11話 近づく音
(陽華はいったい何を隠している……?)
陽一は騒音よりもそっちの方が気になって眠れない気がした。
ただ いくら怪しくてもこんな真夜中にわざわざ起こして事情を聞くのは気が引ける。
最終的に 今夜は我慢して寝て、明日になったら直接聞いてみようという結論を出した。
(大丈夫……昨日も一応寝れはしたんだ、今日だって寝ようと思えば)
そこまで考えて、陽一は即座に思考を中断して息を潜める。
そして鳴り響く騒音の中で静かに耳を澄ませる。
ズル………ズル………ズル………ズル………
聴こえてくるのは何かを引きずっているような音だ。
壁一枚隔ててしまえば簡単にかき消されそうな小さな音。
しかし他の騒音とは違い、なぜかその音だけがやけにはっきりと聴こえる。
陽一の全身の毛が逆立つ。
分かる、分かってしまう。
この音の発生源はおそらく
この部屋のドアを開けてすぐそこの廊下を移動している。
(足を引きずって歩く見回りの看護師さんなんだよな!?そうであってくれ!!)
陽一は手を合わせ、必死に願う。
だが必死に願えば願うほど悪い想像ばかり頭の中に浮かんでしまう。
そして最悪なことに、昼に陽華と一緒に観た心霊映像特集の記憶が今蘇ってきた。
合わせた両手を額に押し当てながら目を強く閉じて、音が去って行くのをただ待つことしか出来ない。
ズル………ズル………ズル………
だんだんと音が近づいてくるのが分かる。
ズル………ズル………………………………………………
そしてある時を境に音がピタリと止まる。
病院内は相変わらず騒がしいが、陽一にはこの部屋がまるで静寂に包まれたかのように感じられた。
(止まった……?………っっ!!)
しかし陽一は気付いてしまった。
音が止まったのは
この部屋のドアの目の前だということに。
(ウソだろおい!?)
恐怖に耐えられずに陽一は毛布に包まって体を丸める。
視覚も、味覚も、嗅覚も、触覚も、その状態では十全に発揮することは出来ないだろう。
だからこそ残された聴覚だけは、その空間に響く全ての音を聴き取ろうと未だかつてないほどに鋭敏化していた。
………スー、ガチャ
(い、いま……絶対ドア開いたよな……?)
……………………………………………………。
ズル………ズル………ズル………
(入ってきたぁぁぁぁあ!?)
ちょうどドアの前で音が止まった時から、いやもしかしたらこの音が聴こえ始めた瞬間から陽一はある事態を危惧していた。
それが「音の発生源がこの部屋に侵入してくる」ということだった。
最悪の予想が当たってしまったことで、陽一の心臓はうるさいほどに脈を打っていた。
そしてその鼓動が部屋に入ってきた何者かに聴こえることを恐れた。
ズル……ズル……ズル……
音はどんどん陽一のいるベッドへと近づいてくる。
先程から冷や汗が止まらない。
心なしか部屋の温度が下がった気さえする。
夏とはいえ冷房が設備されたこの部屋の温度は涼しく感じる程度に設定されているため、そこから更に下がるとなると肌寒さを感じるほどだ。
手が小さく震えている。
それが恐怖から来るものなのか、寒さから来るものなのか 陽一には分からなかった。
そしてついに音は陽一のベッドのすぐ側まで到達する。
(あー…死んだ、これは死んだわ)
もはや恐怖のあまり諦観の念さえ浮かぶ。
包まった毛布の暗闇の中でも、至近距離に誰かがいることがはっきりと分かる。
『……+~*‰¿‘’#*…¢:;‰<¿^…ρ";‰¿¢‡*%*‰:』
(なんかブツブツ言ってるし……もう帰ってくれよぉ……)
陽一は意識的にその声を聴かないようにする。
しかし極限の緊張状態に最高潮まで研ぎ澄まされた両の耳は、陽一の意思とは関係なしにどんなに小さな声でも拾ってしまう。
『……ナットウ……タベ……タイ……』
(内容しょうもなッ!!)
別の意味で恐ろしい程どうでもいい呟きに、思わず心の中でツッコんでしまう陽一。
『…ワタシ……ミズ……ムシ……ナノ……』
(知らねーよ!!それ俺に言ってどうすんだよ!?)
『アンコ……ハ……ツブ……アン……ハ……』
(だから知らねーよ!!お前もう黙っといた方がいいって!!)
著しくアイデンティティを損なうであろうその独り言の内容に、先程まで生を諦めかけていた陽一もたまらず苦言を呈す。
そしてある考えが浮かぶ。
(こ、こいつ……本当はあんまり怖くないんじゃ……)
得られる情報があまりにもしょうもなさすぎて、あれだけあった危機感が薄れてしまった陽一は調子に乗って目を開けた。
開けてしまった。
『……メ………アッタ……ネ……』
肌は、この世のものとは思えないほど白い。
しかしそこに美しさはなく、『病的』という言葉が相応しい白さ。
ところどころにある黒ずんだ汚れは、公衆トイレの角の方に溜まっているカビのような不快感を放っていた。
足元を見れば片方の足だけが酷く不自然な方向に折れ曲がっていて、それを引きずってここまで歩いてきたのだということが分かる。
歯は僅かに赤く染まっており、目は爛々と見開かれ血走っている。
陽一が目を開けたそこには
背筋が凍るほど悍ましい笑みを浮かべた男の霊が立っていた。
「男かよッッ!!」
『ブフッッ!!』
恐怖と混乱で頭のおかしくなった陽一は男の……いや、オカマの幽霊を思いっきりぶん殴った。
拳に残る確かな感触。
その夜、陽一は人生で初めて霊的存在との接触を果たしたのだった。
次話は明日の6/15(火)に投稿予定です〜。