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失った時の慟哭を知るためにあなたをその手にかけるべきか(馬13)  作者: 蔵前
十五 秘密の扉を彼に知らしめていいのか
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理解できない方が良い

「まず、僕が渡した手袋をつけて下さい。それから、その蟹バサミ型クランプをこの電子錠を壊す勢いで挟んで閉めてください。バチッと来ますから顔は絶対に近づけないで。」


「壊したら開かなくなるんじゃないの?」


「壊すのではなくて暴力的にハックしちゃう機械なのですよ。どんな仕組みか僕にはわかりませんけどね。」


 楊は俺の言うとおりに開錠キーを使い、バチっと大きな音をさせて喜んでいた。

 腕を振り上げて喜ぶ彼の姿に、この扉の向こうのものが彼には許容範囲のものであって欲しいと無駄な望みをかけて上を見上げた。

 すると、楊にとすっと肩を横から押された。


「早く入ってよ。」


「開けたかわさんが先じゃないのですか?」


「お前がそんなに嫌がっているものを、この俺が一番に見たいわけないだろ。」


 眉根を寄せて酷い事を平気で言う上司に、俺はやっぱり髙に好かれているんだなぁと、可哀相な身の上の自分にがっかりしながら数年ぶりの空間に足を踏み入れた。

 此処に来たのが数年前ではなく、このような施設に入ったのが数年前ということだ。


 壁に手を触れてスイッチを探す動作をしながら、暗闇で動いていた自分が灯りを求める普通の人間の動きを無意識にしていた事に気が付いた。


 この部屋に灯りが見つからなくとも大丈夫なのにと、俺は自分の無意識の動きに自然と微笑んでいた。

 無くても問題が無いと知っていただろうに、と。


 培養中のそれは発光しているから、暗い室内でも明るく全体像が見渡せるのである。

 俺は何度も同じようなものを見せつけられていたが、普通の凡人的な感性を取り戻した今は、再びそれを目にすることに躊躇していた。


 公安時代の元の自分に戻りたく無いと、反射的に考えてしまったのだ。


 仮面を被らずに、惚れた振られたと泣いて笑う日常が、なんと幸せであるのかと、手放しがたいものであるかと、俺は情けなくもぎゅうと目を瞑ってしまった。

 そして自分で作り出した真っ暗闇の中で、記憶を取り戻すまでの玄人が何度も泣きながら繰り返していた言葉が蘇ったのである。


「僕は変容したくない。変容した僕は今の僕じゃない。」


 記憶を取り戻した玄人は、記憶を失っていた玄人ではない別人とも言えるのか、と思い立った恐怖で俺は閉じていた目が開き、目を開けてしまったがために俺は部屋の全貌を見てしまった。

 目を開けてしまった自分を罵りたくなる程に、今回のモノが反吐が出そうな物だと目を閉じて打ち消してしまいたくもなった。


 しかし、俺の想いとは真逆に、感嘆するようにほうっと大きく息を吐き出した音が俺の後ろから聞こえたのである。


「気味が悪いどころか、なんて美しい。なんですか?これは?」


 加瀬は両目を輝かせながら俺を押しのける様にして前へと進み、目の前の大きな水槽のような容器に入ったものを眺めている。

 俺は魂を奪われたかのような彼から目を逸らして髙と楊に振り返ると、眺めていた二人の顔が俺と同じようなそれの存在への嫌悪感で歪んでいる事に少々ほっとしている自分がいた。


 培養液という名の水の中に浮かぶ生き物と死体の間の物体は、体の所々が透き通って筋肉組織が見える箇所もあり、長い間水中に在った為か色素が抜けて髪も灰色に近い色だが、それでも美しく若々しい女性体である。


「どうしてクロさんにそっくりなのですか。しかも、クロさんと違い完全な女性体だ。」


 呆然とする加瀬に説明したのは髙だった。

 俺はしたくないし、できない。


「たぶん玄人君の細胞から作られたものだからだよ。この施設は玄人君を暗殺しようと企んだ平坂ひらさか千児せんじ達が造り上げたものでね。彼は玄人君を食べると不老不死になれると思い込んでいたからだろう。そんな理由で今までも死人による様々な人間のクローン造りの試みが幾つかあってね、僕は今回も不完全な人体模型にもならない肉片が浮かんでいるだけだと思ったのだけどね。」


 培養管から動かない加瀬は、視線をそれから話さずに茫然とした声で髙に聞き返した。


「クロさんは死神ではないのですか?彼はいつもそう言っているじゃないですか。自分は殺す方だって。彼を食べてどうして不老不死になれるのです?」


 しかし加瀬に答えたのは髙ではなく楊だった。

 彼は口元を押さえて壁に背を預けて立っている。

 俺も彼のようにどこかに寄りかかりたい気分だ。


「わからないよ。俺達には犯罪者の考える事はね。でもね、平坂がそう信じ込んでちびを殺して喰おうと狙っていたのは本当だ。でもさ、こんな完全体のクローンが作れたのなら、どうしてこっちを食べなかったのだろうね。」


 色素が抜けた灰色の長い髪を体に巻きつかせ、ゆらゆらと仰臥してアロワナのように水に揺蕩うそれは、生きていないが死んでいるとも言えないモノである。

 普段なら培養管を壊して中のものを燃やしてお終いだ。

 俺は培養管の中の物を見返して、無理だ、と観念した。


 俺には玄人にそっくりなそれを処分する事など出来ない。

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