友よりの電話
スマートフォンが振動し、俺はかけて来た相手の名前にウンザリとしながらも、それでも彼からの情報を知りたいからと耳に当てた。
「何だよ。俺を笑い者にしたりないか?」
スマーフォンに応対した俺に対して電話の向こうは一瞬無言となり、大きな溜息をつく音も聞こえた。
その溜息に昨夜のことが思い出された。
昨夜は無理矢理にすき焼きを作らされた上に、俺の口には入らなかった。
楊が山口を呼び戻したからである。
山口は処分寸前の大型の雑種犬を引き取ってしまったがために、上司である楊の家に居候している。
また、山口以外にも山口の相棒の葉山が警察寮を焼け出された為に楊の家に身を寄せており、楊の家は楊が寮母の独身寮さながらだ。
楊は落ちている哀れな生き物は何でも拾う癖がある。
そんな楊は、本当は玄人をも呼び出すつもりであったのに違いない。
楊は山口が帰宅するまでの間、何度も携帯を見ては舌打ちをしていたのだ。
帰宅してダイニングに現れた山口の顔は、楊が評したとおりの幽霊であった。
以前に玄人と別れた時の落ち込みよりも、今の彼は酷い有様である。
だが、俺の状態の方が酷かったのか、山口は俺を見て仰天していた。
驚いていただけじゃない、「大丈夫ですか?」とまで言い放ったのだ。
畜生。
「楊のソファにだらしなく横になっているけどね、元気一杯だよ、俺はね。」
すると、俺の姿に仰天して気遣いまで見せた山口が、俺を「酷い」と罵った。
まぁ、俺が「お前にゃ関係ないよ」と、続けてほざいたせいもあるがな。
「あなたは、やっぱり俺なんかどうでも良いんだ。玄人を独占できるなら俺の気持ちなんてどうでも良いんだ。俺は玄人一筋だったのに、いまや、あんたにまで惚れている。最悪だよ!そんな俺に玄人を失った悲壮感だけしかないって見せ付けるなんて!」
山口は言いたいだけ、俺を罵倒したいだけして、部屋に走りこんで閉じこもってしまったのである。
奴一人ではなく、リビングにいた山口の馬鹿な愛犬もうぉんうぉん吼えながら走って付いて行っていってしまったが。
あっちは山口を慰めるためではなく、山口との走り競争くらいにしか考えてなさそうだが。
まぁ、馬鹿犬だ、仕方がない。
騒々しいものが立ち去ったダイニングで、大きくハァーと息を吐いてしゃがみ込んだ楊の姿を背に、俺はそのままソファから立ち上がり自宅に戻って来たとそういうわけだ。
飯も食っていない空腹で、誰もいない真っ暗な家へ、だ。
「おい、俺も忙しいからね。さっさと言いたい事があるのならば言ってくれないかね。」
居間は玄人のいない埋め合わせのように乱雑になり、そこに俺は昨夜の作業着のまま寝転んでいた。
昨夜は自室にも帰らず、風呂にさえ入らずにここで寝ていたからか、部屋には俺の饐えた臭気が淀んでいる。
玄人が帰って来ても、「臭い」と言ってこの部屋に入らないだろうな。
帰って来るか?あの城の様な高級マンションから。
「……馬鹿。お前は本当に馬鹿。チビの荷物を纏めて玄関に置いておけば、チビがどんなに馬鹿でも出て行くでしょ。おまけに神棚まで壊したって?」
俺は楊の言っていることが一瞬理解できなかった。
一瞬どころか、何の話を始めたのかも理解出来無い有様だ。
頭をすっきりさせるべく、ゆっくりと起き上がった。
「おい、聞いているのか?それで、チビの携帯は誰かに勝手に着信拒否設定されていてね、おまけに他人のデータまで入っている。……ねぇ、聞いている?」
俺は眠っているのかもしれない。
何せ、未だに楊の話す言葉が一言も理解できないばかりか、電話を取る数分前の状況と全く違う様相を示しているのである。
これは夢か?
「ねぇ、百目鬼。聞いてってば。それで、チビの携帯のデータがね、ちょっと碌でもないものでね。今俺達が捜査中の殺された女の子の映像なのよ。ねえ、ちょっと、聞いている?」
「俺は寝ているのか?」
ゴンっと電話の向こうから聞こえた。
楊が自分の机に頭を打ち付けたのか、自分の携帯を投げたのか。
前者であったようだ。
小さく「痛い」と呟く楊の声が聞こえた。
「ねぇ、いい加減にしてくれる?俺も忙しいしさぁ。」
「俺も聞いて欲しいことがあってね。俺は玄人の荷物なんて纏めていないし、ましてや神棚だって壊してはいないよ。俺が帰宅して見た屋内の様子は、確かに玄人がやったにしては綺麗に跡形もなく整理整頓された空っぽの部屋だったさ。けれど、それが玄人の仕業じゃなかったって?」
俺はテレビ台を見返した。
そうだ。
玄人は敬愛する家具職人の叔父が贈ったテレビ台も本棚も置いていったばかりか、テレビ台に収納されたままの、最近は殆んど眠っているデスクトップも置いていったのだ。
玄人が俺の家に持ち込んだ荷物は、金持ちの子供の癖に、父方の祖母が高校入学時に買ってくれたというこのデスクトップだけであった。
継母の搾取により彼には財産が無く、服は武本物産の倉庫品を貰っていただけだったのに、その服も俺の家に匿っている間に全部捨てられていたのだ。




