ML-20(M1937) 152mm榴弾砲(71話)
マニアックなソ連砲をば。
ML-20(M1937) 152mm榴弾砲
ソ連が1937年に開発した重榴弾砲。1934年に開発されたM1910/34 152mmカノン砲を、より仰角の取れる(65°)新砲架に搭載したのが本砲である。現代では曖昧だが、この仰角の拡大により名称がカノン砲から榴弾砲に変わったと考えられる。
ちなみに、M1910/34の元を辿るとWWⅠ前の1910年にロシア帝国が開発した重カノン砲に着く。どんだけ長い間使ってるんだ…。また、M1910/34は独ソ戦時にドイツ国防軍に鹵獲され、「15.2cm KH.433/1(r)」という名称で運用された。更にはその砲弾の生産まで行われてたりもする。
デビューはなんとノモンハン事件。長射程を活かして日本軍との砲撃戦を有利に展開した。その後はフィンランドとの冬戦争、継続戦争でも活躍し、あの大祖国戦争(独ソ戦)でも赤軍の勝利に貢献した。
遠距離での火力支援等のため、軍司令部直属の砲兵連隊で運用された。
また口径の大きさを買われて(対戦車)自走砲化もされた。それがSU-152とISU-152である。この2つはベースの車体で区別されている。ティーガーⅠを正面から撃破出来る強力な自走砲であった(参考に徹甲榴弾(BR-540)の場合、1,000m先の120mm鋼板を貫徹できる)。また、対戦車戦闘だけでは無く、対陣地・要塞戦にも使用された(方面軍直轄の重自走砲連隊だけでなく、戦車軍の機械化砲兵旅団にも配備され、戦線こじ開けの切り札として重宝された)。
ISU-152の興味深い戦闘として2つ紹介しよう。まずは対戦車戦闘だ。1944年6月〜7月にかけてのバルト海沿岸でのこと。ISU-152部隊は、かの有名なオットー=カリウスが所属していた第502重戦車大隊と交戦し、8〜12のティーガーを撃破したのだ。ちなみにISU-152の損失は2両だけである。
次に砲兵としての活躍だ。1945年1月12日、重自走砲連隊所属の21両のISU-152が107分間も砲撃を実施し、ドイツ国防軍2個迫撃砲中隊、火砲8門、1個歩兵大隊を粉砕した。使用した弾薬は980発、1両当たり約47発射撃したことになる。ちなみにISU-152の弾薬搭載量は20発である。つまり、この時は車外に弾薬を集積していたのだ。
6,884門が製造され、戦後10年程第一線で運用された後もワルシャワ条約機構や中東、アフリカ、北朝鮮、アフガニスタン等に供与され使用され続けた。主な実戦は中東戦争。また、フィンランドでは改良型(152 H 88-37)が2007年まで使われていた。
主なデータは以下の通り。
仰俯角 -2°〜65°
発射速度 1〜4発/分
最大射程 17.23km
人員 9名
翌日の改編指示により、2,000人規模の砲兵部隊が出来た。
砲兵と言えばソ連、ソ連といえば砲兵。
独ソ戦で使われた砲の数がエグい……




