マグロは高級魚なのに
我が武本物産は不景気に生き残るために、無駄の多い百貨店経営を捨て、現在は一般向け通信販売と高額購入者用の外商のみに絞っている。
武本の本拠地である青森の武本町に百貨店を一店舗だけ残してあるのは、殆ど親戚のような町民の雇用と生活を守るためである。
また、高額な着物を購入できる人間が東京に集まっている事と、着物はやはり現物を見せなければ良さがわからない物であることから、父の一番上の姉である加奈子の担当する呉服部門だけは銀座の一角に間借りして対面販売を続けている。
だが、このままでは武本本来の売り物、高級家具や高級陶磁器は新規顧客などを獲得できないために頭打ちだ。
そこで、高級食器と高級ギフトを担当している長柄由紀子が若者向けの店を開くことを提案したのだ。
彼女は武本の親族会社である長柄運送の令嬢で現在の社長夫人でもあるが、婿養子の夫に長柄運送を丸投げし、武本で高級陶磁器を売ることに人生をかけているという武本には得難い人である。
そんな彼女が当主である僕に陳情したのであれば、当主である僕は答えなければいけないだろう。
そうして彼女の提案通りに新規顧客の獲得と言う目的の新店舗を華々しく開店させたのであるが、僕の未来を禍々しくさせた僕の不幸も始まったのである。
僕の父親、百目鬼良純は、債権付競売不動産専門の不動産屋であるので、彼はいくつかの物件を常に抱えており、新店舗は彼の物件の一つであった。
彼に不動産という高い買い物をさせられたから、僕が不幸なのではない。
開店前日のゴタゴタした店内の隅で、彼が僕の恋人と口付けていたからだ。
そんな彼が禅僧である事も驚きだろう。
あの日、僕は商品の入っていた空のダンボールを片しながら、側にいた恋人も父親もどちらも姿が見えないことを訝っていた。
僕は武本の当主という事で何度か狙われているため、武闘派の彼らが必ずどちらかが側についているからだ。
そう、彼ら。
僕の恋人だった人の名前は山口淳平。
名前から分かるだろうが、彼はれっきとした男で二十八歳の巡査長という元公安の警察官だ。
そして僕の父は楊の同期で親友、つまり三十一歳の若い男。
おまけに二人とも同じ百八十を超える長身でスタイルがよく、良純和尚は貴族的な端整の顔立ちの美男であり、山口は猫の様な綺麗な瞳を持つ王子様のような外見の男だ。
外見の美しさも年齢的にも僕よりも似合っている彼らが、物置部屋で熱いキスを交わしていたのである。
空のダンボールを置きに行った僕はそのキスを目撃し、ドラマのように放心してダンボールを落とした。
タパタパという厚紙が床を打つ音に二人はハっとして、違うな、山口だけがハッとして、僕に後ろめたい表情を向け、良純は悪魔のように悠然と微笑んでいた。
良純和尚は悪気など感じるわけのない男だ。
さらに良純和尚は悠然と微笑んで見せた上、僕に酷い言葉をかけたのである。
「お前はマグロだから仕方がないだろう。」
罪悪感からか僕から顔を背けて口を押さえていた山口が、良純の言葉を聞いて一瞬噴出した気がした。
僕は彼に全てを与えたばかりであったのに。
全てって、全て!
最後までやったって事!
そんな僕が二人にプライドを粉々にされたと出奔するのは、当り前の流れであり、仕方がないことだろう。