六・犯行声明
「大川さんから連絡、来ませんねえ」
十数分前にタクシーに乗って警察署の前に颯爽と現れた詰襟の学生服を着た高校生、二宮浩太郎は捜査一課のフロアに置かれている来客用ソファーに腰掛けて、駅ビルの食品コーナーで買ったという一口サイズのバウムクーヘンを夕食代わりに食べていた。
「二宮くん、コーヒー淹れてきてあげよっか」
「ありがとうございます。それでは遠慮なく」
二宮のファンだという藤野愛美が、給湯室にコーヒーを淹れに行った。二枚目俳優を思わせる中性的なルックスを持つ二宮は、署の女性職員から人気が高い。
「それにしても霧崎警部、あなたの活躍は大川さんからよく聞いていますよ。なんでも東京の本庁での経験もあるエリート刑事だとか」
二宮の向かいのソファーに座っている洋介は、気恥ずかしそうな微笑みを浮かべた。
「いや、ただの研修だ。褒めるほどのことではないよ」
「いやでも大川さん、話してましたよ。先日起こった誘拐事件ではあなたの冷静な判断が功を奏して、見事犯人を捕らえたそうじゃないですか。感服します」
「ありがとう。しかし君も大したものだよ。確か、半年前に京都でツアーガイドが参加客の医者を殺害した事件を解決したのも君だとか」
「いやあ、僕は偶然その場に居合わせただけですよ」
二宮がそういって照れ笑いを浮かべると、洋介の隣に座っていた渡も会話に加わった。
「謙遜することないですよ、二宮くん。その歳でいくつも事件を解決してるなんて、俺、尊敬してます」
「尊敬だなんてそんな、恥ずかしいなあ」
「いやいや、先月起こった芸能事務所社長の殺害事件だって……」
渡がそこまで話したとき、給湯室にコーヒーを淹れに行っていた愛美が二宮の前のテーブルにコーヒーカップとスティックシュガーを差し出した。
「どうぞ。スティックシュガーはいらなかったかな」
「いえ、使わせていただきます。そうそう、ミルクってありますか?」
「あると思うけど。取ってきてあげようか?」
「助かります」
愛美が再び給湯室に向かおうとしたとき、彼女のパンツスーツのポケットに入っている携帯電話が震えた。愛美はそれをポケットから取り出すと画面をみて、「あーっ」と声をあげた。
「どうしました?」
「わたしのケータイに、千尋から電話が来たのよ」
千尋とは警察学校時代からの友人だという愛美は電話に出ると、「もしもし?」と怒ったような口調でいった。
「ねえ千尋、あんたどこをほっつき歩いてんのよ。二宮くんここに居るんだけど……えっ、あんた誰? ちょ、ちょっと待って、どういうことっ」
千尋と電話をしていたはずの愛美は急に顔色を変えると、狼狽えた表情で洋介や二宮たちの方をみた。
「どうしたんだ、藤野。大川がどうかしたのか」
「もしかしてあの人、またなにかしでかしたんじゃないでしょうね?」
「ち、千尋が……」
愛美は震える手で携帯をテーブルの上に置くと、通話をスピーカーモードにして周囲に聞こえるようにした。すると通話中の携帯から、甲高い金属音に加工された声が聞こえてきた。
『聞こえているだろうか、警察署の諸君。いま話した女にもいったが、君たちの同僚である大川千尋刑事を誘拐させてもらった』
その声が部屋じゅうに響き渡ったとき、その場にいた人々は携帯の置かれているテーブルへ一斉に駆け寄った。部屋の一番奥にあるデスクで新聞の夕刊を読んでいた郷家警視も大急ぎで一目散に駆け寄ってきた。
「大川が誘拐されたって?」
「いったい何がどうなっているんだ」
ざわめき、混乱する彼らの中で平静を保っていた洋介は、冷静な口ぶりで誘拐犯に話しかけた。
「待ってくれ。君がただ大川を誘拐したといわれても、それが本当なのかどうかはこちらには判らない。いたずら電話という可能性もある。本当に誘拐をしたというのなら、せめて大川の声を聞かせてくれないか」
『いいだろう、少し待て』
数秒間静かな時間が流れた後、『ぷはっ』という声が聞こえると、携帯のスピーカーから誰かが咳込む音がした。
『ごほっ、ごほっ……お、大川ですっ! あたし、誘拐されちゃいましたっ』
千尋の声が聞こえると、同僚たちの動揺は一層大きくなった。
『お願いです、身代金二千万円を誘拐犯に渡してください! でなきゃあたし殺されちゃいますう』
囚われた同僚の情けない声を聞くと、刑事たちは皆困った顔をして顔を見合わせた。次に聞こえたのはボイスチェンジャーで加工された誘拐犯の声だった。
『……つまり、そういうわけだ。金の受け渡しは今夜二十二時に行う。それまでに金を用意しろ。用意できたら今使っているメッセージアプリを使って連絡してくれ。受け渡し場所などについては追って伝える。以上だ』
誘拐犯が電話を切ろうとしたとき、人質の千尋が急に話に割って入った。
『あっ、ちょっと待って! あたし、ひとついわなきゃいけないことがあって……』
『なんだ。余計なことを言うつもりじゃないだろうな』
『い、いや、そういうんじゃないけど』
電話の向こうで暫しの沈黙が流れると、誘拐犯は口を開いたようだった。
『まあいい。ただし、ふざけたことをいったら俺は即座にあんたを殺すからな』
『わ、判ってるから脅さないでよ』
そういうと、千尋はと軽く咳払いをした。
『えーっと、そこにいる人たちにお願いしたいことがあります。それはニノにあたしが来れなくなったって伝えて欲しいってことです。彼、もしかしたら今頃ひとりぼっちで寂しい思いしてるだろうから……』
「僕はここにいるし、別に寂しい思いもしていないんだけど」
それまで黙って電話を聞いていた二宮がきっぱりといった。
『えっ、ウソっ? ニノ、なんでそこにいるのっ?』
「誰かさんがトッ捕まったお陰で、待ちぼうけを喰らっていたからだよ。あーあ。本当、何やってるの」
二宮が冷たい口調で情け容赦なく言い放つと、電話の向こうから千尋が情けない声を出した。
『ね、ねえ、ニノ。あたし、あたし助かるよね……?』
それを聞くと、二宮は「うーん」と唸って携帯の方をみた。
「まあ、お葬式には行ってあげるよ」
『……い、嫌だあああああああーっ! あっ、またそのギャグボール付けるのやめて! 息苦しくなるから! うわっ、いやっ、ううっ、んんーっ!』
何やらもごもごとした声が聞こえると、再び誘拐犯が電話に出た。
『……とりあえず、追って連絡する。以上だ』
そこまでいうと、プツッと音を立てて電話は切れてしまった。