヤツがさ、未来ある優秀な女の子に手を出しちゃ駄目だよね。だけどさ、あんなに意地らしいと、ツイね。だから佐藤警部に思いっきり殴られて、逆に気分がすっきりだよ。後が怖かったけど。」


 葉山は察しの良い男だ。

 場が白けたからと、冗談めかした上に話題をさっと変えて来た。

 俺は彼に感謝しながら彼の話題に乗った。


「僕も怖かったよ。実の親子ってあんなにおっかないものなの?」

「いやあ、あれは佐藤ちゃんだけでしょ。」


 俺達はハハハと笑う。


 佐藤は葉山が自分の父親に殴り倒されると、スクっと立ち上がり、据わった目で実の父親を睨みつけたのである。

 普通のように「お父さん止めて!」と叫ぶのではなく、殺気が籠った無言睨みだ。

 娘の静かな怒りのオーラに飲み込まれた佐藤の実父は、ぴたっと動きが固まり、ブリキのロボットのような動きになって娘に視線を動かした。


「も、萌、ちゃ、ん?」


 佐藤は片足を床に打ち付けた。

 ダンっと大きな音が資料室に鳴り響く。

 大魔神のような殺気を纏った佐藤萌に、その場にいた人間は全ての動きを止めて怯えたのである。

 加瀬と水野は抱き合い、俺は一人なので一人で自分を抱きしめていた。


 当事者の葉山は殴られて座り込んだ体勢のままポヤっとしており、娘に射抜かれている葉山を殴った佐藤の父親は、見ているこっちが哀れになるほど油汗を吹き出していた。


「佐藤警部、暴力行為で懲戒処分を受けたいですか?あなたの奥様は人手を欲しがっておりますから、あなたの自主退職にはさぞ喜ばれると思います。」


 佐藤警部はガバっと座り込むや、なんと土下座をした。

 娘に。


「止めて!僕が悪かった!反省していますから報告しないで!まだ警察を辞めたくない!ほんっと御免!」


「何だよ、それ。人を殴っておいて覚悟もないのか?あぁ?とっとと自分がやった責任取ろうか?仕事を今すぐやめやがれよ!あぁ?」


 その怖い佐藤を止めて、かわいそうな佐藤警部を庇ったのは顔を腫らした葉山だった。


「あの後の佐藤警部の友君への対応が笑っちゃったね。もう息子扱いじゃないか。あそこまで佐藤が見越していたなら、彼女は本当にブラックだよね。」


「あの後佐藤ちゃんに怒られたよ。どうして止めたって。あそこで糞親父を退職させとけば茶会の手伝いの要請が私に無くなるというのに!って。本気で父親を無職にしたいと考えていたようで、もっとブラックだったよ。」


 俺達はハハハと笑い合い、そして、葉山が俺に尋ねたかったことを口にした。


「今日は何があったの?」


 俺は葉山を認めて、そして、彼が望むように教えてやる覚悟ができていた。


「それは――。」


 しかし、頭に生暖かいものが乗せられて、俺の覚悟は霧散した。


「髙さん。頭になずなをかぶせるのはやめて。」


 頭から髙の愛犬のブリュッセルグリフォンを降ろして俺は彼女を抱き直したが、彼女は髙の方が良いのか、俺の肩をよじ登った上に、肩から俺の後ろに立っている髙へと飛んで逃げた。


「おお、よしよし。葉山君には裏仕事は絶対内緒って言ってあるのにねぇ。なずなちゃん、本当に山口君が最近馬鹿になって、お父さんは大困りよ。」


「髙さん。どうして俺には内緒なんですか。いつもいつも俺ばっかり仲間外れだ。山さんが考え違いしていたように、俺の事を監査のスパイか何かだと思い込んでおられるのですか?俺は一生警察庁に戻れない、ここからどこにも動けない、永遠の巡査部長ですよ。」


 小型犬を腕に抱いて涼しい顔の男は、葉山が哀れに思えるほどのおどけた表情を見せた。


「え?そのままで良かったの?でもねぇ、かわさんと僕は君をその内警察庁に戻す予定なんだよねぇ。キャリアさんは大事にしなきゃ。僕達の未来のためにね。だから、裏家業で汚したくないってだけ。」


「ですから、俺は上司を殴っての、それでの永遠の出向ですって。」


「え?あの汚職馬鹿は退職させたし、あれは記録として残ってないよ。数年経っているのだから禊も済んだでしょ。帰りたく無くても無理矢理にも戻すけど。まあ、警察庁に戻すにはもう少しかかるけどね。それも君は知らなくていい事。わかった?男衆で全員知っているのに女の子達が知らないって事が在ると、後がおっかないんだからね。返り咲きたいなら、君は見ざる聞かざるをしなさい。上司の言う事は絶対だよ。」


 電話と同じ、髙は言うだけ行って自宅に戻っていった。

 楊邸の隣が彼の自宅だ。

 隣では「ひどい」と呟いた男が笑い出すが、それは半分以上の泣き声である。


 俺は親友が隣に来るまでしていた事と同じ、愛犬の腹を撫で、星を見て、気の抜けたビールを口に含みながら、隣の親友が泣くにまかせていた。

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