19、繰り返す悲劇
「うぅ……。うっ…………、頭が痛い……」
浅井千姫は部室に籠り、1人よろめいていた。
『はぁ……。ったく、何が母性本能だよ……。お前の親とかどんな人なんだよ』、秀頼の何気ない一言がトリガーだった。
…………あたしの親って何?
考えたことはなかった。
だって、彼女には親なんか存在しないから。
捨てられたとか、孤児だからとかそんな話ではなく、本当に存在しないから。
当たり前のように授業を受け、当たり前のように趣味に没頭し、当たり前のように寝る。
そんなルーティン以外、彼女には記憶が存在しなかった。
秀頼の何気ない一言が、その矛盾を突いた。
いつから学生寮に住んでいるのか。
わからない。
記憶を引っ張りだしても、学生寮で暮らしていたモノしか浮かばない。
何故、学生寮に暮らすことになったのか?
ギフトアカデミーで勉強する前、どこの中学だったのか?
自分の家。
実家。
家族。
ゆりかやヨルなどの寮メンバー以外の誰かと暮らした記憶。
そういった、当たり前の情報がない。
まるで、最初から学校と学生寮を往き来する為だけに自分が存在しているようなそんな錯覚。
それに気付いた時、千姫は顔を青ざめた。
そこに疑問を持ったことすらない。
人は親が存在しないと生まれない。
その知識はあれど、自分の親は誰なのか?とか考えたことすらなかった。
いや、考えようとすることそのものを禁じられていたように、疑問を挟むこともない。
「あたしは……誰……?」
そもそも、なんで自分は浅井千姫なのか?
自分が浅井千姫という名前を名乗っていた理由すらわからない。
ただ、漠然と自分は浅井千姫という名前なのはわかっていて、周囲も自分を浅井千姫だと思っている。
誰が名前を付けたのか?
誰が浅井千姫を名乗れと命令したのか?
記憶をいくら掘り返そうと、そんな記憶なんかないと証明するようにただただ寮と学校を往き来する記憶しかない。
「ぅ……。ヨリ君……。あたし、変なのかな……?」
さっき会話したばかりのヨリ君へ通じるかわからないけどスマホの番号をタップする。
彼に最初にする電話が『自分の存在がわからない』なんて意味不明だなと自嘲する。
まだ、電車で電話が出れないだろうか?
それとも、既にみんなと合流して電話が出れないだろうか?
そんな不安を抱きながら、ワンコールがスマホから鳴った時であった。
『クハッ。そういうことしちゃダーメ』
「っ!?」
クラスメートであり、同じ部活の部長。
黒幕概念の声がどこからか聞こえる。
その声が聞こえた瞬間、スマホの電源が落ちる。
──おかしい、まだ70パーセントは残っているのに急に画面が暗転するなんて!
千姫は異常事態に気付き、スマホの電撃ボタンを長押ししても何も反応がない。
親しい概念の声も、今はただ恐怖の感情しか沸かなかった。
「が、…………概念さん?違う……。あなたは誰……?」
『クハッ。クハハハッ』
見慣れたクラスメートの髪が徐々に白くなっていき、透き通るような白い肌が褐色へと染まっていく。
それは、まるで色の砂時計を逆さまにしたように神秘的な光景であった。
そして、身長も縮み見慣れない女の子が千姫の目の前に立っていた。
『お前は疑問を持ってはいけない』
「え……?」
『クハッ。浅井千姫はNPC。NPCに余計な情報は不要』
「うっ……!?」
秀頼がトリガーになった記憶の綻びが閉じていく気持ち悪い感覚に、千姫の脳は拒絶していた。
しかし、目の前の女の子の言霊が拒絶の輪をほどいていく。
「あっ…………!?あっ、やめっ!?やめてっ!?助けて!助けて、ヨリ君!?」
喘いだ千姫は苦しみに悶える。
口元にはヨダレが糸を引いているが、拭えないくらいに身体が動かせない。
その瞬間、千姫の脳に存在しない記憶が浮かんだ。
「おねっ……、お願い……。やめて……、エニア……」
『クハッ……。おや?理知歩愛沙の記憶がまだ残っているな。その記憶は存在してはいけない。浅井千姫、お前は浅井千姫だ』
「ああああああああ!」
一瞬思い出したエニアの記憶が忘却したのと同時に、浅井千姫の意識は途切れた。
『クハッ。まったく、明智秀頼のイレギュラーには困りものだ』
浅井千姫の身体を持ち上げながらエニアは立ち上がる。
そのまま明智秀頼と別れた後の記憶を抹消させておく。
それと同時に面白いことを思いついたと、口元を三日月の形に歪ませた。
『浅井千姫に明智秀頼への恋心を植え付けてみるか。偽りの恋心に酔わせて、理知歩愛沙の記憶の扉への興味を失わせるか……』
それなら、もう自分の記憶に疑問を抱かないはずだ。
エニアの最大の切り札でありながら、最大の弱点である浅井千姫の秘密を守るために、暗躍していた……。
浅井千姫の正体は、抹消されたファイナルシーズンのヒロイン理知歩愛沙です。
正体の裏付けとして、アナグラムになっています。
richihoaisa
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asaichihiro