5話:グレンロセス王立学園
愛を探してエマが通うグレンロセス王立学園は、没落した大貴族の広大な屋敷跡地に当時の国王が私費で開校した。
もともとは貴族の子息の教育機関であったのだが、開校から250年。現在は階級も性別も関係なく入学できるようになっている。
懐古趣味の上流階級が好む古い建築スタイルな校舎が連なり、意図せずすばらしい伝統的な街並みを作っておりノスタルジーを求める大人女子観光客に大人気スポットだ。
そんな学園に9月から始まる新学期に向け、次々と全国各地から寄宿舎生が戻ってきた。
それまでの2ヶ月もの間、森閑としていた園内に生徒達の声が響く。
新しい学年が始まる。
そして今日は新学年の第一日目である。
学年ごとに分かれている校舎に生徒が、それぞれの学年棟の入口に吸い込まれていた。エマもテオフィルスやイビス兄と連れ立って登校し、学年棟の前で分かれ、玄関へ向かう。
新学年は5年。
新学年・新クラスといっても同じ顔ぶれ5年目で新鮮味の欠片もないのはいささか残念なところだ。
1学年150人程度であるうえに、凡そ7割の生徒は寄宿舎生活という、全員が顔見知りで離れて暮らす家族よりもある意味近い間柄である。新しい所はというと制服のリボンとネクタイの色だけだろう。
エマは後ろの入口から入ると、一番端の席についた。ホームルームまでまだ時間がある。同級生たちは2ヶ月ぶりに会う顔ぶれに興奮気味に騒ぎ立てている。
美形もおおいけど、見慣れると日常になっちゃうよね。
と十人並目線で教室を見渡した。
「エマ様、お似合いですわよ。そのリボン。シルクの艶が美しい藍色。その控えめさはモーベン男爵令嬢にふさわしいではありませんか」
悪女っぽくわざとらしい口調でフフっと笑いながら、エマの隣にデフォルト美少女が座った。お手入れの行き届いた透明感あふれる肌、ゆるくウェーブのかかった濃茶色の髪がふわりと揺れる。
いい香りもただよっちゃうよ。さすがの女子力!
彼女にいわせると、努力で手に入れたものらしく日常的に最上級のヘアケアとエステが必須で、よい状態を維持するのも大変なんだそうだ。
うん。本物のお嬢様とはこういう人よね。
エマは素直に感心し笑った。
「カレン、久しぶり! 今年も同じクラスでよかったよ。休暇どうだった?」
「今年はね、ファイフの別荘で過ごしたの。パパの言いつけでね、二ヶ月まるごとよ! 信じられる?」
美少女カレンはデイアラ王国南部の高級リゾート地の名前をあげた
ファイフは富裕層御用達の大人リゾートである。白い海砂の海岸沿いに白亜のホテルが立ち並び夜は盛装してカジノで遊ぶ華やかな社交場だ。
毎年のように雑誌やテレビの「一度は行きたい素敵なリゾート」特集で必ず取り上げられるほど庶民の憧れは強い。
「ファイフ! いいなぁ! 楽しかった?」
カレンは忌々しそうに眉をゆがめた。
「海はよかったよ。プライベートビーチで人もいないし。エマも今度いっしょに……でなくてね、最悪。もうこれ以上ないってほど最低だった。どこに行くでもパパの部下の監視付きだし、1人では敷地の外にも出してもらえなかったし! キースと連絡とらないようにスマホも制限されたし!! ひどすぎ」
「カレンから返事来ないと思ったら、そういうことね。カレンが別荘に軟禁されるほど、キースさん嫌われてるんだ?」
キースはカレンの彼氏である。身分は上級貴族階級に所属しているが、上流階級の鼻持ちならない横柄さなどなく、気さくで裏表のない気持ちのいい好男子だ。
「ううん、キースは嫌われても好かれてもないよ。パパはキースには関心がないの。ただ娘が男とつきあうのが許せないのよ。娘をコントロールしたいだけ」
「きつくない? それ。……ヴァーノン商会ほどになると自由にできないんだね」
カレン・ヴァーノンは労働者階級の出身だ。
だがおそらく学園のなかで一番裕福な生徒は貴族でも王族でもなく彼女である。
カレンの実家・ヴァーノン家は銀行業を手始めに、時代を経るごとに多種多様な業界に進出し、現在では数カ国にまたがる巨大な財閥を築いている。ヴァーノン家の資産だけでもデイアラ王国の国家予算をはるかに上回るといわれており、まさしく富豪中の富豪。
その一族トップが父親だというのは、田舎貴族の末娘には計り知れない苦労があるのだろう。
「エマは休暇どうだったの? 地元で気になる人でもできた?」
野望を秘めて上京したものの、前世で熱望した愛の在る生活にはまだまだ遠く……。
学園に入学して5年。エマは彼氏なるものができたことすらない。彼氏ってなんだか都市伝説じゃなかろうかとすら思う。
恋に縁がなかったわけではない。かっこいい先輩を好きになったこともある。頑張って告白したこともある。でも誰もが目を泳がせてお断りなのだ。
反対は?
……十人並みはつらいよね!! 言わせんなよっ!
「カレン師匠、彼氏どころか好きな人すらみつからないよ。彼氏ってどうやったらできるの? KARESHIっていう伝説じゃない?」
「ふふふ、エマったら」
始業のチャイムがなった。
クラスメイト全員が席につく。と同時に担任の教師が入って来、新学年のオリエンテーションがさらっと始まった。
テオフィルスの情報どおり5年はイベントが多いようだ。
履修科目の説明や重要事項の確認と全学年共通の文化祭・地域奉仕ボランティアは例年通りの予定。5年では特別イベントがあり今年度は野外でキャンプや研修旅行(という名目の旅行)も企画されているらしい。
クラスメイト達が嬉しそうにざわめいた。
「ちなみに5年限定の行事は赤点・補習受講者は参加できません。昨年は残念ながら5分の1ほどの生徒がキャンプや研修旅行に参加できず、その間、校内で別課程を履修しました。5年生の勉強は昨年までとは違い科目も増えレベルも高くなりますが、グレンロセス王立学園生徒として当然対応できると思っています。励むように」
一瞬にして教室内が水を打ったような静けさになった。
教師は満足そうに頷き、「では幾何の小テストをします。これも評価に含まれますよ」とさらに地獄へ叩き落したのである。
「恋愛も大事だけど……その前に勉強どうにかしないと、これはやばい。マジでやばい。ぜんぜんわからん……」
エマ青い顔をして幾何の問題用紙を前にして独りごちた。
地頭は微妙、入試もぎりぎり、4年までに補習は数回体験済みなエマは5分の1に一番近い立ち居地であった。