三・感覚の正体
警察に笹渡敏三の遺体発見の通報が入ってから十分後、現場となったホールに駆けつけてきた警察のパトカーが建物の周囲を囲み、パトライトの光がすっかり暗くなった夜空を赤く照らしていた。
「ご苦労様です」
県警勤務の制服警官、小田切琢磨巡査は事件現場のグリーン・ルームに入ってきた女性刑事、大川千尋警部補に向かって敬礼をした。
「ん、お疲れ」
千尋が手袋を装着して事件現場に入った。
「あの、お言葉ですが大川警部補殿、ひとつお尋ねしたいことがあるのですが」
「どしたの?」
「その服、どうされたんですか。私服ですか?」
琢磨の指摘通り、千尋は警察の事件捜査におおよそ似つかわしくないワンピースを着てこの事件現場に入ってきたのだ。
「これ? ちょうどさっきまでここでやってた劇を観ててさ」
「ああ、確か夏目誠士郎が出演しているという」
「うん、面白かったよ。それで劇が終わって帰ろうとしたところに連絡が来ちゃって、着替える時間なかったからこのまま来たの」
「そうでしたか。それで二宮さんと一緒にご覧になっていたんですか」
琢磨が千尋の肩越しにみえる、黒いトレンチコートを羽織っている顔立ちの整った少年、二宮浩太郎のことをいった。高校生である二宮はこれまでに幾つもの殺人事件に遭遇し、そして持ち前の頭脳でそれらの事件を見事解決に導いてきたということで署内では評判だった。
「どうも、こんばんは。お名前なんていいましたっけ」
千尋と同じ手袋を付けた二宮が琢磨に話しかけてきた。
「小田切琢磨であります」
「格好いいお名前ですね。覚えておきます」
当然のように二宮が現場に入ると、部屋の中では扉に寄りかかった状態で息絶えている死体の検分が行われていた。捜査の指揮者である千尋は、彼女と違ってきちんとスーツを着ている部下に遺体の身元について尋ねた。
「ガイシャの身元は」
「名前は笹渡敏三。笹渡芸能プロダクションの社長です。死因は部屋のドアノブに括りつけられた縄で首を絞められたことによる窒息死です。第一発見者はこのホールの用務員の女性。この部屋に入って清掃をしようとしたところ、扉が重くてなかなか開かないことを不審に思い、近くにいた男性のスタッフと数人がかりで扉を押して開け、そして遺体が発見されたそうです。死亡推定時刻は一時間から二時間前です」
「状況からして自殺かな」
「でしょうね。動機はまだはっきりとしていませんが」
「ちょっと宜しいですか」
部屋にあったテレビのリモコンをがちゃがちゃと弄ってチャンネルを切り替えていた二宮が、千尋たちの話に割って入ってきた。
「他殺の可能性はないんですか。誰かに首を絞められて、自殺に見せかけるために偽装工作されたとか」
「どうでしょうね。遺体の首の絞状痕の角度と、ドアノブから下がっている縄が首にかかっている角度がほぼ一致していますから、今のところ自殺のセンが強いでしょう」
「被害者より背丈の高い人物が、上向きに縄を引っ張りあげながら首を絞めたらそうなるかもしれません。それを狙ったという可能性も十分にあり得ます。身長はいくつでしょうか」
「えっ?」
「被害者の身長です。判っていないなら計ってみましょうか。大川さん、身長いくつ?」
「ええと、一六七センチだったかな。それがどうしたの」
「ちょっと遺体の隣で同じポーズしてみて」
「イヤだよそんなの! 気持ち悪いじゃん!」
「いいから、ほら。早く」
「なんであたしがこんなことしなきゃならないのかな」
「ほら、ごちゃごちゃ言ってないで横になって」
「判ったよ、もう!」
千尋がしぶしぶ敏三の遺体の横に座り、部屋の壁に寄りかかった。
「これで何が判るの」
「大川さんのほうが被害者より身長が高いね。だいたい十センチ弱くらいかな」
「それ、あたしの身長が高いって褒めてるの?」
「別に褒めてなんかいないよ。それと、もう立っていいから」
千尋は立ち上がって、床の埃のついた尻のあたりをぱたぱたと叩いた。
「大川さん、どう思う」
「ええと、被害者の身長は一五七センチ前後」
「それくらい言われなくても判ってるよ。本当にこれが自殺だと思うのかって話」
「ニノは殺人事件だっていうの?」
「自殺をするなら、もっとおあつらえ向きの場所がいくらでもあるでしょう。わざわざこんな場所を選ばなくてもさ」
「それは判らなくもないけど……」
敏三の遺体を鑑識が担架に乗せて運ぶと、扉の前で見張りをしていた小田切琢磨巡査が部屋に入ってきた。
「警部補殿、夏目誠士郎さんをお連れしました」
「そう、じゃあその人を部屋に入れて……えっ、夏目くん?」
千尋が意外な来訪者に呆気にとられていると、舞台を終えて私服姿になっていた誠士郎が部屋に入ってきた。
「どうも、夏目です。捜査の方、よろしくお願いします」
頭を下げてきた誠士郎に、千尋がしきりに戸惑った。
「あっ、はい……いや、なんで夏目くんがここにいるのっ?」
「笹渡は俺が所属している事務所の社長なんです。彼が死んだと聞いて驚きましたよ……あれっ?」
誠士郎が目の前に立つ千尋の姿をじっと見た。
「あの、あたしの顔に何かついてる?」
「あなた、確か劇の休憩時間に騒ぎを起こした……」
「あっ」
千尋が数時間前に起こした出来事を思い出した。
「やっぱりそうだ。あなた、あの時も今着ているのと同じ服を着ているからすぐ判りましたよ。へえ、刑事さんだったんだ。それで……」
誠士郎はこの場でひときわ浮いた存在感を放っている二宮に目をやった。
「君も確かあの時近くにいた」
「どうも、先ほどはお騒がせして申し訳ございませんでした」
犯行の直前で目にした少年の姿が誠士郎の脳裏に蘇った。あれは間違いなくいま目の前にいる少年そのものだった。
「二宮と申します。ほら、大川さんも謝りなさい」
「お、大川ですっ。さっきはごめんなさいっ」
「いいですよ、大川さん。そんなに気にしなくても」
「いや、そんな……それと、できれば下の名前で”千尋さん”って呼んでくれたら嬉しいなあ、なんて」
「こらこら、厚かましいことを言うんじゃないよ」
二宮が千尋の頭をぽんと叩いた。
「別にいいですよ、千尋さん」
「わあ、夏目くんに下の名前で呼ばれちゃったっ」
千尋がはしゃいで感激している横で、誠士郎は彼女よりも二宮の存在の方が気にかかった。どこか幼さの残った少年らしい外見からして、彼が刑事だとは思えなかった。
それに彼の羽織っているトレンチコートの下で見え隠れする金色のボタンからして、下には襟詰の制服を着ているらしい。おそらく中学生か、高校生といったところだろう。
疑問なのは、どうして十代の少年が警察の事件捜査の場にいるかということだ。
「二宮くんといったかな」
「はい、どうかしましたか」
「いや、刑事にしてはずいぶん若いんじゃないかと思ってね」
「それはまあ、僕、刑事ではないので」
「だろうね、高校生かそこらに見えるから」
「実際、高校生なんですけども」
「どうして警察官じゃなくて、高校生の君がこんなところに居るんだい」
「そうですねえ、話すとちょっと長くなるんですが」
二宮が照れ笑いを浮かべていると、突然どこからともなく携帯の鳴る音が聞こえた。それはテーブルの上に置かれていた被害者の敏三の携帯電話からだった。
「大川さん、ちょっとこの電話に出てもいいかな」
「別にいいけど」
どうやら二宮には警察からかなりの権限を与えられているらしかった。
劇の休憩時間で起こった一幕やさっきからの千尋とのやりとりといい、警察官である彼女とはかなり親しい関係らしい。
だが、それだけで警察の捜査に一介の高校生がここまで介入できるというのは常識では考えられない。それこそまるで、誠士郎がこれまでに何度も出演してきたテレビドラマの世界の出来事のようだった。
「……ああ、はい、そうですか。えっ、お聞きになっていないんですか? いや、知らなかったらそれでいいです。今ここ話すと、ちょっと……いや、かなりびっくりするかもしれないので」
電話をしながらちらちらと何度もこちらの方を向いてくる二宮の視線を疎ましく感じた誠士郎は、とりあえず彼のもとから離れようと自分に見惚れている千尋に提案をした。
「おおかわ……じゃなくて千尋さん」
「は、はいっ」
「こんなところで立ち話もなんですから、場所を変えましょう。いい場所があります」
誠士郎が案内したのは、つい数時間前まで舞台上に立っていたホールの客席だった。
目の前の舞台では大道具係が大型の舞台装置をばらしていて、翌日の準備のための仕込みを行なっていた。客席の前のほうには舞台監督が立って作業をしているスタッフたちに指示を出しているが、それ以外に客席には誰もいなかった。
「どうでしょう。ここならゆったりと座れるし、聞き耳を立ててこそこそ話を聞こうとしている輩がいたらすぐに見つけられるから、秘密の話をするには最適です。それで、俺から何か聞きたい話はありますか」
「ええと、被害者の笹渡さんと最後に会ったのがいつなのかを教えて欲しいんだけども」
千尋は手帳を出して、まだ何も書かれていない白紙のページを探した。
「笹渡と最後に会った時、ですか。舞台の休憩時間に彼のいた楽屋……ようは現場ですね。そこで彼と会って、少し話を」
「笹渡さんとはどんな話をしたんですか? そもそも、どうして彼はそんな時にあの場所に居たんでしょうか」
そう尋ねてきたのは千尋ではなく、いつの間にか誠士郎の後ろの座席に座って話を聞いていた二宮だった。
「二宮くん、居たのか」
いつからここに居たのだろうか。
「電話の件がいちおう片付きましたので。それで、あなたが笹渡さんと最後に会ったときの話なんですが」
「もともと彼には、俺から今日の舞台を観にきて欲しいと招待したんです。ただ、彼の人間性からして、きちんと客席まで来て生で鑑賞してくれるか心配だったんです」
「週刊誌かなんかで読んだんですが、かなり評判の悪い方のようで」
「よく知っているなあ。二宮くんみたいな年頃の子が読むような雑誌じゃないだろう」
「結構ませてるんだよ、このニノってヤツは」
「大川さんは余計なこと言わなくていいんだよ……すいません、話の続きをお願いします」
「とにかく、笹渡が実際に客席まで来てくれるか心配だったんです。そのことで今日の舞台が始まる前に、劇長の須藤さんとある賭けをしたんです」
「須藤さんというと、今回の舞台にも出演していらした須藤耕作さんですか」
「ええ。もし笹渡が観にきたら俺の勝ち。駄目だったら須藤さんの勝ちっていう賭けです。そのあと舞台の休憩時間になってちょっと時間が空いたので、彼のために用意した楽屋に行ったんです。そこにいるのかいないのかを確かめるためにね」
「だとすると、休憩時間に僕たちがあなたの姿を見たのはちょうどその時だったというわけですね」
「そうなるね。そして部屋まで行ったら笹渡が中に居たんです。それで部屋に入って、彼とちょっと口論になってしまったんです」
「具体的にはどんな話を」
「……もうあなたにはついていけない、事務所から出ていくと」
「穏やかじゃないですねえ」
「千尋さん、笹渡は自殺したと聞いたんですが」
「まあ、今のところそういう見解になっているっていうか、大方そうなんじゃないかな、って感じなんだけど……」
「半年くらい前だったかな。笹渡は不動産だか何かに投資をして、大失敗したんです。その時に負債もかなり抱えたんだと。幸い、本業である芸能事業の収入は安定していたから何とか保っていたんですけど、俺が退所するとなったら話は別です。状況が厳しくなる。自分で言うのも恥ずかしいけど、俺は事務所の稼ぎ頭ですからね。もしかしたらそれで思い詰めて、自殺してしまったんじゃないかな」
「いやあ、どうでしょうねえ」
誠士郎が話をしているところに二宮が異論を唱えた。
「夏目さん、笹渡さんの死因について何かお聞きしましたか」
「いや、自殺としか聞いていないな。どう死んだんだい」
「縄で輪っかを作って、そこにに首を括って亡くなりました」
「つまり首吊り自殺というやつか」
「問題なのはですね、どこからその縄を持ってきたのかということです。もしあなたとの言い争いが自殺の動機なのだとしたら、その直後に縄を使って首を吊ったわけですから、日常的に自殺用の縄を持ち歩いていたということになります。妙な話です。いくら先行きが怪しかったとしても、そんなことあるでしょうか」
「よくよく考えてみれば、それは不思議だな……いや、待てよ」
あくまで自然に、俳優としてのスキルを発揮して誠士郎は事前に用意しておいた言葉を発した。この程度の矛盾は対応できるように最初から考えてあるのだ。まさか、それが刑事ではなく高校生に対して使われることになるとは思いもしなかったが。
「このホールの資材置き場にでも行けば、使えそうな縄はいくらでも置いてあるはずだ。あそこは公演中は誰も使わないから他の人に見つからずに簡単に入れるし、場所もあの楽屋からそんなに遠くはない。もしかしたらそこから拝借したのかもしれないな」
「資材置き場ですか。とても参考になりました」
「これで満足してくれたかな」
「ただですね、他にも気になることがあるんです」
「へえ、それは?」
「テレビです」
「テレビ?」
想定外の言葉に誠士郎は拍子抜けした。どうしてここでテレビなんて単語が出てくるのだろう。
「事件現場の楽屋にテレビがあるのはご存知ですよね」
「それがどうしたんだい」
「警察が現場に来た時、テレビの画面が点けっぱなしになっていたんです。普通ですよ、これから死のうって時に目の前でテレビが点いていて、しかもそこから音が出ていたら気が散って仕方ありません。リモコンで電源を落とすと思うんです。しかしテレビは点いたままだった。これがどうも不思議なわけで」
しまった、と誠士郎は心の中で舌打ちした。そして、高校生である二宮が警察の捜査に参加している理由がここに来てなんとなく判ってきた気がした。
「……どうだろう。あまりに気が滅入ってしまって、テレビのことなんか気にならなかったのかもしれないな」
「なるほど、その可能性がありましたか」
「まあ、俺としてはこれ以上はなんとも言えないな。それじゃあ、もうそろそろ失礼させてもらいますよ」
「これから何か予定があるんですか」
「さっきいった賭けに負けたおかげで、須藤さんに寿司を奢らなきゃいけなくなったからね」
そういって誠士郎は席から立ち上がった。すると二宮がまたもや誠士郎に声をかけてきた。
「ああ、ちょっと待ってください。もうひとつだけ質問をさせてください」
「まだ何か」
「背、かなり高いですね。身長はおいくつですか」
「……一八三センチだけど、これも事件に関係が?」
「いえ、何でもありません。個人的な興味です」
二宮はそういって微笑みを浮かべた。
「どうも、いろいろと話を聞いてくださってありがとうございました。お疲れでしょうから、今夜はごゆっくりお休みになられてください」
「ありがとう。ではまた聞きたいことがあったら、次の機会に。それでは」
二宮に背を向けてホールから立ち去る誠士郎の頭に、犯行直前に目にした二宮の姿が再び浮かんだ。
あの時の背筋の凍るような感覚の正体が、なんとなく理解できた気がした。




