13、佐木詠美との邂逅
詠美の来訪を終えて、1人部屋でコップに注いだウーロン茶を飲みながら、色々な感情がぐちゃぐちゃに混ざっていた。
──佐木詠美。
俺の数少ない、豊臣光秀時代の記憶が呼び起こされる前からの知人・隣人・幼馴染。
どうしても、詠美のことを考える度に胸が痛くなり、昔のことを思い出す。
血の味が常に口に広がった、灰色のような終わりが見えないモノクロな世界。
壊されていた日常。
人の幸せが、ただただ不快だった。
自分の世界は、この明智家の狭い鳥籠で『死にたくない』とばかり怯えていた。
「はぁぁぁ……。嫌だねぇ……。たまに叔父を殺したくなってくるよ。恩も大きいおばさんも、仇で返したくなるね……。参ったなぁ……」
(主ですらそんな危険な思考に支配されることがあるんだな)
「たまには良いだろう……。それにお前は俺なんだ。この感情はお前が抱いているものだろ?」
(確かにな。きはははっ!)
中の秀頼が愉快そうに笑う。
普段はあまり詠美に関わらないようにしていて抑えているが、やはり今でも俺は彼女が大好きな気持ちは変わらない。
彼女を大好きな気持ちが嫌でも昂っていく。
その詠美が大好きな気持ちが、苦くて心が壊れていくくらいに強力な毒を持っていたとしても……。
「ふぅ……」
ため息を吐きながら、遠い遠い忘れかけていた記憶を呼び覚ましていた……。
─────
「おい、奈々。秀頼の姿が見えないぞ。どこ行きよったん?」
「あ、あんた……。もう、あの子に酷いことしないであげて……。あんなに常に泣いていて見てられないわ……」
「ああん?ならっ、見ないとええやんなっ!」
「や、やだっ!?や、やめて……」
居間から聞こえてくる会話に僕は耳を塞ぐ。
おばさんの泣き叫ぶような声と、恐ろしい暴力の音がする。
髪を引っ張られているのか、叩かれているのか。
恐ろしい、恐ろしい、恐ろしい。
ビクビクしながら僕は狭くて息苦しくて暗い闇の中で息を潜めた。
「お前、さっきからあっちの部屋をチロチロ見てるな。ははーん、またクローゼットに秀頼を隠したな」
「っ!?やめてあげて!幼い子供にもう酷いことやめてあげて!」
「幼い子供ぉ?何をバカ言っとんねん。子供も産めない女未満の身体のお前が何ふざけたこと言ってんねん。あいつはウチの子でもなんでもない」
「…………っ!?」
「お前が子供産めん身体だって知ってたら夫婦なんかなってなかったわ。挙げ句の果てには勝手にくたばった化け物兄貴の息子を育てろだぁ?愛せるわけないやろがい」
耳を手で塞いでも、指の隙間からはなんとなく言葉が漏れてくる。
意味はまったくわからないけど、あの男は僕が邪魔なのは伝わってくる。
「その点、お前さんの弟は最高な人生やないかい。子供の娘生んで嫁さんがくたばったんやろ?今や娘もいて、再び女を選び放題。俺の底辺人生とは大違いだな」
「流はそんな人じゃない……。弟はずっと木葉さんに一途だよ……」
「あぁ、そうかい。どうでもええわ。とにかく、秀頼には教育が大事な時期なんや。最近じゃあ、お前よりしゃぶるのが得意でなぁ。舌使いも中々のもんや」
「な、何をさせてるんですか!?秀頼に、何を覚えさせて」
「うざい」
バチンと鈍い音がする。
怖い、怖い、怖い。
僕にも向けられるんだ。
あの大きな手で頭を掴まれて……。
「…………」
おばさんはここに隠れていて大丈夫と笑っていたが、本当に大丈夫なの……?
またおばさんに嘘を付かれていないか、怖い。
おばさんも僕を心配する振りをしながら、毎回嘘を付く。
『ここにいればあの男から捕まらないから』
『今は出掛けているから、秀頼は安心して眠れるから』
そうやって優しい振りをしながら、毎回叔父に見付かれてしまい殴られたり、変なものを口に咥えさせられたりする。
もしかしたらおばさんも混ざって、2人で僕を虐めているのかもしれない。
最近はもう、おばさんに対する信頼も薄れつつあった。
「…………」
おばさんも僕が嫌いだったら、ここは開けられてしまい叔父に酷いことをさせられるだろう。
だったらここから出て逃げるべきか……。
この暗い、箱から飛び出していこうかどうか迷っていた。
その時、ギギギギギギィーとした音と共に光が射し込む。
「クローゼットの中に隠れてやがったなぁ秀頼」
「……っ!?」
やっぱりおばさんは僕の味方でもなんでもなかったんだ……。
伸びてくる叔父の手を避けるようにして、箱から飛び出す。
「ふんっ!」
「がっ……」
めり込ませるようにして、腹に蹴りを入れられる。
口からヨダレが吹き出し、床に転がった。
「なぁ、おい秀頼よぉ!誰の金で飯が食えてんだよ?実の子供でもねぇ奴をここまで育てた恩、俺はまだまだもらってねぇ」
「…………」
何を言っているのかは理解出来ないけど、なんとなくで頭にスッと入ってくる。
ただただ、俺が邪魔なんだ。
「お前の妹を引き取れたらなぁー……。もっと興奮したのによぉ!なぁ、スカートの履き心地はどうだ?」
「…………す、スースーする」
「そうだなぁ。スースーするよなぁ……。女もののパンツも履かされたら……、そりゃあスースーするなぁ。お前もまた色っぽい顔してるなぁ。智尋の遺伝子が強いんだな。目付きだけは兄貴っぽくってムカつくが……」
「っ!」
「あ!おい!逃げるなっ!」
足を動かす。
玄関に行き、靴を履く。
逃げないと、逃げないと……。
靴のカカトを潰しながら、外を走り出す。
「秀頼っ!」
おばさんの声がしたが、それからも逃げるように道を走り出す。
隠れられる場所が多いところへ。
自然とよく行く公園に足を向けていた。
「けっ。どうせすぐ帰ってくるよ」
叔父の声に足がすくみそうになるが、それでもただ走る。
そのまま走り抜き、どれくらい走ったかはわからないが公園にたどり着く。
その時、俺ははじめて出会ったんだ。
「ん?アレ?男の子だ!」
「…………え?」
「アレ?でもスカート履いてる……。…………女の子?」
「男……だけど……」
自分と同じ年の女の子に──。
それが佐木詠美との出会いであった。