十二・刑事たちの疑念
渡の運転する車が取引場所のある中園町まで来ると、渡は公園から数百メートル離れた場所にある契約駐車場に車を停めた。駐車場の所有者には事前に警察から許可を取ってある。
愛美と一緒に車を降りる前に、渡は車に備え付けられてあるハム無線の電源を点けたままにしておいた。
「二宮くん、とりあえず無線装置の電源をオンにしておきました。これで現場の通信音声がここでも聞くことができるはずです」
「勝手に周波数を変えたりとかはしないでね。聞こえなくなっちゃうかもだから」
「判りました、ありがとうございます。ああ、いちばん大事なものをお忘れですよ」
二宮は座席のドアを開けて、彼の横に置いてあった身代金の入っているどっしりとした鞄を渡に渡した。
「ありがとう。それじゃあ、君はここから離れないように」
「ええ。それじゃあお二人ともお気をつけて。それと霧崎警部によろしく」
「……うん」
二宮と別れると、ふたりは重い荷物の入った鞄を持って公園に向かった。
「こちら藤野です。いま車を降りて堂本と一緒に取引場所へ向かっています」
愛美がインカムを使って捜査本部で指揮を執っている郷家警視に通信した。
『こちら本部だ。そのまま公園まで金を持っていってベンチの下に置き、終わったらすぐ車に戻って指示があるまでそこで待機しろ。二宮君は車の中に居るだろうな』
「ええ。そこから離れないようにともいっておきました」
『それなら良い。打ち合わせ通り、公園でもし誘拐犯と鉢合わせるようなことがあってもおまえたちが追いかけたりするような真似はするなよ。後は他の捜査員に任せるんだ』
「了解です」
『じゃあ、任せたぞ』
通信が切れると、愛美は溜息を吐いた。
「どうしたんですか、先輩」
「いや……郷家さんにはいっておいたほうが良かったんじゃないかなって。二宮君が霧崎さんを疑っているってこと」
愛美の話を聞いて、渡は苦々しい顔をした。
「止めておきましょうよ。二宮君もそういっていましたし、それに無線は他の人たちにも聞かれているんです。もし先輩が話したりなんかしたら──」
渡がそこまでいったとき、ポケットの中に入っている彼の電話が鳴った。
「俺の携帯です。こんな時に誰からなんだろう」
渡はバイブレーションする携帯を手に取ると、暗がりの中で光る画面をみた。そこに表示されている発信者の名前をみたとき、渡はゴクリと息を呑んだ。
「誰からなの?」
「……霧崎警部です」
「えっ」
渡と愛美はお互い不安そうな表情をして顔を見合わせた。そして渡は震える手で画面に表示されている応答のボタンを押した。
「もしもし」
「堂本か。悪い、こんな時に電話をかけて。いちおう、警視には許可を取っておいたんだが」
「か、構いませんけど」
電話をかけてきた洋介の声を聞いて、渡は自分の声が上ずって震えるのを必死に押さえつけようとした。
「それで、なんでしょうか」
「いや、確認しておきたいことがあってな。おまえ達、二宮君に何か妙なことを吹き込まれなかったか?」
電話の向こうで洋介がそういったとき、渡は心臓がきゅんと急激に縮まるような気分がした。隣で電話のやりとりを聞いていた愛美も「えっ」と声を漏らしてしまった。
「どうして、そんなことを訊くんですか」
「別にたいした理由があるわけじゃない。ただ、彼が余計な口出しをして、おまえたちの足を引っ張っていたりしていたら大変だからな。それで、何かいわれたのか」
洋介の問いかけに、渡たちは黙っていることしかできなかった。彼はあなたを誘拐犯と疑っているのだと、そんなことを洋介にいうことはできなかった。
「その反応からして、何かいわれたみたいだな。おまえたちが二宮君に何をいわれたのか当ててやろうか。ずばり、彼は私を疑っている」
「ど、どうして」
「簡単な話だ。大川を誘拐された場所まで車で送ってやったのは私で、あのとき大川が誘拐できる条件を全て把握していたのは私だけだった。もちろんそんな状況でもおまえたちは私を疑うことなんてなかったろうが、おまえたちと違って二宮君は完全に部外者だ。なんの屈託もなく私を誘拐犯だと疑うことが出来ただろう。まあ、そう思ったわけだ」
淡々とした口調で洋介は渡たちに語った。渡の携帯を持つ手が大きく震える。
「警部、訊いていいですか」
「なんだ」
「警部が誘拐犯じゃ、ないですよね」
頼む、お願いだからそうであってくれと願うように渡はいった。
「まさか、おまえは私が誘拐犯だと疑っているのか?」
「いえ、そういうわけじゃ……」
「なあ堂本。おまえは私と、ぽっと出の高校生、どっちを信用するんだ?」
洋介の問いかけに渡は数秒間、本人にとっては気の遠くなるような時間が流れる感覚を味わいながら頭を悩ませた。
そして、悩んだ末に渡は自分の考えを絞り出すようにいった。
「俺は……警部は、そんなことをしない人だと思います」
「なら、余計なことは考えずに与えられた職務をきちんと全うしろ。いいな?」
「は、はいっ」
「邪魔したな。じゃあ、後は頼んだぞ」
そういって洋介は電話を切ってしまった。
渡は通話の終わった携帯を画面を空虚な眼差しで眺めながら握りしめると、それをポケットの中へ突っ込んで再び歩き始めた。
「藤野先輩。警部は誘拐犯なんかじゃ、ないですよね」
「わたしも、そんなことないって思いたいけど……二宮くんだって、間違っているかもしれないっていっていたし」
「ですよね、きっと思い過ごしですよね」
自分にそういい聞かせるように、渡はいった。
重い足取りで歩いていると、目的地の公園が目の前にみえた。あたりを見渡すと、周囲にあるいくつもの家の窓から部屋の明かりが漏れ出していた。窓のカーテンの隙間からは、住人に許可を取って部屋の中で張り込んでいる刑事たちの監視の目が光っているのだ。そして、洋介もこの家のどこかで見張りをしているとのことだった。
公園に入ると、ブランコ、滑り台、鉄棒といった遊具が青白い電灯に照らされて銀色に輝いていた。コンクリートの小さな土台と細長い鉄の棒で建てられている時計台の針は九時四十五分を指していた。
奥のほうでぽつんと置かれているベンチを見つけると、渡と愛美はお互い一瞬目を見合わせてベンチのほうへ歩み寄り、金の入った鞄を誘拐犯の指示通り、その下へ置いた。
耳に取り付けてあるインカムのスピーカーから、近くで渡たちの様子を見張っている同僚の刑事が『藤野と堂本、身代金を所定の位置に設置しました』とノイズ混じりの音声で報告するのが聞こえた。
「こちら藤野です。身代金をベンチの下に設置しました」
愛美がインカムで本部に報告した。
『こちら本部。周囲に怪しい人影はないか』
「こちら藤野。そういった人物は今のところ確認できていません。問題……なしです」
問題なし、と言い切るのに愛美は一瞬戸惑った。もしかしたら、こうしている間に上司が恐ろしい企てを勧めているのかもしれないというのに。
『こちら本部。了解、直ちに車に戻るように』
「こちら藤野……判りました。以上です」
通信を終えて公園から出ると、車に戻るまでの道で渡と愛美はジャージ姿で走る男性とすれ違った。よく見ると、その男性は変装をして周囲を監視して回っている同僚の刑事だった。
彼の頭の中には、自分の同僚が凶悪な誘拐犯だという可能性は浮かんでいるのだろうか。
渡は公園の前をちらりと一瞥して去っていった同僚の後ろ姿をみて思った。




