1話 失恋
「ごめんね陽君……私と、別れてください」
夕暮れ時、誰もいない教室で桃色の髪を揺らしながら少女はそう切り出す。
少女の言葉は恋人に別れを告げるものだ。
「………」
少女の沈痛な面持ちに対して、振られた少年は謎の余裕顔でうんうんと頷く。
まるで仲の良い友達の失恋話に付き合ってあげながら励ます時のような表情だ。
失恋しているのはお前なのだが。
普通恋人に振られた人間は多少なりとも動揺するものであるが、少年の母親譲りの整った顔からはその心情を読み取ることは出来ない。
もしかすると別れを切り出される事に薄々気づいていたのかもしれない。
(えぇーーー、ちょっ、えぇーーー、なんで!?)
全然気づいてなかった、顔に出ないだけだった。
「一応理由を聞かせてくれないか?」
少年は(表面上)冷静に理由を尋ねる。
「それは、ごめんなさい言えないの……でも陽君のせいとかじゃないの……!全部……私が悪いの!!」
「……そうか」
相も変わらず少年は余裕な表情で頷く。
「大丈夫、俺はちゃんとお前のこと分かってるから」と言わんばかりの顔である。
恋人を振った少女側の言い分は、聞く人によってはかなり身勝手なように思われそうなものだが 少年に不満は無いようだ。
(いやお前が悪いなら理由くらい説明しろよ!?)
あった、不満めっちゃあった。
しかし言っていることは一理ある。
円滑なコミュニケーションが円満な恋人関係の鍵なのだ。
今しがた振られたわけだが。
(……俺なんかしたのかな)
少年は今までの行動を振り返ってみるが思いの外振られた衝撃が大きかったのか、うまく考えは纏まらない。
6月の中旬、夏の茹だるような暑さでぼんやりとしていた頭が熱暴走を起こしそうになる。
「じゃあ私っ……もう行くね……?」
そう言うが早いか、少女は逃げるように教室を飛び出してしまう。
だんだんとその足音が遠のいていき、最後には何も聞こえなくなった。
「あー、そっか……俺……振られたのかぁ」
少女が居なくなり冷静になると少しだけ実感が湧いてくる。
人生で初めての恋で、告白で、彼女で、そして失恋だった。
(……結構辛いなこれ)
ジワリと目が潤うが、そこは最後の意地で耐える。
少年が一人残された教室には野球部から聞こえてくるバットの打球音と吹奏楽部のパート練習の音色だけが響き渡るのだった。
「はぁぁ……」
「もぉーそろそろ元気出しなって陽一、あれから2週間も経ってるんだよ?」
「だってよぉ……」
昼休み、教室の窓際の席で陽一は気怠げにため息をつく。
窓から見えるグラウンドでは早々にお昼ごはんを食べ終えた男子生徒達が楽しそうにサッカーやらキャッチボールやらをしている。
『うふふ、おーいこっちフリーだぞー!』
『あはは、ちゃんと決めろよー!』
だが青空の下で輝くその笑顔を見ても今の陽一はとても楽しい気分になれそうにはない。
「ふざけんなよ太陽マジで暑いし眩しいんだよ」
それどころか太陽様に八つ当たりする始末である。
自前のタオルで汗を拭いつつ悩み事など一切無いように暢気に光り輝く太陽様を睨みつけて眩しさに耐えきれず机に突っ伏す。
「なにしてるのまったく……」
陽一の向かいに座っているのは、同じクラスの松川奏。
ファンクラブができるほど整った顔の持ち主であり、文武両道、オマケに実家が大金持ちという完璧人間である。
男子にしては長めの亜麻色の髪を耳に掛けてはにかむその姿はまさに貴公子。
高校に入ってから何かと縁があり馬も合ったので今ではお互いに一番仲が良いと言えるマブダチである。
「まぁ、本当に好きだった彼女に振られればそうなるのもわからなくはないけどね」
「うぅ……チグショォオ……」
元カノとの楽しかった日々を思い出した陽一が嘆く。
大好きなミニハンバーグも喉を通らないほどに傷心しているらしい。
重症である。
「そもそもさぁ、君が夏目さんに振られた理由に心当たりはないのかい?嫌われるようなことをしたとか」
売店の自販機で買った牛乳を飲みながら奏は尋ねる。
「あれから色々考えたんだが本当に分からん、結構仲は良かったと思うんだけどな」
当然だが高校生である陽一は好きな子にいたずらをしてしまうような時代はとうに通り過ぎている。
あえて嫌われそうな行動をとるようなことはしていない。
「ふーん……じゃあ夏目さんが言うとおり、原因は陽一にはないのかもしれないね」
「俺以外の理由?」
自分以外の、と言われてもピンとこない陽一だがどうやら奏には心当たりがあるらしい。
飲み終えたパックを潰しながら人差し指を立てる。
「ほら居たじゃない?君たちにちょっかいかけてた男がさ」
奏のその発言に陽一は苦虫を噛み潰したような顔をする。
「……左衛門三郎か」
「そうそう、そいつ」
「なんか思い出したら腹立ってきたな…」
左衛門三郎の事を考えると自然と握りこぶしに力が入る陽一。
「あいつはいちいち言動がうぜーんだよなぁ」
「確かにやり方はせこかったよね」
左衛門三郎葛斗。
陽一達と同じ2年生で、茜と同じクラスの男子生徒だ。
父親が弁護士をしておりそのことを自慢げに話す姿が頻繁に目撃されている。
また、まぁまぁ優れた容姿とホストのような言動で一部の女生徒からは人気があるらしい。
そして陽一の恋のライバルでもあった。
といっても、左衛門三郎が一方的に茜に好意を寄せていただけだが
「つーかなんだよ左衛門三郎葛斗って!左衛門なのか三郎なのか葛斗なのかハッキリしろ!」
左衛門三郎は陽一と茜を別れさせるためにありとあらゆる手段を講じてきた。
日常的に茜を口説くのは当たり前。
席替えの時に茜の席の隣を引いた生徒に強引に席を譲らせたり、茜の友人に陽一の悪口を流しイメージを悪くしたり。
酷い時には二人のデートを尾行し、偶然を装って良いムードをぶち壊すという悪魔のような妨害を仕掛けることもあった。
このように左衛門三郎は自分の目的の為だけに二人の仲をとことん邪魔しまくった。
「待てよ、じゃあ茜は左衛門三郎の別れろコールに嫌気が差して俺と別れたってことか?」
「その可能性もあるだろうねぇ」
「はぁぁぁ……なんだよそれぇ……」
悪意をもった他者の介入などもうどうしようもない。
左衛門三郎も左衛門三郎で中々に諦めが悪く、陽一も彼氏として出来ることをしたのだが、それでも茜に付きまとった。
もはや解決法は心臓麻痺に見せかけて殺すしかない。
しかしそれも茜に振られた現状ではどうにもやる気が起きない。
「もう全部どうでもいいわ、学校ぶっ壊れねぇかな」
嫌なことを思い出してふてくされる陽一。
とばっちりを食らう学校。
照りつける太陽。
澄み渡る青空。
鳴り響くアニソン。
「ん?アニソン?」
『ぶっちゅーーん♡♡キミにぶちゅん♡ぶちゅん♡ぶちゅん♡超弩級♡♡』
しかもバリバリの電波ソングである。
「あぁ、なんかメール来たみたい」
「マジで?お前のスマホってメール届く度に電波ソング流れんの?大丈夫?周りに引かれない?」
「あはは心配しないで、電話がかかってきた時も流れるよ」
「悪化するな」
「僕は日常の中に少しでも癒やしを……………陽一」
届いたメールを見た瞬間、奏のふざけた雰囲気が霧散し顔色が変わる。
「な、なんだよ……」
普段は見せないような親友のその表情に、少しの緊張が走る陽一。
「陽一、今から伝えることは少しショックが大きいかもしれない……だから心して聞いてほしい」
いつになく真剣な奏の様子に尻込みしてしまう。
だがそんなことを言われてしまっては陽一としても聞かないわけにはいかない。
「おう……ドンと来い!!」
「左衛門三郎と夏目さんが付き合い始めたらしい」
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