四・秀才の慟哭
「堂本さん、こちらの指紋の採取が終わりました」
「判りました。次はそっちのほうをお願いします」
「了解です」
芹澤が棚の下敷きになって発見された風紀委員室で、学校からの通報を受けて事件現場に駆けつけた警察が現場検証を行っているなか、部屋の中央にある机になぜかひとりぽつねんと座っていた智和は非常に気まずい気分になった。
数分前、教室で帰ろうとしていた智和に声をかけてきた二宮は、廊下を歩きながら彼をどこかへと案内し始めたのである。
「どうして俺がおまえの話を聞かなきゃいけないんだっ」
「理由は向こうに着いたら話しますから」
「向こうってどこだよ」
「着けば判りますから」
「俺は忙しいんだっ」
「そんなこと言わずに」
二宮が智和の文句を涼しい顔でのらりくらりとかわしていくなか、智和は教室で二宮と顔を合わせてからというものの、ずっと嫌な予感しかしなかった。
そして二宮が連れて行った先が事件の起こった特別棟だと知った時、智和は予感がみごとに的中したことを悟った。
角刈りの若い刑事が現場の捜査指揮を執っているなかで、なぜ二宮は俺をこんなところへ連れ出したのだろうかと不安になった。そして当の二宮は智和を待たせて、角刈りの刑事となにやら話をしているようだった。
「そういえば今日は大川さんを見ていないけど、あの人どうしたんですか」
「大川先輩のことですか」
「もしかして、あの人またなにかやらかしたんですか」
「先輩、朝食に古くなった卵を食べて体を壊したんです」
「えっ、そうなんですか」
「一時間前に署で熱を出しながらゲロも出して倒れて、そのまま病院に運ばれました」
「大変だなあ。卵って、消費期限過ぎても火に通せば食べられるって話を最近聞いたんですけど」
「それがよりにもよって卵かけご飯にして食べていたみたいで」
「何やってるんだ、あの人は」
二宮はそういって呆れると、智和と向かい側の席に座った。
「どうも、待たせちゃってごめんなさい」
「すぐ終わるって話じゃなかったのか。だからわざわざここまで来てやったんだぞ」
「そんな、ピリピリすることないでしょう」
「して当然だっ」
なんて自分勝手な男なんだ、本当にこんな奴が女子に人気があるのかと智和は憤慨した。
「まあいい。そんなことより、どうして俺がここまで呼び出されたのかを説明してもらおうじゃないか」
威勢を張って智和は二宮に尋ねたが、その声は少し震えていた。
「そうですねえ。それについて話す前に、いくつか説明しておきたいことがあって。これが話すとちょっと長くなるんですが」
「いいから早く!」
まどろっこしい話し方をする二宮に智和は苛立った。
「それじゃあ本題に入りますけど……針山君と同じクラスの芹澤さんって人、ご存知ですよね」
「それはまあ、知っているけど」
やはり、というか当然というか、彼女の名前が挙がった。
「風紀委員をやっていて、教室で隣の席の芹澤さんですけど」
「……彼女ががどうかしたのか」
「本題の前にひとつ質問をしますけど、芹澤さんとなにか話をしたことは?」
ごくりと息を呑み、どう答えるべきかと智和は少し迷った。あまり迂闊なことを言ってしまっては、後で命取りになりかねない。
「まあ、なくはないだろうな。隣の席だから、何度か話をしたことくらいはあるけど」
「つまりそんなに親しい仲ではないと」
「……そうだな。それで、芹澤がどうしたんだ」
「二十分ほど前にですね、芹澤さんがそこの棚に下敷きになっていたのが発見されまして」
二宮が警察の手によって立て直された棚を指さした。棚の前には白い紐で人間のシルエットの輪郭が象られていた。
「……棚の下敷きに」
「そうです。ぺちゃんこになって、特に後頭部が酷くやられていまして。第一発見者が部屋に踏み込んだときにはもう、かなり出血していて」
「そうか。それは不幸な事故だな」
「それがですね、これが一概に事故だと断言することはできなくて」
それを聞いた時、智和の心臓がどきりと大きく鳴った。
「どうして」
「どうもひとつ不可解なところがあって」
そういうと二宮は天井のほうを指さした。彼が指さした先にはエアコンがあった。
「エアコン?」
「ええ」
「エアコンがどうかしたのか」
「第一発見者たちがこの部屋に踏み込んだ時、あのエアコンが点いていたんです」
「そりゃそうだろ、夏場なんだから」
「別にエアコンが点いていたこと自体に何も問題はないんです。問題なのは窓なんです」
すると二宮は指をエアコンから窓のほうへと向けた。
「あの窓が半開きになっていたんです」
それを聞いて智和ははっとなった。
しまった! 部屋から抜け出したときに、窓をしっかり閉めるのを忘れていたのだ。いくらあの時は焦っていたとはいえ、これはあまりにも初歩的なミスだった。
「普通、エアコンを点けるときは冷たい空気が外から出ないようにするために窓を締めます。ですが第一発見者がここに来た時、窓は開いたままになっていたんです。どうもこれが気がかりで」
焦りを顔に出さないように堪えながら、智和は二宮に反論しようとした。
「それは……もしかしたら、閉めに行こうとしたところで棚が倒れてきて押し潰されたとか?」
「その可能性も一応あります」
「一応ってどういうことだ」
「第一発見者はですね、ここに踏み込む前にこの部屋の前で大きな物音を聞いたんです。気になるのはですね、その物音がする前に、聞こえてくるはずのものが聞こえなかったということなんです」
「何だそれは」
「芹澤さんの悲鳴です」
「悲鳴?」
なかなか話の要領が摑めない智和は鸚鵡返しをした。
「考えてみてください、あんな大きな棚が急に自分のほうに倒れてきたんです。普通びっくりして悲鳴くらい出しそうなものですが」
なんていちいち細かいことに突っかかってくるんだと智和は半ば呆れた。
「さあ、いきなりのことで声も出なかったんじゃないか。それか、叫んだけどお前には聞こえなかったとか」
智和がそう返すと、二宮は突然黙り出した。
「何だよ、急に静かになったりして」
「針山君、いまなんていいました」
「……いきなりのことで声も出なかった?」
「その次です」
「叫んだけどお前には聞こえなかった」
智和がそういうと、二宮は大袈裟に「ううん」と唸った。
「おかしいな」
「おかしいって、何が」
「どういうことなんだろう」
「だから何がっ」
「いや、大したことじゃないんですけど、針山君に第一発見者が僕だって話、しましたっけ」
二宮に言われてやっと自らの失態に気がついた智和は、ゾッと悪寒が走ったのを感じた。
「確かに現場に踏み込んだのは僕ですし、物音を聞いたのも僕です。だけどどうして、君がそんなことを知っているんですか」
もしや、と智和は思った。これは彼の罠なのではないか。あえて第一発見者と自分の名前を出さずに言葉を濁すことで、こちらにミスを誘発させようという作戦だったのではないかと。
「それは……お前が自分の目で見たように話すから勘違いしただけだ」
「ああ、そうだったんですか」
「悪いかっ」
「別に悪いなんて一言もいってないんですけど」
二宮は訝しげな顔をした。どう見ても納得したようには見えなかったが、それで通すしかなかった。
「まあいいや、それで何の話だったかな」
「窓の話だろ」
「そうでした、窓が開いていた話をしていたんでした。それで窓が開いていた理由を僕なりに考えてみたんです。するととんでもない可能性が浮かびましてね」
「可能性って、どんな」
「ここだけの話なんですがね。この事件、僕は事故なんかじゃないと睨んでいるんです」
「……つまりおまえはこう言いたいのか? 誰かが芹澤を殴ったと」
「話が早くて助かります」
二宮はにっこりと笑った。
「じゃあ、芹澤を殴った犯人はおまえが部屋に入る前に、どうやってここから逃げたっていうんだよ。まさかその窓から逃げ出したっていうんじゃないだろうな」
「そのまさかです」
「そんな馬鹿な」
そういって実際にそんな馬鹿な真似をした男は無理矢理笑った。
「確かに馬鹿な話です。だからといって、そんな可能性あるわけないって決めつけるのも問題なので、ちょっと調べてみたんです」
「調べるって、どうやって」
「聞き込みです。誰かこの窓から出てくる人を見なかったかって聞いて回ったんです。しかし残念なことに、そんな人、誰も見てないっていうんです」
「当たり前だろ」
智和はこめかみに流れる冷や汗を二宮に見られないように拭いた。
「放課後だったのがネックでした。だいたいみんな、この時間になると部活で外に行っているか、もう帰っちゃったかのどっちかですから」
「見る見られる以前に、この窓から外に出られる奴がいるわけがないだろ」
「ただ、ここからが興味深くて。事件が起こったあの時間に、この建物の一階にある空き教室で吹奏楽部が練習をしていましてね」
二宮がそこまで話した時、部屋の外からひとりの制服警官が現れて「二宮さん」と彼に声をかけてきた。
「吹奏楽部の中島君をお連れしました」
「ああ! ちょうどいいところに」
二宮が椅子から立ち上がると、廊下にいる警官のところまで駆け寄った。
「どうも助かりました、小田野さん」
「いえ、とんでもない。ただ、僕の名前は小田切でして……」
「ああっ、失礼しました。では小田切さん、彼を部屋のなかに」
そういって二宮は、警官が連れてきた中島という生徒を部屋のなかに招き入れた。彼はボタンのようなものが多く付いている金属製の笛のような楽器を持っていた。
「君が吹奏楽部の中島君だね」
「はいっ、吹奏楽部一年の中島宏光です。担当楽器はピッコロです」
「別に楽器まで説明しなくていいんだよ」
目の前で珍妙なやりとりをしている二宮たちに対して智和は尋ねた。
「……そいつは?」
「この中島君はですね、練習中に外でいきなり人が落ちたのを窓から目撃したそうでしてね……中島君、目撃したんだね?」
「はいっ」
それを聞いて智和の表情が強張った。そしてこの中島宏光という生徒が発する声が、先ほどこの建物から落ちた智和にかけられた声と、全く同じものだということに気がついた。
「なるほど。それじゃあ針山君、ちょっと立ってみてくれないかな」
「……どうして俺がそんなことしなきゃいけないんだよっ」
「まさか、芹澤さんを殴って、ここから逃げ出したのは君だと」
「違う、そんなわけないだろう!」
「じゃあいいじゃないですか。ほら、立って」
追い詰められた智和は覚悟を決めて椅子から立ち上がった。
大丈夫だ、顔は見られていないはずだ。ここは堂々としていればいい。
「中島君、彼の顔に見覚えは?」
「ううん、どうでしょうね。見えたのが後ろ姿だけでしたから」
「後ろ姿だけですか」
「すいません」
「いえ、謝ることはありません。じゃあ針山君、今度はその場でくるっと回って」
智和は冷や汗を流しながら、二宮に言われた通りの動きをした。
「中島君、今度はどうかな」
「そうですね……もしかしたら、この人かも」
おい! そんなことを言わないでくれ! 智和は慌てて宏光の両肩を摑んだ。
「君っ、本当に俺だというのかっ」
凄まじい剣幕で問い詰める智和に、宏光は彼から目を逸らした。
「いや、まあ、多分そうかなって……」
「多分? 百パーセントそうだといえるのかっ」
「いや、百パーセントではないかもしれませんけど……」
「はっ! お笑いだな!」
そういって智和は宏光を突き放した。
「そんなあやふやな意見で無実の罪を着せられたら堪ったもんじゃない!」
「あやふやって……」
「御託はいい! さあ出ていけっ、出ていくんだっ!」
智和に怒鳴り散らかれた宏光は泣きそうな顔をすると、ピッコロを手に持ったまま部屋から出て行った。周りにいた警察の人間も、その光景をみて唖然とした。
「そんな怒ることないじゃないですか」
そういって二宮は智和を軽く窘めたが、智和はそんな彼にも当たり散らかした。
「これはどういうことなんだ、二宮! いきなりこんな場所に連れてこられて、挙げ句の果てには殺人犯扱い! どうして俺にこんな仕打ちをしたのか理由をいえ、理由を!」
怒り狂う智和に、二宮は些か困惑しているようだった。
「理由ですか」
「そうだ。どうせ、屁理屈で固めた推理で俺を疑ってるんだろう! さあいえっ」
「別に推理なんかじゃないですよ」
二宮はあっけからんとしながらいった。
「何だと?」
「ええと、お見せしたいものがあるんですが……堂本刑事、あれ持ってます?」
二宮は現場で指揮を執っていた角刈りの刑事に訊いた。
「ええ、俺が持ってます」
「ちょっと貸してください」
すると堂本という刑事が肩に抱えていた鞄から手帳を取り出して、それを二宮に渡した。
「……それは?」
「これは芹澤さんが持っていた手帳でしてね。芹澤さん、かなりきっちりした人みたいで。この手帳にですね、一日の予定をきっちり書き込んでいるんです」
それを聞いた瞬間、まさかと智和は猛烈に嫌な予感がした。
「今日のページはどこだったかな……あっ、ここだ。はい」
二宮は今日の日付が書かれてあるページを開くと、それを智和に見せた。
そこには授業の時間割表と、昼放課の項目になぜか”風紀委員室で二宮くんに勉強を教える”というメモが書かれいた。
そして放課後の項目には、”職員室にてイトウさんと”に続いて”風紀委員室にて針山くんと例の件について”というメモが書かれてあったのだ。
「針山君」
「なっ、何だよ」
「ついさっき君は芹澤さんとあまり親しくはないといっていた」
「それがどうしたっていうんだよっ」
次に二宮が何と尋ねるのか、智和はそんなこと聞きたくもなかった。しかしそんな心境を知ってか知らずか、二宮は容赦無く彼に質問をした。
「だとすると、この君と芹澤さんとの例の件というのがどんな話なのか俄然気になるわけなんですけども、その辺りどういうことなのかぜひとも教えて頂きたいのですが」




