85、五月雨茜は握られる
『なら、どうして……。これを押したんですか!?』
いきなり凄い文句を言われて俺も反応に困ってしまう。
拒絶されているのか……?
剣道部の先輩だった数人の顔が浮かんできて、胸が痛くなってくる。
慕っていた先輩たちから、暴力を振るわれたあの過去がノイズとして頭で再生される。
(もう、そういうの良いんだよ。解決して過去を断ち切ったんだろが。はいはい、なんちゃってシリアスやめろ)
しかし、そのノイズが中の人の手によってかき消されてしまった……。
えええぇぇぇぇぇ……。
そんなことある……!?
知らない奴のせいで、メソメソしていた自分が馬鹿らしくなった。
「どうして、これを押したって……」
「はい……」
「俺が自販機でウーロン茶を買っていた時、天使ちゃんが他の自販機に行かなかったからだよ」
「……え?」
「だって俺が飲み物買っていた時に違う自販機にあった飲み物が欲しいならその自販機を使うでしょ」
別に、こんなの当たり前から逆算すれば自ずとわかることだ。
「わざわざ律儀に俺がウーロン茶を買い終えるのを待ったってことは、この自販機の物が欲しかったんでしょ?違う?」
「あ……。で、でも!なんでオレンジジュースなんですか!?なんでなっっちゃんなんですか!?」
「え?なんで……?」
そういや、なんで俺はオレンジジュースにしたんだろ?
考えても、そんなことわかるわけない。
「それこそ、ただの本能だよ」
「なんですかそれ……」
「と言われても……。あ……」
「どうしました?」
そうだ。
思い出した。
原作で五月雨茜はよくイベントCGや立ち絵でオレンジジュースを片手にしている描写が多かった気がする。
だから、この自販機で唯一のオレンジジュースだったなっっちゃんに指が吸い込まれたんだと思う。
それを彼女に説明するのも、頭がおかしい奴である。
なんとかはぐらかさないと……。
「君はオレンジジュースが好きな気がしたから」
「……っ」
「まぁ、運命ってことで」
「なんですかそれ……」
ご、誤魔化せてくれ……!
こっちにも記憶障害なっている以外にも、色々あるんだよ……。
心臓をばくばくさせながら、天使ちゃんにオレンジジュースを渡すように手を伸ばす。
それをおそるおそる手に取ってくれる。
「んじゃあ、俺は教室に戻るわ」
「ま、待ってください……。明智先輩!?」
「ん?」
「ごめんなさい……。ごめんなさい……。ごめんなさい……」
「ちょ、ちょっと!?天使ちゃん!?」
本格的に泣きながら謝られてぞっとする。
これ、通行人が来たらカツアゲして泣かせたみたいにならないか!?
泣いている天使ちゃんの壁になるようにして、誰か通行人がジュースを買いに来ないか警戒する。
「記憶を……、戻させてください……」
「…………え?」
「ごめんなさい……。明智先輩……。自分が明智先輩の記憶を奪ったんです……。いくらでも殴ったり、罵ったり、慰みものにしても構いません……。だからどうか……、許さないでください……」
「いやいやいや、殴ったりとか罵ったりとかしないよ!?慰みものってやっぱり俺ってそういうキャラなの!?」
泣かれたことや、記憶を奪ったカミングアウトよりも、彼女の覚悟に驚かされた。
いや、色々起きすぎて頭の整理が追い付かない……。
「と、とりあえずどっか行こっ!」
「な、ならいつぞやみたいに部室に行きましょう……。犯される覚悟はしてます……」
「いらん覚悟だよ!ほら、なら部室に行こう!」
「…………ぅえっ!?えっ!?」
五月雨茜の手を取り、自販機コーナーから離れる。
なんとなくもう部室の場所も頭に入っているので、そのままやや早歩きで直接目的地まで駆け込んでいく。
「あ、明智先輩……。ごめんなさい……」
「なにに謝ってんだよ」
「だから……、記憶を弄って……」
「わりぃな。天使ちゃんに謝られることなんてないんだわ。だって俺、記憶障害だから君に何されたかなんて頭に残っちゃいないんだよ」
「せん、ぱい……」
男の先輩が女の後輩を引っ張っていくなんていう面白い光景だ。
自分がエキストラの通行人だったら、まず絶対にじろじろ見てしまう。
案の定、たくさんの通行人からはじろじろと見られていた。
「なんだ?なんだ?」と、ざわざわしては俺と五月雨茜への視線が集まっていく。
やっぱり彼女は白い天使のようで、両目がキラキラと光るオッドアイ。
目を惹くなというのも無理な話だ。
「ちょ、ちょっと……!明智先輩!は、恥ずかしいですよ……」
「それだけみんな天使ちゃんに注目してんだよ!」
その言葉が聞こえたのか、「明智が天使ちゃんって呼んでる……」と俺の知り合いらしき男が呟いた。
それと同時に「あらぁ……」と通行人たちが微笑ましい目を向けてくる。
「こ、これっ!?誤解されます!誤解されますよっ!?」
「させときゃ良いさ」
「ど、どうして!?」
「それで天使ちゃんが泣き止むならいくらでも誤解してくれて構わないよ」
「っっっ!?」
そうして、見られながら部室を見付けてドアを開ける。
中に誰かいないのかと見渡すが、誰もいないようで無人の教室になっていた。
「が、概念さんはいないみたいですね……」
「概念さん?」
「ぶ、部長ですよ。部長」
「ふーん」
そんなエニアのあだ名みたいな名前の生徒が部長だったのか。
本当に豊臣光秀以外の記憶はさっぱり残っていないのであった……。