24話 追いつかれたら殺されそうだから逃げるわ
「陽君!!」
「おー 茜か、ちょうどよかっ………た…………………」
茜はその目に陽一を捉えた瞬間、パァッと花の咲くような笑顔を浮かべ 教室に入ってくる。
帰りのホームルームが終わってからは既に20分ほどが経過しており 部活生や特に学校に用事のない者は早々に教室を後にしていたが、残っている数名の生徒達はこれから何が起こるんだと面白そうに事態を眺めていた。
そんな中 奏は茜を一瞥すると不敵に笑い、立ち上がってその進路上に立ち塞がろうとする。
「ふっ‥‥ついに直接対面の時が来たな夏目茜、よし ここは陽一の親友として僕が一言ガツンと言ってやる」
親友が受けた心の傷を三乗にして返すという いつかの誓いを果たすべく、腕を組みながら仁王立ちで相手を待つ奏。
しかし陽一がそのシャツの背中部分を鷲掴みにして強引に席へと引き戻す。
「おわっ‥‥なにするんだよ陽一! びっくりしたじゃん!」
いきなり引っ張られたことで体勢を崩した奏が 少々乱暴な対応に抗議しようと振り返ると、陽一は何故か尋常ではないほどの冷や汗をかいていた。
奏のシャツを掴む手を離す気配もなく、呼吸も僅かに乱れている。
「陽一‥‥?」
明らかにおかしい陽一の様子に気づいた奏がその顔を覗きこむと、陽一は奏の方を一切見ないままゆっくりと口を動かす。
「‥‥‥絶対に何もするな、そのまま動くな、声も出すな」
そう言うと陽一は緊迫した面持ちでゴクリと唾を飲み込む。
「急にどうしたの‥‥? なんでそんな焦ったような」
「いいから‥‥!!」
「わ、わかったよ」
静かに まるで森の中にいる危険な猛獣を見つけた時の狩人のように必死に息を殺す陽一を見てますます困惑する奏であったが、陽一の鬼気迫る様子に押されて大人しく言う通りにする。
二人が小声でそんなやり取りをしている最中にも、茜は陽一に話しかけながらどんどんと近づいてくる。
「まだ学校にいてよかった‥‥あのね? 本当は朝会いに行きたかったんだけど説明するなら一回で済ませた方がいいと思って放課後まで待ってたの」
茜が一歩進むごとに陽一の緊張は高まっていく。
そして遂に机三つ分ほどの距離まで近づいた瞬間、陽一は松葉杖を脇に抱えて立ち上がり 片足で必死に跳ねながら教室を飛び出した。
「陽一!?」
「待って! どこに行くの陽君!!」
まさか話をする前に逃げられるとは思ってもみなかった茜は、大いに動揺しつつも急いで陽一の後を追う。
それに続こうと一瞬席を立ちそうになった奏であったが、陽一本人に『絶対に何もするな』と言われたこともあり 黙ってその背中を見送ることしか出来なかった。
「フッ‥‥フッ‥‥」
陽一は短く呼吸をしながら片足で出せる全速力で廊下を猛進していた。
今日は雨が降っているため滑りやすくなっているはずだが、それでも速度は落とさない。
するとすぐに後ろから茜が追いかけてくる。
「陽君!! お願い止まって!!」
「ぎゃぁぁぁぁぁぁあッッ!!」
茜の悲痛な叫びに思わず後ろを振り向いた陽一は、直後 悲鳴を上げながら速度も上げようとする。
大好きな陽一に 化け物でも見るかのような目を向けられた茜は泣き出しそうになってしまうが、陽一は別に茜から逃げているわけではない。
そもそも、陽一が見ているのは茜ではない。
(クソ‥‥クソッ‥‥なんなんだよアイツは‥‥!!)
陽一は前へ前へと片足跳びを繰り返しながら再び後ろを振り向く。
やはり先ほどと変わらない。
陽一の視線の先、茜の背後には 口から上の全てがぐちゃぐちゃに潰れた血塗れの男が佇んでいた。
辛うじて認識できる口からは気味の悪い笑みがこぼれている。
その笑みが自分に向けられているように思えて 陽一は絶対に追いつかれまいと足を動かすが、そうとは知らない茜は滲んだ涙を拭いながら 逃げる陽一に対して必死に呼び掛ける。
「待って!! 私の話を聞いて‥‥陽君ッ!!」
「まずお前が止まってくれ!!」
「逃げないで! 私から逃げないで陽君!!」
「いやぁぁぁぁあ! 来ないで!!」
「『来ないで』!? やっぱり事故の前に言ったこと怒ってるの? それなら謝るから!! ‥‥ぐすっ‥‥話をさせて!!」
「お前憑かれてるんだって!」
「疲れてないよ!陽君が守ってくれたから‥‥私は元気だよ!!」
「全然話が噛み合ってないぞ‥‥!?」
霊感のない茜には状況を伝えることが出来ない。
だからと言ってこのまま逃げ続けても埒が明かない。
そこで陽一はちょうど今日 こういう時に頼りになりそうな人物がこの学校にやってきたことを思い出した。
「陽華……!!」
幼い頃からそういう存在が見えていた陽華なら何か分かるかもしれないと考えた陽一は 早急に陽華と合流することにした。
彼女は今、担任である静香の所で作業をしているはずだ。
陽華の居場所に当たりをつけた陽一は 世界史の教師である静香がいるであろう社会科ゼミへと進路を変更する。
そして難関である上り階段が近づいてきた時、タイミング良く上の階から陽華が降りてきた。
「陽華!! よかった‥‥」
「あれ、陽一? どうしたのそんなに急いで‥‥もしかして私に会いたくなっちゃった?」
「違うっつの‥‥いや違わないか‥‥?」
なんだか余裕のない陽一を陽華がニヤニヤしながらからかっていると、少し遅れて茜が追いついてくる。
「はぁ‥‥はぁ‥‥やっと止まってくれ‥‥‥‥‥陽君その子誰?」
胸を抑えて息を切らしながら近づいてきた茜は、陽華の存在に気づくと訝しげに目を細める。
対する陽華も茜の後ろにいる血塗れの男に気がつくと、顎に手を当てながら興味深そうに呟く。
「これはこれは‥‥‥よくもまぁただの民間人がそれで死なずに済んでるね」
感心したように頷く陽華の声に茜の耳がピクンと反応する。
「その声‥‥‥あの時の電話の女っ!!」
「電話? あぁ、君が夏目茜か‥‥しかし随分と大きな爆弾を抱え込んでいたものだ」
「何言ってるの! 私、陽君にお話があるんだけど!!」
「はぁ‥‥その陽君を見てみなよ、プルプルと震えていて立つのもやっとじゃないか」
「誰が生まれたての小鹿だ」
「少なくともこの状況では、私がいなければまともに話をすることすら難しそうだけど」
「くっ……」
陽一が怯えているのは茜に対してではないのだが、事情が分からない茜は 追いかければ逃げてしまう陽一に近づく事が出来ない。
陽華がいるのは嫌でも 陽一に話を聞いてもらえないよりはマシだと判断した茜は、陽一に避けられた悲しさと他の女に横入りされた悔しさの混ざった顔でその同行を承諾する。
「じゃあとりあえず、ゆっくり話し合える場所に移動しようか」
そうして誰も居ない空き教室にて 三人+aの話し合いが始まるのだった。
陽一が逃げたのは奏から奴を引き離す為ですね。
次話は7/14(水)に投稿予定です。




