62、ヨル・ヒルは飲ませたい
「ここに俺、本当に通ってたの?」
「通ってたどころが常連客だろうが!ほらっ、ビシッと姿勢良くして!」
ヨルが見たことも聞いたこともないサンクチュアリとかいう喫茶店に俺を連れ込もうとする。
サンクチュアリ……、聖域とはまた大層な名前を付けたものである。
ヨルが出入口の扉を開けると『カランコロン』とベルの音が鳴る。
かなり趣味が古そうなベルだ。
「いらっしゃーい。あ、ヨルさん。それに秀頼君と一緒に出勤なんて珍しいね」
「へい、マスター。今日は秀頼のために協力してくれ」
「え?なにを?」
「なんだよ、咲夜から聞いてないのかよ」
咲夜?
そういえばラインで谷川咲夜という女の連絡先があったな。
その女のことかな?
顔と名前が一切当てはまらないが……。
「咲夜から?」
「昨日、あいつから聞いてないか?」
「別になにも……」
「こっちもホウレンソウ(報告・連絡・相談)が出来ていない親子が……。秀頼のやつ、記憶障害でこれまでの記憶全部消えちゃったんだよ!」
「ははは、草」
「信じてねぇなその顔」
年齢よりは若そうな見た目のイケオジみたいな人はヨルとやり取りをしている。
どっちも砕けた口調で会話していて友達かなんかにしか見えない。
ちなみに、誰だろうこのイケオジ?
「なに?秀頼君、記憶障害で記憶ないの?」
「はい。まったく記憶がありません」
「なんかそういうゲームをしているの?こういうの本当に好きね」
「全然信じられてねぇじゃねぇか!普段マスターとどんなやり取りしてんだよ!」
「し、知らないよ……。記憶ないんだから……」
ナチュラルにゲームキャラクターですらないイケオジに話しかけられて戸惑っているんだから。
結構反応に困る相手と対面させられたものだ。
生徒同士なら『ウェーイ』『ウェーイ』で会話が成立するのに、多分この目上の人に『ウェーイ』と声を掛けるのは失礼に値するだろう。
俺の性格上、このイケオジには敬意を払っていたことだろう。
この若いときにヤンチャしてチンピラしてそうなイケオジに対して、悠久先生のように舐めた態度は取らなかったはずと思いたい。
「咲夜から言っておけっての!説明するのが面倒じゃねぇか!」
「本当に記憶失ってんの?ふざけているだけじゃないの?」
「ふざけてないっすよ!ふざけてないよなー、明智?」
「ふざけてないっすよ!」
「……いや、ふざけてる寄りのトーンだな」
「声だ!声!声変わりしろ、明智!」
「声変わりはしてるんじゃない?」
ゲーム、アニメでの幼少期秀頼は三島遥香の中の人がショタボイスを出して演じていたはずだ。
今の声からは三島遥香の声の雰囲気はなく、完全に秀頼の中の人と同じ声である。
「記憶を失っているせいでマスターの名前すら忘れているはずだ!このおじさん、誰だかわかるか明智?」
「知りませんよ」
「ワンチャン、素でこの男は僕の名前を知らない疑惑あるからな」
「どんな仲なんだよ!とりあえず信じてマスター!?」
「わかったよ!わかった!信じる!信じるから!」
ヨルの強引な信じてという訴えが通じたようである。
男の人は女に強く言えないのは、こっちの世界もあっちの世界も変わらないようだった。
「んで、明智ニキは何しに来たんだい?」
「俺、明智ニキとか呼ばれてたの?」
「今まで呼ばれてなかったじゃねーか!ちょっとマスター!記憶を蘇らせる手伝いしてくださいよ!」
「わかったって!ちょっとした悪ふざけじゃん」
しかし、マスターと呼ばれた人は半信半疑の目を向けている。
そこは仕方ない。
俺だって記憶失ったのは半信半疑なのだから……。
「んじゃあ、着替えてくるから雑談してろよ!」
そう言ってヨルが店の奥へと消えていった。
「こわぁ……」
「まあまあ。好きな人の前で真面目ぶりたいんだよ。可愛いところがあるじゃないか」
「まあ、確かにそう捉えると可愛いかもしれませんね……」
しかし、ヨルの好きな人なんてどこにいるんだろう?
タケルくーん?どこー?
「はっ……!?まさかマスターさん!」
ま、ま、ま、まさかのマスターとかいうイケオジと……!
リアルパパ活をはじめて見た気がする。
「全然違うから。記憶失っても変わんないね、そういうとこ。最近は治まってたけど3年ぐらい前の君、そんなんだったよね」
「え?」
「本当に記憶ないんだね。この店の店長だよ、秀頼君」
「よ、よろしくお願いします……。店長さん」
「マスターで良いよ」
「どの辺がマスターなんですか!?」
「君からマスター以外で呼ばれないとぞっとしない」と言われる。
果たしてこんなイケオジともどんな関係だったのだろうか……。
記憶失う前の俺の人生、ちょっとおかしくないか……?
なんでこんなに交遊関係が広いんだろう……。
「よぉ!着替え終わったぜ!超特急だぜっ!」
「あ、俺も超特急好き」
「アーティストの話なんかしてねぇよ」
「なんだぁ……」
「それよりも明智よ。ここは喫茶店だぜ?あたしがここに連れてきたのだって理由があるんだぜ?」
「へぇ」
フリフリで可愛らしいウェイトレス姿に身を包んだヨルが側に来てちょっと緊張しちゃう。
あれ?ヨルって可愛い?
「お前がいつも飲んでいるコーヒーを口にしたら脳が覚醒して記憶が蘇るかもな!」
「確かに!味って大事らしいもんね!」
「さぁ、注文しろ明智!いつもお前飲んでいるコーヒーを!?」
「じゃあマスターさん!ブレンドコーヒー1つお願いします!」
「お前、ブレンドコーヒーなんか飲まないだろうがっ!」
「いだいっ!?なんで!?なんで怒られたの!?」
激しくグーパンされてめちゃくちゃ痛い……。
この店のオススメにブレンドコーヒーってあるから頼んだのになんでキレられたの……。
頬を抑えてパニックになっていた。
「マスター。明智にエスプレッソを」
「う、うん」
あと、なんで勝手に俺の注文をヨルがしているんだろう……。
ブレンドコーヒーは俺に来ないらしい……。