50、ヨル・ヒルは本当の名前を呼ばれる
【クズゲスSIDE】
「よぉ、明智!いらっしゃい!」
「こんにちは、ヨル」
「ささっ!座れ座れ!」
「わかった、わかった」
いつもはサンクチュアリで出迎えてくれるマスターだが、今日は珍しくヨルが1人で出迎えてくれた。
ヨルに促されるまま、カウンターの席に案内される。
「今日、マスターはどったの?」
「マスターは今日、車の車検なんだとよ。大人は金がかかるねぇ。はぁ、やだやだ。乗用車の命を守る車の点検なんて言ってはいるが、こんなの車屋や国が儲けるためのシステムだってんだぜ。かーっ、生きるのも金だ、金だ、なんて生きづらい世の中だねぇ」
「車検になんの恨みが……?」
「あぁ。大人になったタケルが車検の度にぶちギレてたからな。よく悠久と酒飲みながら愚痴ってたんだよ」
嫌な大人の会話である。
子供はよく大人になりたいなんて言っているが、大人の悪い面ばかり見てきた俺からしてみればむしろずっと子供のままにいたいのに。
そういう現実を直視する度に、大人への憧れは幻滅に変わる。
30年以上経っても子供なままな俺も、そろそろ大人の仲間入り目前だなんて信じられそうにない。
「んで、咲夜がマスターに昼飯たかりが目的で一緒に出掛けたから店番と留守番があたしだけというところ」
「まぁ、マスターなんか咲夜と出掛けたら無条件で飯奢るでしょ」
よく俺やタケルだって奢ってラーメン屋とか行くので、娘だともっとグレードの良い店に行くだろう。
ワンチャン、寿司とかステーキとか食べ放題とさリッチな昼飯をしていそうだ。
「そんで客も来なくて暇してたところに明智が来たわけだ」
「もう少し暇を満喫したかったか?」
「いいや。明智の顔が見たかった。ナイスタイミング!」
ヨルがにかっと笑う。
男前と可愛いが混ざった笑顔に俺も自然と顔が綻んでいく。
やっぱりメインヒロインかだけあって、かっけぇよヨルさん……!
真エンディングはなんでヨルなんだよ!とかイキッててすまんかった!と、前世の自分の行いを悔いはじめた。
「なんか飲むか?」
「あれ?ヨル、コーヒー作れるの?」
「ま、あたしも咲夜と混ざって修行中なのさ」
てっきり料理担当のヨルだと認識していたので、イマイチコーヒーを淹れるヨルの姿があまりイメージできない。
「じゃあ、エスプレッソでももらおうかな」
「た、ただ……。まぁ、マスター並みのコーヒーは期待すんなよ。あたし的にはまだまだ未完成なんだから」
「いいよ。楽しみにしてる」
「……はいよ」
照れ隠しをしているのか、俺から目線を反らす。
そんな仕草にほっこりしつつ、ヨルをじっと眺めていた。
「……………………」
「……………………」
──カタカタカタ。
食器が弱々しくぶつかり合うような音が小さく響く店内。
店内のクラシックなBGMがより、静けさを演出させる。
「…………あの、明智?あんまりじろじろ見ないでくれ……。は、恥ずかしいじゃねぇか……。スマホとか雑誌とか適当にしてくれ」
「だってスマホや雑誌読むより、ヨル見ている方が可愛いし、和むんだもん」
「っ……!?このっ、女垂らし!女垂らし!女垂らし!」
「違うよ。俺はヨル垂らしなんだよ」
「っ!?アホっ!むかつく!」
ヨルはわざとらしく暴言を吐く。
可愛いらしいなぁ……。
たどたどしい手つきなのが、また子供を見守る親の心境になり、ずっと眺めたくなる。
「なにがヨル垂らしだ!ヨルって呼ぶな!」
「うわっ!?ひでぇ!?じゃあ、ヨルのことなんて呼べば良いんだよ!?」
「知らねぇよバカ。とにかく、あたしの名前を呼ぶな!」
理不尽に叱られながらも、本当に嫌がっているわけではないのは察している。
本当はもっとイチャイチャしたいんだろう。
彼女は愛情表現が苦手なんだ。
うーんと悩んでいると1つ閃いた。
「おーい!ヨル?」
「…………」
「うわっー。無視」
「…………」
淡々とコーヒーをつくる作業に取り組むヨル。
なるほど、無視をするなら違うアプローチに切り替えていこう。
「おーい!華子ちゃーん!」
「っ!?」
「華子ちゃんのコーヒー楽しみ!まだ?まだ?」
「だぁぁぁ!あたしの名前を呼ぶんじゃねぇ!覚えてやがったのかお前ぇぇ!」
「柏木華子、だろ?」
「本名で呼ぶなぁぁぁぁ!ダサくて嫌なんだよぉ……」
前世のアニメスレにて、『悲しみの連鎖の断ち切りのメインヒロインさん。クソダサな名前が判明するwww』とスレ立てされてしまい、アニメ勢から『華子www』『華子!?』『華子のことヨルって呼ぶのやめろ』などネタにされていたのは記憶に新しい。
ヨルもその名前にコンプレックスがあるようである。
「でも、俺は好きだよ。華子ちゃん。素朴で良い名前じゃないか」
「うっ!?そんな嫌味のない顔で褒められると良い名前だと勘違いするだろぉ!?やめろよぉ……」
「けらけらけら」
「おい、おちょくるようにあたしの真似すんのやめろ」
それからすぐにヨルはエスプレッソを淹れて、俺の目の前に置いた。
「本当、明智はたまにサディストになるんだから……」
「ありがとう。美味しくいただくよ華子」
「やめろぉぉぉ!耳がっ!耳がソワソワするっ!」
「慣れてないだけだって。偽名のヨルに慣れたんだから、本名の華子だってすぐに慣れるさ」
むしろ俺にしてみれば柏木華子よりよっぽどヨル・ヒルの名前の方が面白いし。
ヨルは恥ずかしそうに顔を真っ赤にさせて、下を向いていた。
ちょろっと覗かせる八重歯がまた可愛い。
「じゃあいただきまーす」
いつものように角砂糖を溶かしていく。
あとはミルクも足して味を整えていく。
「明智は可愛らしい味覚してるな!タケルもあたしもコーヒーはブラック派だぜ!お子様舌ってやつだ」
「俺はなんでも甘いのが好きなんだよ」
「明智の性格にもよーく出ているな。お前はあまちゃんだからな!」
「うん。だから付き合っている子には甘やかしたくなるんだ。華子のコーヒーも香りが良くてリフレッシュできるね」
「明智のバカ!」
実は華子と呼ばれて満更でもないのがわかる。
恥ずかしいけど、嫌ではない反応だ。
彼女も本当はヨルではなく、どこかで華子と呼ばれたいのかな?なんて彼女の真意を読み取る。
充分にエスプレッソをかき混ぜていき、ようやく俺のコーヒーが出来上がる。
「いただきまーす」と言いながら、ヨルが作ったエスプレッソを口に含んだ。