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留置室を目指そう

 最初に楊が開けたドアは留置室に入る前の関所である留置事務室であるが、そこに詰めていた二人の制服警官も楊の姿に黙礼をするだけで俺達には何の感慨もなく、いや、彼等はぼんやりと頬を染めて玄人の姿を視線で追っていた。

 俺は彼らの視線を遮るように玄人の真後ろに付き、前方で楊が俺の行動に鼻を鳴らして小馬鹿にした。


「あれ、また廊下ですね。」


「そう。厳重なの。ちびちゃん。右手がお子様と女性用の房がございましてね、左手が成人男性用の房となってございます。右手のドアを手前から説明しますと接見室、担当さんお休み部屋、お子様の房があるお部屋、女性専用の房がある部屋、そして、廊下の突き当りが留置されている方々に健康的に過ごしていただくための運動場でございます。」


「房がある部屋って、室内の中にまた房が孤立して置いてあるのか?」


「そう。四角いドーナツの穴の部分に牢があるって感じかな。お前は何度も尋問を受けているって聞いているけど、入った事はなかったっけ?大きい小さいはあるけどさ、留置場なんてどこも一緒でしょう。」


「あるか、馬鹿。俺は俺の純粋な好意から尋問を受けてやってただけだよ。」


「はは。それじゃあ今度は入れてやるよ。俺の好意で。」


「ふざけるな。」


 そして、真っ直ぐで長い廊下の左側、今度は突き当りのドアから俺達の方へと戻って来るようにして楊は説明したが、まず最初のドアは洗濯室に風呂場となり、そして、真ん中、制服警官が立っているドアが成人男性用留置室へのドアだと楊は続けた。


「右手手前の二つのドアは?」


「診察室と身体検査室。そこに興味を示すなんて、さすが百目鬼はエッチ。」

「うるせぇよ!」


「さぁ、留置室の中も見学してみようか。人の入っている房は見せることが出来ないからね、入り口そばの担当さん席の辺りまでだけどさ。」


「ねぇ、かわちゃん。さっきから何度も言っている担当さんって、看守さんのことなの?」


「そう。ここは刑務所でも拘置所でもないただの警察署の留置室でしょう。だから、看守じゃないの。俺達と同じ署の警官が担当しているだけだから担当さん。」


 楊がドア向かうと、近くに立っていた制服警官は彼に頭を下げて横に動き、俺達はドアを開けた楊に続いて中に入り、玄人を楊の背と俺の胸板で潰しかけた。


「急に立ち止まるなよ。」


「いや、だってさ。」


 潰してしまった玄人を後ろから抱き上げる様にして楊の後ろから退けたのだが、当の楊は未だに途方に暮れたかのように突っ立って辺りを見回しているのである。


「どうした。」


「どうした、も、いないじゃん。担当さんが一人もいない。これ、ありえない。」


「はぁ!」


 俺の腕の中で玄人が大きく悲鳴のように息を吐き、そして、俺の腕を振り解くや、彼は叫びながら走り出した。


「あいつ。あいつがいる。」


「あいつ?ちびって、どうした!」


「クロ!おい、こら!」


「ちょっと、ちび!」


 俺達は不格好に走る後ろ姿の玄人を慌てて追った。

 玄人がようやく足を止めたのは、右から二つ目のパイプ椅子に座る男性がいる牢の前である。

 成人男性用の留置室は房が四つほど並んでいるだけなので俺達が目で追うだけで良かったのだが、あの赤い血濡れの帆布鞄を思い出し、その男に玄人が何かされたらと、俺は本気で背筋が凍ったのだ。


「人を操るのは楽しいですか?あずま史雄ふみおさん。」


 留置場に響いた玄人の声は聞き取れるか聞き取れないくらいの小さいものであったが、臆病な彼のいつもの初対面の人間に対する脅えた声ではなく、それは抑えきれない怒りによって絞り出された掠れ声というものだ。


 玄人の剣幕に驚く俺達の目にしている風景は、まず玄人が房の前に立ち、房の中で胡坐をかいている男は玄人を惚れ惚れと見つめてニヤついている。

 さらに、折りたたみのパイプ椅子を牢の柵の前に置いて座っている若い弁護士が、玄人の登場に驚くどころか涼しい顔を見せている、という図だ。


 弁護士の見た目は、その職業に見合う一昔前のサラリーマンのような横分けにした堅苦しい短い髪に、楊達刑事と比べると数段に生地の良い淡いグレーのスーツ姿というものだった。

 何処から見ても気真面目そうで清潔感のある男の顔は童顔で、なぜか見た事があるような顔なのだが俺には思い出せず、見た事がある顔だからか、初対面でありながらなぜか気安く感じてしまう自分がいた。


 玄人がここまで敵意を露わにしていなければ、俺も楊も目の前の男に警戒心など抱くことはないだろう。

 そんな風情なのである。

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