さあ、面通しをしようか
玄人には「戻れない」と伝えた。
「どうしてですか?」
伝えた言葉に返ってきた玄人の声は、胸が痛くなる程の悲しそうな声である。
「死んだはずの刑事にそっくりの死体が見つかった。留置場の男の他にも殺人者がいるって事だろう?最終的な標的がお前かもしれないからな。そこの要塞から一歩も出るな。」
「でも、でも僕は良純さんの側が一番安全な気が。」
俺は目を瞑って数秒数えて自分を抑え、可愛い玄人の安全のために彼を言い聞かせねばと自分を奮い起こして口を開いた。
「すぐに迎えに行く。」
俺達を呼び出しておいて、楊は俺の説明を聞くや呆れたようにして目玉をぐるりと回して見せた。
「それで、チビを連れまわしているわけね。モルモットと一緒に。アンズちゃんは葉子さんの所に置いて来なさいよ。」
「その葉子さんのところで良純さんが叱られまくったから逃げてきたのですよ。」
玄人はくすくす笑いの声で楊に答えながら辺りをきょろきょろと見回しており、俺は彼がアンズ入りのペットキャリーを隠す場所を探しているのだと理解した。
「ほら、ここに隠せば?」
彼は俺の指摘ににこっと微笑むと、神奈川県警と書かれたペットキャリー入りの段ボールを当たり前のように楊の机の下に隠した。
「おいおい。俺の頼みを聞いてくれるんだからいいけどさ。」
警察は逮捕した人間を四十八時間以内に検察に送検できなければ、それが不当逮捕になってしまう。
玄人を誘拐した男は倒れていた玄人を介抱しただけと答える以外、本名その他も完全に黙秘をしており、そのことから検察による勾留請求が通ったのであるが、それでも尋問がはかどらなければ勾留して置けるタイムリミットが七十二時間なのだという。
時間切れで釈放することになっても逃さないために、玄人に被疑者の素性を探らせようと考えたのか、玄人を署に連れてくるように楊が俺に依頼して来たのである。
「でもさぁ、いいの?ちびは怖くない?地下にいるのは連続殺人犯かもしれない男だよ。」
「良純さんの側に居るから平気です。それに僕を誘拐した男を見てみたいですからね。携帯ショップで僕を担当した人は、三月に僕を誘拐しようとした人ではありませんでした。」
「断定、できるの?」
玄人は真っ直ぐに楊を見て、しっかりと断言した。
「出来ます。」
当主の顔でもなく、ただの自信に満ちた美女の顔だ。
楊が間抜けな顔で一瞬呆けてしまったが、それもそのはず、玄人は山口と俺の痴態を見て「自分は愛されていた」と確信したのか、迎えに行った俺を出迎えた彼は、花々が咲き乱れたような華やかさに輝いていたのである。
「じゃあ、まあ、行きましょうか。」
楊を先頭に彼の部署を出て署内のエレベーターホールへと向かい、そして俺達は無言のままエレベーターに乗り込んだのだが、ここまで歩いて楊の部下の一人にも会わなかったと気が付いた。
そして、気が付いたまま俺は何気もなく口に出していた。
「そうだ、山口はどこへ行った?」
ぶふっと楊は噴出した。
「葉山と二人で事件の洗い直しをしている。あいつ、髙に叱られてね。連れ込み宿の利用のし過ぎだって。公安仲間が全部見ていたって知って、真っ赤になって外回り中。」
「うそ!見られていたの!淳平君の馬鹿!考え無し!もう信じられない。」
玄人は真っ赤になって山口を罵ったが、確かに、初体験を衆人観衆の中でやってしまったと気付けば誰しもこうなるだろう。
人間は道端で交尾ができる犬ではない。
楊はパグみたいに顔じゅうに皺を寄せて変な顔になっている玄人に吹き出し、それでも慰めるためか、玄人の頭を幼い子供にするようにぽんぽんと撫でた。
「見られていたのは出入り口だけ。張り込みも慣れればね、そんな事に一々感情こめたり嫌らしい想像したりしないから、うん、セーフだと思う、かな。」
「かな、じゃあ困ります。」
「はは。北原刑事そっくりさん死体の件もあるしね、ちびの初体験なんか忘却の彼方だって。さぁ、地下に着いた。行こうか。」
エレベーターの扉が開けば、楊は地下の廊下留置場を目指してするっと降り立ち、ビジターカードを首から下げた俺達はただの見学者の顔をして何気ない風で楊の後ろを歩いた。
春日にベッタリ貼り付いている弁護士がいるらしく、普段の緩さを見咎められ、コンプライアンスの所で責められないようにとの配慮だ。
「公選の弁護士はやる気があるんだな。」
「それが違うんだよね。呼んでいないのに勝手に来た。自称人権派の弁護士で春日の権利やら何やらうるさくてね。DNAの任意提出はおろか、まともに尋問もできない。きっとこのまま拘留期間終了を狙っているのだろうね。」
「それじゃあ、仲間か。」
「身元は綺麗過ぎるほど綺麗だけどね。」




