Prologue 02
どれくらい気を失っていたのか。
次に目を開けたときには、天井の大穴から晴れた空が口を開けていた。
「痛っ……!」
頭がズキズキと痛む。
崩落した時に頭を打ったのだろう。
少年は痛みに耐えながら起き上がると、周囲を見渡した。
天井の穴から日光が漏れ、その光に反射して土埃がキラキラと舞っている。
穴はかなり広く、そのお陰か周りをよく見渡せた。
目に映ったのは、洞窟だった。
広い天然の洞窟だ。
ゴツゴツした岩盤で覆われた広い部屋で、直径百メートルほどのドーム状になっている。
四方に別の部屋へ続く通路も見えた。
地面には崩落した際に落ちてきた樹や腐葉土、礫岩などが散乱していて、ちょっとした山になっている。
「何が、どうなったんだ……?」
少年――マルスは、思い出せる限りのことを思い出そうとした。
あれは、そう。
確か、あの三人組を見返してやる為に、いつもの特訓をしていた頃だ。
そうしたら、背後でガサガサっと――
「そうだムカデ……ッ!」
彼は全てを思い出した。
あのムカデの魔物――センティピードから逃げるために、森の奥深くまで走って、なぜかわからないが地面が崩落し、今に至ったということを。
マルスは、そういえばムカデも一緒に落ちた事を思い出すと、警戒態勢を取りながら注意深く洞窟の中を見渡した。
「……」
いない。
どこにも見えない。
あの巨体だ、目立たないなんてことは無いはず。
それにあの赤色は、この腐葉土の上でもかなり目立つもののはずだ。
しかし、それなのにやつの姿は少年の目には映らなかった。
(どこに行ったんだ……?)
まさか、これの下敷きになってたりしないよな?
マルスは怪訝に眉をひそめると、今度は地面を徹底的に観察し始める。
湿った黒い土。
折れた木の枝。
落ちた枯葉。
大木の幹や根に、礫岩や蝸牛の殻等々。
見渡す限り、それらしきものは見えなかった。
「……いや、いない訳がない。
俺は確かに、一緒に落ちるところを見たんだ」
元々から諦めの悪い性格だったマルスは、それでも周囲を探して腐葉土の山の上を歩いた。
暫くそうしていると、半分だけ土に埋もれていた鉱石灯を見つけた。
かなり山の裾の方に流れていたらしく、掘り起こさずに済んだことに、若干の安堵の息を吐く。
と、すぐ側に何か赤い突起物が地面から生えていることに気がついた。
「これは……?」
もしや、センティピードの牙か。
もしくは足か。
埋もれているという事は、山の下敷きになった……ということだろうか?
山はざっと見繕っても数十トンはありそうだ。
あまりにも重くて動けないというのなら、敢えて掘り起こして危険を増やす理由はない。
マルスはそう判断すると、この洞窟からの脱出方法を模索し始めた。
「まず、この山の土を動かすのはナシだな。
ムカデが起きたら困るし」
同じ理由で、刺さっている大木を動かすのもナシ。
いや、そもそも天井が高すぎてここに落ちてる木材だけじゃ足りない。
……となれば。
「……やっぱり、踏破するしかねぇか」
マルスは四方の穴を睨みつけると、絶対にここから脱出してやると意気込んだ。
⚪⚫○●⚪⚫○●
――日本。
カタカタとキーを叩く音が聞こえる。
プルルルルと電話の着信音が鳴る。
いつもの騒々しい会社の音に、ふと一つの打撃と共に、私の意識は半覚醒する。
「おい、山田。
居眠りすんな。
あとここ、変換ミス。
ったく、何回言えば気が済むんだお前は……。
ちゃんと直して持ってこいよ、山田」
むくりと体を起こすと、上司の無慈悲な宣告が、私のデスクに積まれる紙と共に告げられる。
(ああ……やってられない……)
眠い……。
煩い……。
仕事多い……。
早く家に帰りたい……。
もうどれくらい徹夜してたっけ?
みーちゃん、ちゃんとご飯食べさせてもらってるかな……。
頭に浮かぶのは、アパートに残してきた飼い猫の事だった。
実家を出て一人暮らしする時に連れてきた猫のみーちゃん。
雑種だけど、とてもかわいい私の癒やし。
はぁ……。
動きたくない、働きたくない。
でも早くしないとまた怒られる……。
せめて、せめて来世があるなら、私は趣味に没頭できるだけの財力のある家に生まれて……それで、趣味で暮らしていくんだ。
ノルマなんてない。
仕事なんてない。
自由に生きる。
そんな妄想を頭の中で繰り広げながら、私は積まれた紙束に手を伸ばす。
「……あれ?」
しかし、その伸ばした腕は痙攣した様に震え、私の意志に反して動かなくなった。
それとほぼ同時に、ぐわんぐわんと揺れるような、まるで船酔いのような感覚に襲われる。
何……これ……。
耳鳴りがする。
吐き気がする。
視界がチカチカと点滅する。
そして、私の体は積まれた書類を薙ぎ倒しながら、床へと突っ伏すのだった。
……ああ、これが過労死というやつか。
最後にみーちゃんに会いたかった……。
そんな感慨にふける暇すら、天は与えてはくれなかった。
⚪⚫○●⚪⚫○●
しばらくの浮遊感の後、私は気がつくと布団の中にいた。
ふかふかのお布団。
包まれるような優しさは、まるで母性が具現化でもしたかのように、私を優しく包み込んでくれる。
起きたくない。
正直、そんなことを考えていたが、そうも言っていられない。
私はゆっくりと身を起こすと、眠い目を擦って枕元の時計を探し――いつもなら煩い目覚し時計の叫び声が聞こえないことに気がついた。
「しまった、セットし忘れてた!?」
やばい、遅刻する!
今何時だ!?
私は急いでスマホを手に取り、時間を確認する。
『08:23』
完全に遅刻だ。
絶対あの人怒ってるぞ……。
朝から憂鬱な気分になってしまった私は、はぁ……と大きなため息を付きながら通知を確認する。
しかし驚いたことに、そこにあると思っていた大量の不在着信通知は一つも見当たらず、代わりに一件のメールだけが通知ボックスの中に転がっていた。
その題名はと言うと――
『おめでとうございます!抽選により、貴女を異世界へ招待しました!』
――なんだ、新手の詐欺か。
……どうせ遅刻なんだし、もう少しこの詐欺師に付き合ってあげてもいいだろう。
私はそう考えると、その通知をタップして詳細を開いた。
曰く、私はどうやら、抽選で異世界へ強制的に転生させられたらしい。
「随分と適当な詐欺だなぁ」
適当すぎてちょっと笑えてくる。
……もう、どれだけ笑っていなかったか。
そのメールによれば、私が転生させられたのは所謂『剣と魔法のファンタジー異世界』らしい。
転生先は魔女の名門リリウェル家の長女。
家族構成は父母の他に兄が一人。
メイドや執事も数十人という単位で居るらしい。
いったいどんな資産家だよ……。
私は乾いた笑いを浮かべながら、スマホをベッドの上に置いた。
すると、ふと視界の中に豪奢な天蓋付きベッドが見えた。
布団はワインレッドを貴重とした、金色の刺繍が施されたもので、天蓋も同じくワインレッドだった。
高いフットボードは重い焦げ茶色で、トランプの模様がデザインされている。
しかし、おかしいのは見えているベッドの構図である。
まるでそれは、自分が今使っている布団が、その豪奢なベッドであるかのような。そんな構図で――。
ふと、脳裏に先程の詐欺メールのタイトルが過った。
『おめでとうございます!抽選により、貴女を異世界へ招待しました!』
「まさか……!」
私はスマホを持ち上げると、ステータスバーを確認した。
するとそこには予想通り『圏外』の文字が並んでいた。
「マジですか……」
となると、あれは詐欺メールなんかじゃなくて、まさか本当に……?
私はそう思い返すと、再びメールの詳細を確認した。
それによると、この世界は『剣と魔法のファンタジー世界』らしく、この世界には魔法があり、剣があり、魔物がいて、魔族もいるようだった。
『この世界に関する重要設定資料集』と書かれたリンクがメールに添付されていたので、そこから調べたのだ。
そしてさらにメールを読み進めてみると、私が転生した先はどうやらかなりのお金持ち……というより、貴族だった。
魔女という魔法の専門家みたいな職業に就く人達を多く輩出してきたいわゆる名門貴族とかいうやつらしく、この世界において魔法を使えるのは悪魔、もしくは悪魔と契約した人間の女性(=魔女)のみらしい。
「なるほど……。
ということは魔法を使うためには、私は悪魔と契約しなければならないということか……」
そして、私の転生先は魔女の名門。
「魔法……使ってみたいなぁ」
そうすれば、あの山のような書類だって一瞬で終わらせてみせるのに……って、もう死んでるから会社なんて行かなくてもいいんだっけ。
私はそう呟くと、再びベッドの上に寝転がった。
28年……。
短い人生だったけど、お陰でこんな世界に来れたんだ。
次からはもっと楽しく、趣味に全力で生きよう。
そして、徹底的に楽をして生きていこう。
私はそう決意すると、不意に鳴らされるノックの音に驚いてその場を飛び跳ねるのだった。