41、五月雨茜の心の隙間
1人の少女は下を向きながら廊下を歩いていた。
教室の中の喧騒は彼女にとって癒しだった。
赤坂乙葉、細川星子、津軽和らと部活の話題で盛り上がったり雑談を繰り返す。
そんな場に自分も身を置くと復讐心が安らぎ、ギフトのことなんかどうでも良くなってしまう。
ギフトアカデミーに通っている以上、彼女らもギフトを使役する悪魔かもしれないのに自然と信頼出来たりもした。
あとは部活の先輩である明智秀頼に絡まれるとちょっと心が落ち着いてしまい、その空間にずっと身を置きたくなるくらいに気を許してしまっている自分がいた。
陽だまりのような暖かい人であり、まるで本当の兄みたいな人である。
(でも、自分にその場は似合いませんね……)
嫌であってもそんな光の空間に自分は居られないと思い込んだ五月雨茜は教室ではなく、ギフト狩りの活動拠点になっている生徒指導室へと導かれるように足が動く。
(今の自分には、ギフト狩りから足を洗った上松先輩の気持ちが良くわかります)
関になにを言われても絶対にギフト狩りには戻らない意思を固めた先輩。
それはとても羨ましいなと輝いて見える。
では、ギフトへの憎しみを消せるかと言われたらそれもまだ出来ない。
(自分は中途半端ですね……)
つらそうにため息を吐いた。
生きていることすら逃げ出したいくらいに、五月雨茜は希望が見いだせなかった。
(お兄ちゃん……。自分もあの世に連れて行って欲しいです……)
脳が本音を再生していた。
でも、それを口に出してしまうと本当に兄のいる世界に連れ出されてしまいそうでその言葉をぐっと飲み込む。
死にたいのに、死ぬのは怖い。
そんな矛盾に五月雨茜もまた震えてしまっていたのであった。
(今日はなにを言われるでしょうか……?)
自分以上にギフトを憎み、ギフトに執着がある男──瀧口雅也。
彼に呼び出され、その恐怖がまた生徒指導室に運ぶ足の動きがゆるやかになっていた。
色々な気持ちがぶつかり合い、心が死にかけていた五月雨茜。
そんな彼女を呼び止めるような声が1つ届いた。
『おーい、アカネっち!』
「あ……。翔子ちゃん……」
同じクラスメートの綾瀬翔子が教室がある方向から声をかけて来る。
乙葉、星子、和よりはあまり会話という会話はしないが、彼女の気安く呼び出してくるような陽キャな雰囲気は振り回されたい五月雨的には接しやすい人である。
それに、差別的な陰口も皆無であり、明智秀頼並みにマシンガントークをしてくる綾瀬翔子には親しさすら覚えている。
「朝からどこ行くの!?おトイレ!?」
「行きませんよ……。なんでそうなったの……?」
「なんかつらそうな顔してるから」
「だとしても翔子ちゃんには言いませんよ」
「小粋なジョーク!ここ笑うとこ!」
「…………」
死んだ目になった茜の視線が10秒ほど翔子に突き刺さる。
『あ、これ滑ったな……』と自覚して、自分から話題を反らす。
「およよよ……。オレっちの好感度はまだまだ低いじゃねーかよ!」
「なんの話?」
『やっぱりオレっちはタケルじゃねーからなぁ……』と、ギャルゲーに関わりすらない自分が蚊帳の外に追い出されているのを肌で感じた。
(すまん。明智氏……。オレっちなりに原作の悪い展開を変えてやりたかったが無理だったよ……。オレっち、なんという噛ませ犬!)
噛ませ犬の自覚を持ってしまった翔子は、すぐに撤退の準備に取りかかった。
「生徒指導室行くんです。なにか用でもあるんですか?」
「せ、生徒指導室な!で、でも生徒指導室なんかにこんな朝っぱらからなんの用だよユー!?」
「さぁ?なんでしょうね?」
「…………」
(取り付く島もない。よし、撤退する!これから面倒ごとが起きそうだが明智氏、じゃあ頑張って!オレっちはゲームの舞台から逃げ出すぜ!)
翔子は心で秀頼に詫びると、「あんまり悪いことすんなよー!」と茜に砕けた口調で意味のない釘を刺す。
「悪いことなんかしませんよ」と茜の断言する口調に、もう翔子はなにも言えなくなり背中を向けた。
「今日は悪いことしてはいけない日だわーっ!」とおどけたことを言いながら翔子は教室に引き返していく。
「なんだったんだろう?」と、翔子の奇行に圧倒された茜。
──これがヒロインを攻略をしようとする翔子と、無自覚にヒロインを攻略していた秀頼との違いとも言える。
「面白い人……」
茜はよくわからないながらも自分を元気付けようとしているのかな?と気付くと、これから仲良くなってみようとも思った。
くすっと笑い、振り返るともうすぐそこには生徒指導室があった。
「…………すぅー、はぁぁ……」
(たどり着いちゃったかぁ……)
深呼吸しながら、教室に引き返したい衝動に刈られながらもノックを3度ほどしてから「失礼します」とドアを開けた。
「来たかね……」と、本を読んでいたらしい瀧口が茜の顔にすっと視線を合わせた。
「びくびくしているな……」
「いえっ!別に……」
「別に僕は五月雨君に威圧しているわけじゃないんだ。楽にしなさい」
瀧口が向かい合う席の椅子へと促すと、茜は小さくなりながら椅子を引いてから座る。
「ふむ」とその彼女の様子が蛇に睨まれたカエルのようだと感想を抱く。
「最近僕は気付いちゃったよ」
「え?き、気づいた?なににですか?」
「僕たち、ギフト狩りの活動を邪魔しようとしている者の存在にさ」
「え?そ、そうなんですか?」
(失敗続きの自分だと責められるのかな……)
彼女はネガティブに考え込んで、固唾を飲む。
しかし、彼から出された者の名前は茜を驚愕させる人であった。
「明智秀頼君」
「あ、明智先輩ですか?」
「僕は彼のことを個人的に良き生徒だと多大に評価している。……が、あまりにこの1年はギフト狩りからしたら目障りなんだよね。上松君を引き抜かれた時から僕の邪魔をしようとしていたのかね。参ったねぇ……」
「そ、そうなんですね……。でも、明智先輩はギフト狩りのことなんか知らないんじゃ?」
「そうだね。知らないと僕も思ってる。でも、ナチュラルに邪魔してくるなら、ギフト狩りのことを知ったらより邪魔してくるかもしれない。少し、彼には退場を願いたいね……」
「退場……?殺すということですか?」
明智先輩が邪魔だから殺す……?
茜は自分に良くしてくれる先輩を手にかけろという命令が下されるのかと震えてくる。
「殺すには惜しい生徒だよ。僕の理想の生徒像の明智君を殺すなんて可哀想じゃないか。だから……」
「だから……?」
「明智君の大事なものを奪ってやれば良い」
「先輩の大事なものを奪う……?」
命じゃない?
秀頼の大事なものとはなんだ?と茜は混乱して悩ませるも答えは出ない。
「それが出来るのは五月雨君のギフトだよ。君に命令を下す。……Αυξημένο μίσος」
「こ、これ瀧口先生のギフト!?自分にしか出来ないってまさか……!?」
「人間関係を……、絆を断って凡人に成り下がらせるんだ」
「っっっ!?」
瀧口のギフト『憎悪増幅』が茜の心の隙間を埋めるように侵食してきていた……。