11話:文化祭(3)
エマが雑用係になってから数日。
文化祭実行委員会から無くてはならないとまで言わしめるほどに重宝されるまでになっていた。
体力だけは自信があるエマの存在はホワイトカラー出身の多い生徒のなかであっては超絶貴重な存在であったのだ。
何せ実行委員会はエリートの集まり。
しかも力仕事は苦手系男子&女子ばかりなのだ。
エマの幼い頃から労働力として農場で鍛えられたその腕力・足腰の強さは、そこらへんの「部活で全国目指す」体育会系男子すら超える。
父に強いられた収穫の手伝いではあったが、そのおかげか20キロ程度なら余裕。気合い入れて頑張れば40キロもいける。
幼年学校時代に麦満載の穀物袋運び(1袋20キロ)耐久レースを乗り越えた体力は伊達じゃないのだよっ!
つらい肉体労働も途中で楽しくなってしまう根っからのモーベン人気質。
最近では張り切りすぎて「肩にダンボールを掲げて小走り」をしたりと、生徒間でちょっとした話題となっていた。
「え? 荷物はこんでるの宅配業者じゃないの? あのイビス・アイビンの妹? ゴリラなのか?」
「筋肉すごそうww」
などなど……。
聞こえてるっつーの!
エマは荷物を満載した荷台を押しながら、心の中で毒づく。
この体力は家業を支える為に付いた誇るべきものだ。バカにされる謂れはない。それに誰かに必要とされ役に立てるのは嬉しい。
果たして女子としてどうなのかという疑問はわくが、とりあえずテオフィルスは喜んでくれるだろう。今はそれでいいとエマは思う。
エマが雑用係の手伝いを始め頻繁に文化祭実行委員会の事務所に出入りするようになって、改めて委員会の鬼のような仕事量に仰天した。
もともと生徒の中でも優秀な選ばれた人材ばかりであるが、彼らが次々と裁可し処理していく端からまた処理する仕事が生まれる。まるで終わりの見えない無限ループ状態であった。
前世でブラック気味な職場は慣れていたつもりだった。
慣れていたつもり……
つもり、だったということを身にしみて思う。
前世では高校生相当の彼らが身を粉にして働いているのに、「彼氏紹介してもらうぜ!」という浮ついた下心もりもりだった自分が恥ずかしい。
ていうか、こんなに忙しいのに無理して付き合ってくれてたのね。テオに申し訳ないなぁ。
ここ二ヶ月、放課後の自主勉強に付き合ってもらっていた。優秀な人材の貴重な時間を自分ひとりが独占していたのだ。
気にしなくて良いとは言ってたけど、気になっちゃう。うん、文化祭終わったらお礼しよう。
配送のお使いが終わって実行委員会の事務室に戻ってくると大部分のメンバーは出払っていた。
静まり返った事務室のいつもの最奥にテオフィルスだけが残って作業をしている。
テオフィルスもエマと同じ穀倉地帯の農園出身。
さらに両家ともに経済的な余裕はなく、ほんの幼い頃から実家の手伝いをして育っている。世間一般の基準から言えば体力気力は充分育まれており、多少のことでは顔色に表れることはないのだが……
テオ、めっちゃ疲れてる……。
エマの目から見ても疲労の色が強い。
「あぁ、おかえり。エマ、お疲れ様」
こちらが声をかける前にテオフィルスはエマを認めたようだ。
「今日はもう雑用もないし、寮に戻ってもいいよ。俺はもう少しやってから寮にもどるから」
テオフィルスは大きく背伸びをするとイスの背もたれに深く寄りかかった。
優秀だっていうけど私と一つしか変わらないんだよね。授業も受けて、委員会の仕事もしてって疲れちゃうよね。前世だったら欝だ虐待だって問題になっちゃうレベルだよ。ほんとこの世界は無茶を強いる……。
エマはテオフィルスの隣でしゃがみこんで、黒い瞳にかかる前髪にそっと触れた。
「ねぇテオ。私、テオになにかしてあげれることないかな?」
「……じゃあ手にぎってくれる?」
テオフィルスはエマに右手を差し出した。エマは差し出された右手を一度自分の頬に寄せて、自らの両手で包み込んだ。
なんだろう、懐かしい。
この手のひらも指も。
誰かに似ている気がする。
テオフィルスは何かを思い出したのかわずかの間身じろぎもしなかった。
「……エマの手、暖かいね」
「テオの手が冷たいだけだよ。おなかすいてるんじゃない? 今の時間ならいつものカフェあいてるし、ちょっと抜けて食べに行かない? なにかいれないと体がもたないよ」
テオフィルスは壁にかけられた時計を見た。時計の針は7時20分をさしている。
「んー、今からなら、まだ寮の食堂間に合うかな。カフェよりも寮でガッツリ食べたい。……帰ろうか」
食堂は8時までだ。
寮費に食費は含まれているので、カフェで食べるよりもお金がかからない。この棟からだと徒歩15分。なんとか間に合うだろう。
テオフィルスはさっと荷物をまとめ、コートを羽織ると当たり前のようにエマの手をとり握り締めた。
「テオ??」
「寒いし。手、冷たいんだよね」
と何事もなく言うと手をつないだまま歩き出し外へ出た。
11月のグレンロセス。
温暖といえ7時を過ぎるともう人の顔の判別がつかない程度には暗い。人通りのない石畳の道を街灯が照らすのみである。
暗くてよかった。
エマは心底思った。異性と手をつなぐなんていつぶりだろう。グレンロセスに来てからは一度も無かった。
きっといま顔が赤くなってる。
舞い上がってる姿を誰にも見られたくなかった。
夜風が冷たい。かすかに息も白くなっている。
エマは夜空を見上げた。
「モーベンはもう初雪降ったかな?」
「うん、降ったんじゃないかな。積もるまでは行かないと思うけど。うちはモーベン男爵領よりも山脈寄りだからきっと少し積もってる」
テオフィルスはエマの手を離さずその手をコートのポケットに差し入れた。
「俺、この季節あんまり好きじゃないんだ」
テオフィルスは繋いだ手に力を入れた。
「モーベンにいると思い出すから。グレンロセスでよかった……」
エマの方からはテオフィルスがどんな表情をしているのか見えなかった。もしかしたら愁いているのかもしれない。
「そっか」
知らないでいい。知らないでおこう。
「おなかすいたね」
強張ったテオフィルスの手を握り返し、明るく笑う。
寮までもうすぐだ。




