五・誰もが容疑者
テレビ局を出た後、誠士郎はマネージャーの也人が運転する車に乗って劇場に向かった。
劇場に着くとグリーン・ルームで軽い昼食を取ったのち、ドレッシングルームで青年時代のアンソニー・ウィルソンの衣装に着替えた。
そして楽屋でメイクを受けている時、劇団のスタッフが誠士郎に声を掛けてきた。
「夏目さん、あなたと話したいという人が事務室のほうに来ているのですが」
それを聞いて、またかと誠士郎は嫌な予感がした。
「その子、高校生じゃないだろうね。襟詰めにコートで、全身黒尽くめの」
「ええ、二宮って子らしいですが、どうします?」
なんてしつこい奴なのだろう。さっき会ったばかりだというのに、ここまで執拗につきまとってくるとは。
「追い返してくれ。見て判るだろ、そんな状況じゃないんだ」
誠士郎が苛立ちの籠もった声色で言いうと、部屋の扉の影からあの忌まわしい少年の姿が現れた。彼はお馴染みの格好をして、どこか胡散臭い笑みを浮かべていた。
「あのう、お忙しいところすいません。夏目さんにお話ししたいことがあるのですが」
二宮がちっとも悪びれない態度で誠士郎に話し掛けた。
「よしてくれ。今は劇のことで頭が一杯なんだ」
「どうしてもご報告したいことがございまして。すぐに終わります」
ここで押し問答をしていても神経を無意味に磨耗するだけだ。そう悟った誠士郎は二宮の要求を呑むことにした。
「五分だけなら」
「助かります。場所を移しましょう。どこかいい場所ありませんでしょうか」
「そこで待っていてくれ。会議室なら空いているはずだ」
メイクを終えた誠士郎は二宮と共に場所を会議室に移した。無人の部屋には縦に並べられた白く長いテーブルを囲むように椅子が何脚も置かれていた。
「それで話したいことは? 手短に頼むよ」
「はい、先ほど鑑識から現場にあったある証拠品の指紋鑑定の結果が来ましてね。どんなものだと思います?」
「そういうのはいいから、早く言ってくれ」
「縄です。笹渡さんの首を絞めた縄です。それに何か指紋が付着していないか調べたんです」
それに自分の指紋が付着していたとでもいうのか。誠士郎は一瞬不安になった。まさか、そんなはずはない。手袋を嵌めて縄に指紋が付かないようにと細心の注意を払ったのだ。
「縄から誰かの指紋が出たのか」
「いいえ、誰の指紋も検出されませんでした」
「なら問題ないじゃないか」
「とんでもない、問題大ありです。よろしいですか、もしこの事件が自殺だったとするならば、縄には笹渡さん本人の指紋が付いていなければおかしいんです。自分であの縄をセッティングしたのなら、彼の指紋がついていないわけがありません。わざわざ指紋を拭き取る理由もないでしょう。ついでに言っておきますが、遺体は手袋を付けていませんでした。では、どうして縄に誰の指紋も付いていなかったのか」
「……別の誰かが手袋を付けて笹渡の首を絞めたから、か」
「はい、僕もそう思います。その誰かは遺体に偽装工作を行い、笹渡さんの死を自殺に見せかけたというわけです」
これは痛恨のミスだった。こういった形で偽装工作を台無しにしてしまった自分の爪の甘さを誠士郎は悔やんだ。いくら後悔したところで、今更どうしようにもないことではあるのだが。
「とにかくこれでこの事件は殺人だと断定できたわけです。となると問題になるのは、誰が笹渡さんを殺したのかということですが……」
「言っておくが、俺じゃない」
「そんな、夏目さんを疑ってなんかいませんよ」
二宮が慌てながら白々しく否定した。嘘を見破るのは得意でも、嘘をつくのは苦手らしい。もっとも、これも相手を苛立たせて証言から粗を引き出そうとする、彼なりの心理作戦なのかもしれないが。
「下手な芝居はよしてくれ、癪に障る」
「気に障ったのなら謝ります」
「よしてくれ」
こちらを苛立たせようとしてくる二宮の一挙一動に対して、誠士郎は平静を保とうとした。
「確かに二宮くんが俺を疑うのは無理もない話だ。俺は殺された笹渡が最後に会った人間なんだからな。むしろ疑わないほうがおかしい。それに、きっと君はこう思っているんだろう。俺は最初から笹渡を殺害するつもりで昨日の劇に招待し、そして須藤さんとの賭けを口実にして休憩中に笹渡のいる部屋に忍び込み、そして殺したと」
「いやあ、参ったなあ」
二宮が苦笑しながら困った顔を浮かべた。どうやら図星だったらしい。
「だけど二宮くん、結局のところそれはあくまで憶測に過ぎない。実際に俺が笹渡を殺したという証拠は何ひとつないんだ。たとえ俺に笹渡を殺害できるチャンスがあったところで、それだけで俺を告発することは出来ないだろう。それにこの事件は昨日劇場にいた人々全員が容疑者だ。もちろん二宮くん、君もだよ」
誠士郎は咄嗟に機転を利かせて、二宮に異論を唱えようとした。
「ちょっと待ってください、どういうことでしょうか。事件現場は舞台の関係者以外は立ち入り禁止だったんです。少なくとも一般客の僕が現場に出向くことはできません」
「いや、それはどうかな。覚えているかい? 昨日の劇の第一幕と第二幕の間の休憩時間にある女性が立ち入り禁止エリアに入ろうとして、騒ぎを起こしたことを。そして彼女を追い出すために警備員が一時的に持ち場を離れていたことを」
「大川さんのことですか」
「ああ。そして入り放題になっていたあの時、誰でも簡単に笹渡のいた部屋まで忍び込むことはできたんだよ」
「犯人はそんな偶然を利用して犯行現場に忍び込んだというんですか?」
「ずっと彼を殺す機会を窺っていて、そのチャンスがちょうどあの時だったという可能性もあるだろう。二宮くん、君は笹渡になにか恨みがあったりしなかっただろうね」
「いやあ、それはちょっと無いですねえ……夏目さんのほうは?」
「ほら、やっぱり俺のこと疑ってる」
「いえいえ、そんなつもりで尋ねたわけではないのですが」
「まあ、隠すことでもないからはっきり言ってしまおう。俺は笹渡に対して不信感を持っていた。目の前の利益にだけに囚われて、役者の未来のことなんかちっとも考えていない彼を、この業界の病巣だとも思っていた。とうぜん、こんな存在は誰かが消し去らねければならないとも思っていたよ」
「ずいぶんぶっちゃけましたねえ」
「オフレコにしておいてくれ。動機の話は置いておいて、これで社長を殺した犯人を特定するのは難しくなっただろうね。なにせ昨日この劇場にいた人々全員が容疑者になってしまったわけだから」
我ながら悪くない反論だ、と誠士郎はほくそ笑んだ。
「あの人、大川さんっていったっけ。彼女、本当に刑事なのかい」
「まあ、一応は」
「自分の起こした騒ぎのせいで捜査をややこしくしてしまうなんて、あの人、刑事失格なんじゃないか」
「僕もいま、改めてそう思いました」
二宮は微笑みを浮かべながらも、苦虫を噛み潰したような顔をした。
それとは対照的に、勝ち誇ったような表情を微かに浮かべている誠士郎に部屋の入り口からスタッフが声を掛けてきた。
「夏目さん、まもなく本番です」
「判った、すぐ向かうよ……そんなわけで二宮くん、俺はこの辺りで失礼させてもらうよ。もしも、俺がやったと告発できる決定的な証拠を用意できたら、またその時に会おう。では」
二宮をひとり部屋に残して誠士郎は頭を事件のことから、これから始まる公演のことにに切り替えた。
心配することはない。彼に犯行を立証することなど、出来るわけがないのだから。




