狸は裏で必死に踊っていた
武本家の親族でもある三厩家は武本家と同じ飯綱使いだ。
但し、武本がオコジョならばこちらは鼬だ。
三厩隆志が人間だったのは、戦後すぐの時代だ。
経緯としてはこうだ。
三厩隆志が武本家の菩提寺の住職をしていた三厩円慈だった頃に、村に略奪に来た五人の憲兵が略奪行為をする前に勝手に死んだのがまず発端。
「温泉が出るから、五人は天然ガスか硫黄での窒息死だろうねぇ。」
三厩隆志は思い出しながら溜息をついたものだ。
勝手に死んだ間抜けな略奪者だが、彼らの死で村がGHQに報復されると恐れた彼は、彼が使う鼬に自分の命の一年を持たせて憲兵達に期限付きの命を与えるという禁呪を使ってしまったのである。
鼬達は期限が来ると三厩の元に帰ってきたが、なぜか憲兵達の本来全うするはずだった寿命まで持ち帰っていた。
つまり、憲兵達が何事も無ければ全うしていた寿命分を、三厩は手に入れてしまったと言う事だ。
一人頭五十年はあるとして、それは少なく見積もっても二百五十年。
無意味に増えた寿命分を生きなければならない妖怪と化してしまったとは、実に武本一族らしいといえる馬鹿な話だ。
しかしこの世は、寿命途中で死んだ人間が死人に、つまりゾンビ化できる世界でもあるというのだから、馬鹿な方が生き易いのかもしれないな。
玄人にはそのゾンビを滅ぼす力があって、加瀬という楊の部下には死体をゾンビへと甦らせる力があるなんて、世界は狂っているのだ。
話は三厩に戻すが、彼は円慈を辞めた後、円慈の息子の篤志の弟に成りすまして隆志として生活をしていた。
俺はその頃に知り合い家族同然の親交があったが、彼のひ孫と孫が彼の本来の寿命が尽きた身代わりとして亡くなると、彼は隆志を辞めたのである。
今の彼は武本家とは関係ない相模原東署の署長だ。
それは、狙われやすい玄人の為なのかもしれない。
当の守られる玄人が彼を全く忘れ去ってしまっているというのに。
これは玄人が記憶喪失になったからではない。
長い命を持つこととなった三厩は、その秘密を知られないようにいくつもの人物を作り上げて生きていたが、一つの人生を捨て次の人生を選ぶ度に、出会った人々に忘れ去られるというペナルティをも背負っているのだ。
妖怪のようなものなのだから仕方が無いと、三厩は自嘲していたのであるが、家族に忘却される事はとても辛いのではないであろうか。
玄人はそんな三厩にとって、武本当主を守るという生きていく目的ともなる、大事な存在であるに違いない、と俺は思うのだ。
だが玄人は飯綱使いであるにもかかわらず三厩だった頃の彼を忘れているし、楊は大学の恩師だとあんなにも三厩を慕っていたくせにあっさりと忘れてしまった。
彼を覚えているのは俺だけだ。
そして俺は家族同然の付き合いをした三厩隆志を忘れたくないからと、新しい名前の「神崎」で決して彼を呼びかけない事に決めている。
俺の中では奴はただの妖怪爺だ。
俺も酔狂だが、世界が狂っているのだからいいだろう。
「今更出てきたってことは、あなたが絡んでいましたか?」
「おい、百目鬼、お前は何を。署長なんだから自分の署内のどこを闊歩していてもおかしくないし、当たり前だろう。」
「こんなアトラクション状態の所で出てきたら、署長だろうと疑えよ。お前は本当に刑事なのか?本気でお飾りだったのか?」
「お前ったらひどい。」
目の前の署長はハハハっと軽く笑い、仕方ないでしょ、と軽い調子で答えた。
「え?」
楊は署長の返事に驚き、そして顔付きが変わった。
「仕方ないって、この結界の方についてですか?まさか、殺人の方ではないですよね。」
楊は目つきも鋭くさせ、自分の上司にも関わらずに憤りを隠さずに問い質した。
だが、妖怪署長にはどこ吹く風だ。
「違うよ。殺人をこれ以上起こさせずに止めるには、東を罠に仕掛けなければならなかったから仕方がない、だよ。」
「罠、ですか?」
楊に対してニっと妖怪署長は微笑むと、玄人に向き直り彼は指をパチッと鳴らした。
「玄人君、こうすれば見えるかな。」
「あ。」
玄人が呆然と牢内の死体を眺め出した。
「どうした?」
「この人、三月に僕を誘拐しようとした人です。何をした……イタチですね。あなたの鼬が僕を惑わせていたんだ。これも、鼬の仕業?でも、鼬がそこまで出来るなんて。」
三厩が今度は掲げた腕をぐるぐると回すと、俺達に見えていたミラーハウス状態は終わり、その代わり、大判の鏡を貼り付けられたホワイトボード数台が、俺達を取り囲むように設置されていたという情けない現状を露わにしたのである。
「あ、ほんとうにただの鏡だ。」
纏っていた怒りさえも霧散して呆ける楊に、俺は鼬の幻覚とやらで俺達を惑わせて置いて、必死な姿で鏡を設置していた三厩の姿を思い浮かべてしまっていた。
「狸が化かしただけか。」




