10話 何も知らない
「……はっくしょんっ」
ぶるりっ、と陽一が体を震わせる。
「どうしたんだい?陽一」
「いや、ちょっと寒気が……」
「空調の温度下げすぎたかな」
そう言って陽華は空調の温度を1℃だけ上げる。
外では照りつける日差しが道行く人々の肌を焼き、半袖半ズボンでも汗が止まらないような真夏日であったが、陽一と陽華の2人は冷房がガンガンにかけられた快適な室内で優雅にゲームを楽しんでいた。
温室育ちならぬ冷室育ちである。
「外……暑そうだな」
「そうだね、でも夏の景色って日差しが強いおかげで色彩が鮮やかに見えるから私は好きだな」
「あぁ……それは分かるな、快晴の日とかだと本当にアニメの風景みたいに見えるよな」
「まぁ、好きなのは景色であって暑いのは願い下げだけどね」
「概ね同感だけどな、暑くないとプールとか海とかで楽しみが減るぞ」
「それは困るな」
そんな他愛もない話をしながらも、両者の手元では忙しなく親指が動く。
「なかなか強いね陽一」
「お前もな……!!」
陽華の操作するピンク色のドレスを着たお姫様が鋭い攻撃を繰り出し、陽一の操作する太ったワニを場外へと弾き飛ばす。
太ったワニは場内に戻ろうと背中からプロペラを出して、ふわっと浮き上がる。
が、ピンク色のドレスを着たお姫様はそれを上から華麗に追撃して、太ったワニを叩き落とす。
「あー、やられた……お前マジで強いな…」
陽一は先程からお姫様にフルボッコにされていた。
「この手のゲームは得意なんだよね」
2人が遊んでいるのは、日本人なら誰もが知っている有名な格闘ゲーム『強打兄弟』だ。
1999年から初代が発売され、今日に至るまで多くのファンを楽しませてきた名作である。
奏が置いていったゲームは、メジャーな物からマニアしか持っていないようなかなりマイナー物まで多岐に渡った。
その数は100を超えており、袋いっぱいに詰まったゲームソフトを見て陽一は童心に返ったように、年甲斐もなくワクワクした。
何より助かったのは、奏が持ってきたゲーム機が各種2つずつあったことだ。
もし時間があれば陽一と一緒にゲームをするつもりだったのかもしれない。
しかし、新しい春の予感がした奏はゲーム機を置いてさっさと帰ってしまった。
奏としても、失恋で落ち込んでいた陽一が新たな恋に目覚めて、その相手との交流のために使うのは大歓迎なのだ。
陽一は最強お見舞い品を持ってきてくれた奏に深く感謝しつつ、陽華と一緒に大量のソフトを見比べていった。
そしてその中から陽一達が選んだのは、やはり複数人で楽しめるゲームであった。
何種類か違うゲームを楽しみ、お昼ごはんを食べ終わってからは『強打兄弟』にシフトした。
やはり名作というだけあって陽華もかなりやり込んでいる方であり、両者の間では白熱した戦いが繰り広げられているのだった。
「あ、もう3時だね」
ふと陽華が呟く。
時計を見ると陽華の言うとおり、短針は15時を指していた。
「もうこんな時間か……」
「陽一、テレビを付けてくれないかな?観たい番組があるんだ」
陽華のその言葉に、陽一は意外そうな顔をする。
現代日本では10代〜20代までの若者の間で、急速なテレビ離れが進行していると言われている。
実際に、趣味に傾倒するにつれて陽一も奏もあまりテレビを見なくなっていったので、自分と同じ趣味をもつ陽華がわざわざリアルタイムで観たいテレビ番組がある、というのが少しだけ意外だったのだ。
「へぇ、なんの番組なんだ?」
陽一がそう聞くと、陽華は間を開けずに答える。
「心霊映像特集」
それを聞いた陽一の口の端が少しだけ引きつる。
実は陽一、高校2年生にもなって心霊系の話ががめっちゃ苦手なのである。
「………そうか」
「おや、陽一もしかしてこういうの苦手な人?」
「べ、別に?苦手じゃないけど?」
「そうかい?怖ければ手を握ってあげるけど」
陽華は幼い児童を優しく愛でるような目で手を差し伸べてくる。
陽一は一瞬その手に目線がいくが、語気を強くして反抗する。
「こ、子ども扱いすんなって!そ、そもそも?幽霊とか妖怪なんて見たことないから、居るわけないから」
「……ふふっ、それもそうだね」
そう言って陽華は微笑むが、その表情はどこか寂しそうだった。
「ん、どうかしたか?」
「いや、なんでもないさ……ほら始まるよ」
「お、おっしゃ……大丈夫、落ち着け……全部合成……全部合成……」
覚悟を決める陽一。
その目はまるで、これから若手ボクサーの挑戦を受けるチャンピョンの如くギラギラとした鋭い光を放っていた。
その日の夜
(うぅ……寝れない……)
やっぱり寝れなかった陽一、ベルトは守られなかった。
(心霊映像特集なんて見るもんじゃないよな……本当に)
陽華に啖呵を切った手前、見ないわけにもいかなかった陽一は、ベッドの端を握って声をあげそうになるのを必死に抑え、なんとか試練を乗り切った。
ちなみに、頑張って怖いのを我慢している様は、傍から見れば割とバレバレであり陽華はそんな陽一の姿を、幼稚園の運動会に来た親が我が子を応援するときのような慈愛に満ちた眼差しで見守っていた。
(いや!あれは……全部CGだ……幽霊も妖怪も本当は実在しないんだから……目を閉じて羊を数えれば夢の世界なんてあっという間だよな)
なんとも古典的な方法で睡眠を試みる陽一。
しかし『眠れないときに羊を数える』というおまじないは、sheepという発音で腹式呼吸が促されることによってリラックスできる。といった説や、sheepとsleepの発音が似ていることから、羊を数えていると自分に「眠れ」と自己暗示をかけられる。といった説があるとされており、そのどちらも日本人にはあまり関係ないので効果がないと言われている。
さらに
(羊が1匹……羊が2匹……)
カタカタカタッ……ゴツッ……ゴツッ……
(羊が3匹……羊が4匹……)
カランカラン……チョキ……チョキ……
(羊が5匹……羊が6匹……)
ドンッ……ドンッドンッ……
(羊が7匹……羊が‥‥うるさいなぁもう!!!)
相も変わらず騒がしい病院内。
どうやら昨晩が特別だったわけではないようだ。
(なんなんだこの病院は!さすがにクレーム入れるぞ!?)
生きるのに必要不可欠な"睡眠"を妨害されるというのは人間にとって、いや生物にとってかなりのストレスとなる。
陽一はたまらず起き上がり、苛立ちを隠しきれない様子で頭を掻く。
「すぅ……すぅ……」
そしてこんな騒音の中でもすやすやと眠る陽華を見て、困惑する。
(なんで陽華はこんなにうるさいのにぐっすり寝られるんだ…?)
陽一は陽華との今朝の会話を思い出す。
『なぁ、陽華』
『どうしたんだい?陽一』
『昨日の夜のことなんだが……妙に病院が騒がしくなかったか…‥?』
『あははっ、何言ってるんだい?病院が騒がしいのなんていつものことじゃ……………………』
『ん?どうかしたか?』
『…………いや、もしかすると急患でもあったのかもしれないね』
『あー、でもな?いろいろと変な音も』
「………ん?」
結局あのあと奏の登場によって話は打ち切られてしまい、ゲームに夢中になりすぎてすっかり忘れていたが、今にして思えば陽華の態度はなんだか不自然だったように感じる。
(何か言いかけてやめてたな……病院が騒がしいのはいつものこと……だっけか?)
陽一は考える。
未だ鳴り響く騒音に思考を邪魔されながらも、頭の中で引っ掛かっている違和感の正体を探る。
(そういうものなのか?病院ってのは、いつもこんなにうるさいのか?いや、だとしたらなんで途中で言い直したんだ……?)
陽華の発言、反応の変化。
思い返せば思い返すほどに怪しい。
隣で静かに眠る少女に目を向ける。
月明かりで照らし出されたその顔は、恐ろしいまでに整っており、侵してはいけない神聖な雰囲気さえ感じるほどだ。
あまりにも陽華が積極的なため勝手に知った気になっていたが、考えてみれば会ってまだ2日しか経っていない。
自分は、自分が思っているよりこの少女のことを何も知らなかった。
(陽華、お前はいったい……)
(何を隠してるんだ……?)
次話は明日の6/14(月)に投稿予定です〜。