33話:氷月の下で。
来賓全員が入場を終えたタイミングで卒業生である皇太子が晩餐会の開始スピーチを行った。
皇太子夫妻、王女、第二王子……ロイヤルファミリーという名を課せられた人たちというのはどこかしら常人とは違うのだろうか。
短い文章であったものの、王太子が王太子である所以がここにあると衆人が認識しざるを得ない心を打つすばらしいものであった。
「さすが王太子さまね」
さぁ愉しみましょ!とカレンが音頭を取りグラスを掲げた。
雅やかな音楽と上等な料理、そして上質なサービス。一般労働者階級と下級貴族には縁の無い夢のようなひと時である。
後夜祭“晩餐会”は最高潮に達していた。
開始から数時間。
エマは不安要素だった社交も何とかこなし、カレンに合格点もらえるくらいには話題も絶やさなかったと自己評価した。
ご飯も美味しいし、音楽も素敵だし……。うーん。
エマは主菜の肉料理を切り分けた。
オーブンでローストした鹿肉に木苺と赤ワインのソースをかけた贅沢な一品だ。鹿肉はモーベンでもよく食べられ、エマも小さなころから親しんだ肉であった。が、珍しく食が進まない。
暑い……。
とにかく暑かった。
12月の夜、薄手のドレスでも寒さを感じないほど暖められた室内に学園の全生徒と教職員、来賓、晩餐会のスタッフも合わせると二千人近い人数が居合わせている。
人の熱気と暖房の組み合わせはかなりの熱量をもって体育館の気温を上げていた。
雪深いモーベン育ちにとっては暑すぎた。
だいぶ首都の気候に慣れたかなっと思ってたけど、人数多いとダメだぁ……。せっかくの鹿肉なのに食欲でない……。
エマは横目でテオフィルスを盗み見た。
モーベン男爵領よりも厳しい気候のソーン男爵領で生まれ育ったテオフィルスは、汗一つかかず涼しい顔をして、向かい側に座る中年男性と談笑している。
テオって化け物かっ!
かなり盛り上がっている様子から男性とはかなり親しくしているらしく、打ち解けた様子で話していた。漏れ聞いたところ、過去の学会で一緒になりそれ以来の再会らしい。
これは邪魔できない。
中座することはしたくないけれど倒れるよりましか……とエマはテオフィルスに声をかけた。
「テオ、ごめん。私、のぼせちゃったみたい。ちょっと外で涼んでくるね?」
「大丈夫? 俺も行くよ?」
「ううん、1人で平気だよ。せっかくお会いできた方なのだから、私に構わず楽しんで。落ち着いたら戻ってくるね」
エマの様子を察したお仕着せの給仕役が、さっと近寄り洗練された仕草でイスを引いた。エマが立ち上がるとテオフィルスは腕を伸ばし不服そうに軽くハグをし、
「今日のエマはものすごくかわいいから、1人にしたくないんだけどな。心配で。俺もいっちゃだめかな?」
と耳元でささやいた。
いや、これテオ絶対確信犯! もっとのぼせちゃう!
ハグの腕を解くと、かすかに色を増した頬を押さえ、
「……ダメ。1人でいってきます」
エマはテーブルの同席者に断りを入れると席を離れた。
首都の12月の風は、モーベンの冬とは比べ物にならないがそれなりに冷たい。
ほてった体にとても心地よかった。
熱気の篭る体育館を出るとエマは隣接する中庭に足を進めた。
芝生がひかれ繊細な鉄の意匠のベンチがいくつか置かれているだけの何の変哲も無い場所である。
体育館と校舎に挟まれ長閑な雰囲気が生徒に好まれ、昼間はかなり賑わう。
が、今は夜。寒空にこうこうと冴え渡る12月の月も高く昇っていた。
人影はエマしかなかった。
「気持ちいい」
エマは息をついた。纏っているのはドレスと同布の薄いケープだけだが、のぼせた体には寒さは感じなかった。
やっぱり履きなれないヒール疲れちゃう。
ベンチに腰をかけ足を伸ばした。
生き返るなぁ。
社交界未デビュー者にとっては初めての経験に、思っていたよりも気を張っていたのだろう。どっと疲れが沸いてくるのを感じた。
「珍しいこともあるものだな。エマ・アイビン」
背後から妄りがましいが心に残る声がする。
前世でいう“イケボ”。この声質の人物は1人しか知らない。
「……ウィンダム殿下」
晩餐会会場とは違い、タキシードのタイは外されウイングカラーのシャツのボタンをいくつか緩め大きく肌けている。ウィンダム・マカダムである。
上流貴族らしからぬだらしのない格好なのに、より淫らで惹き付けられるのはその類稀な魅力のせいだろうか。
「思いっきり嫌そうな顔だな。安心しろ、お前を追ってきたわけではない。気分転換に出てきただけだ」
「左様ですか」
エマは失礼にならない程度に膝を曲げ礼をした。この王子とは関わり合わないでいるに限る。
殿下のお邪魔になってはなりませんので失礼いたします、と言い足早にウィンダムの横を通り過ぎようと一歩足をだしたとたん、ウィンダムはエマの手首をつかんだ。
「ちょ、殿下、何を? お離しください」
「なぜ逃げる?」
何故と聞かれて、ウィンダム殿下、貴方が気持ち悪いのです、と面と向っていえるほど物知らずでもない。
運が無いなぁ。
エマは目を伏せ、なるべく感情をこめないように応えた。
「殿下とお言葉を交わすなど、恐れ多くて」
「心にも無いことを言うね。なぁエマ?」
ウィンダムはエマの手首を握ったまま、にじり寄った。少しでも距離を置こうとエマも後退するが、すぐに詰めてくる。
あっという間にエマの空色の瞳と薄茶色の瞳が間近にかち合った。
薄茶色の瞳は眼前のエマを映しながらも、どこか冷たい。
「中で兄上達の機嫌をとるのも飽きてきたところでね。ここで会えたのも何かの縁だ。第3講堂でライブがあるだろ? ちょっと付き合えよ」
「は?」
「行くぞ」
ウィンダムは高慢に言うと、エマの手を強引に引いた。
いつも読んでいただきありがとうございます!
ブクマもすごく嬉しいです。
「アイのある人生」も長くなってきました。
着陸点を模索していますが、寄り道話ばかり浮かびます。なぜでしょうか。
こんな話ですが、最後までお付き合いいただけたら幸せです(*•̀ᴗ•́*)و
次回の更新は明日を考えています。
また見に来てくださいね!




