後悔する前に……(作:梨香)
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あの妙な店に入ったのは、土曜のデートがドタキャンされたからだ。『黒猫貴重品店』なんて、ふざけた名前の怪しげな店に、普段なら入ったりしない。それに、まぁ猫は好きだから、何か猫グッズでもあれば、買っても良いかもしれないと思ったのだ。
ガラン、ガランとドアチャイムが鳴り、店の中に入った。黒猫貴重品店の中には、何に使うのか、誰が買うのか理解できない品が所狭しと並べてあった。
店内を一周したら出て行こうと思っていたのだが、一つの品物が興味を引いた。
「黒猫貴品店特薦商品「夢見乃枕」って何だろう?」
私はその夢見乃枕を手にとって、説明書きをじっくりと読んだ。
「疲れた頭と首を適切な角度でしっかりと支え、肩への負担も少なく寝返りを打つのも楽々です……良いかもしれない」
今回は悠介の方からドタキャンされたけど、いつもは仕事が忙しくて私がキャンセルする方が多かった。今の部署は遣り甲斐があるとは聞こえが良いが、いつも忙しくて休日出勤やサービス残業も多い。このところストレスから寝つきも悪いことも増え、朝起きた時から疲れているなんて事もザラなのだ。
何となく悠介との間に距離を感じるのも、寝不足や疲れが溜まっているからかもしれないと、私は少し胡散臭さは感じていたが、その夢見乃枕をレジに持って行った。
「これ下さい」
レジにいた店主らしき年齢不詳の男に夢見乃枕を差し出した。
「これは黒猫貴重品店特製の夢見乃枕をお買い上げ、ありがとうございます。説明書をよく読んでお使いください。一万円になります」
枕とは思えない金額に、ちょっと買うのを止めようかと思ったが、私は見栄っ張りなのだ。それに近頃では特注の個人枕を作る意識高い系の人も居てるのに、一万円で引き下がるのも恥ずかしい。
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部屋に帰って箱に入っていた説明書を読んでみる。
「なになに、夢見乃枕ルール? 枕なのにルール? 変なの……1・とてもよく眠れます。それは良いわ!」
よく眠れる枕だから買ったのだ。
「2・この枕の品質を保つためにこまめに天日干しをしてください。まぁ、清潔に使いたいから、これは良し……
3・この枕をご使用していただくと必ず夢を見ることができます。???何??」
夢見乃枕とは書いてあったけど、安眠枕のキャッチコピーかなんかだと思っていた私は、ちょっと怪しく感じた。
「4・この枕をご使用中に見た夢は起きたあとも忘れることがありません。って事は、夢を覚えているの?」
楽しい夢なら覚えていたいけど、嫌な夢ならとうなんだろう? それは商品の欠点なのではないか? とまで考えて「馬鹿馬鹿しい!」と自分を笑った。
こんな怪しい説明書を真面目に読んで、それにあれこれ文句を付けているなんて、かなり変な女だ。それでも、あと少しだけある説明書を読み続けた。チェックミスは仕事では許されない! こんな所も、上司に体良く使われる理由なのかもしれない。
「5・この枕は自分が望んだ夢を見るためのものではありません。何なの! 嫌な夢でも覚えているの?」
初めから悪夢を見るものだと思って、あれこれ考えらのも仕事でのリスク回避を常に考えている癖だ。そう、悠介との関係を一歩進めるのを躊躇しているのも、その私の慎重過ぎる考え方からかもしれない。少し反省する。
「これで最後ね。6・この枕を何日にも連続使用するのはお辞めください。ええっ、毎日使えない枕って何なんだよ! この枕、返しに行こうかなぁ?」
枕は日常品だ。それが毎日使えないだなんて、とんだ欠陥品じゃないか! と腹が立ってきた。
「馬鹿みたい! こんな怪しげな説明書をまともに受け止めなくても良いのに……それより、悠介にラインしよう!」
今日は悠介からのドタキャンだけど、このところ私がキャンセルしていた。一度、キャンセルされて、どれほどがっかりするか思い知ったので、悠介にもっと密に連絡しようとラインを送った。
デートが無くなって早く帰宅したので、ゆっくりとお風呂に入ってからスマホをチェックする。当然、悠介からドタキャンのお詫びラインが来ていると思っていた。日曜に会おうとか言い出しているかも?
「ちょっと……既読が付いていないんだけど……」
返信どころか、既読すら付いていない。
「もしかして、本当に忙しくてラインのチェックもできないの?」
昼の待ち合わせ時間ギリギリにドタキャンされた時のラインを読み直す。
『ごめん! 本当にごめん! 急に行けなくなりました。今は忙しいから、後で』
これが私が書いたラインなら、仕事で侵入社員がミスしたのが発覚し、土日返上で尻拭いしているのだろうと思うところだ。でも、悠介の職場はのんびりしているというか、緊急事態など今まで無かったのだ。
「もしかして、リアが忙しいの?」
ついつい自分の生活に当てはめて、仕事でドタキャンだとばかり考えていたが、悠介はそこまで仕事人間ではない。そこら辺も、もう一段階関係を深めるのを二度足踏ませるあたりなのだ。
「マッサージも済ませたし、今日は早めに寝よう! こんな風に既読が付くのをずっと待っていても仕方ないよ」
仕事が忙しいからとお肌の手入れもさぼりがちだった。今夜は、マッサージを済ませ、高級なクリームを塗って、買ったばかりの夢見乃枕に頭を乗せた。
「できたら、良い夢だといいなぁ……」
寝付きの悪い私なのに、あっという間に眠りが訪れる。意識を手放しながら、よく眠れるのは間違いじゃ無かったと満足したのを覚えている。
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これは夢だ! 自分で分かる時がある。夢見乃枕が見せた夢だと分かっていた。
ウエディング姿の可愛い花嫁さんは、私の見知らぬ人だった。周りには友だちらしきキャピキャピした女の子が祝福の声を掛けている。
「何だかなぁ……あの子たちが本気でお祝いしている気がしないんだけど……花嫁さんを祝福している私って性格良いでしょアピールしているような」
どう見ても私より五歳は若そうな女の子達と自分との接点が分からず、夢の中で私は居心地が悪くしていた。年齢だけでなく、私の友だちには居ない甘くて歯が痛くなりそうな喋り方をするタイプ。
「新入社員の誰かが結婚したのかな?」などと、夢の中で冷静な判断を下し、きっとお祝いをしたのだから元を取ろうとシャンパンを飲みにバーカウンターへ向かった。そこで私は、何人かの悠介の知り合いに会う。
「えっ、美嘉ちゃん、来ていたの?」
「悠介ったら、元彼を呼ぶかなぁ」
この結婚式が誰のか瞬時に分かった。悠介のだ! 私を振って、見知らぬ若い女の子と結婚するのだ。ここでショックを受けたのを気づかれたら、一生の恥だ。
「悠介とは良い友だちだから」
格好付けてシャンパンをぐいと飲み干した。そこからの結婚式、披露宴は拷問のようだった。
ふわふわ砂糖菓子のようなウエディングドレスを着た彼女は、きっとキリスト教徒でもないのにチャペルウエディングを選んでいた。
悠介なら、絶対チャペルウエディングは選ばない。少なくとも私と結婚するなら……なんて、未練たらたらだ。
「この結婚に異議がある人は申し出て下さい」神父さんが片言の日本語で宣言した。
これは夢だ。だから「異議あり!」と言って、悠介の手を取って結婚式場の明るいチャペルから逃げ出したいと思った。
でも、私は沈黙を保った。何処までも見栄っ張りなのだ。もし、異議ありと言って、悠介が私を選ばなかったら? リスク回避が身についている私は、口を閉じたまま悠介が他の女の子と結婚するのを見ていた。
披露宴は、若い女の子の妙に上手すぎる歌や、悠介の友だちの失敗話の暴露などで盛り上がっていたが、私はこれ以上は無理だと途中退席した。
披露宴会場の外に出た途端、私は赤い絨毯の上で泣き崩れた。
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「悠介! 悠介の馬鹿!」
私は自分の怒鳴り声で目が覚めた。頬には涙が流れ続けていた。
この夢見乃枕、ぐっすり眠れるのは間違いないし、夢を覚えているのも本当だ。
「これって正夢なの? 説明書にはそんなこと書いて無かったよね」
私は昨夜もきちんと読んだ説明書をもう一度読み直す。
「1. 2. 3.は良いのよ! 4・この枕をご使用中に見た夢は起きたあとも忘れることがありません。5・この枕は自分が望んだ夢を見るためのものではありません……って事は、正夢では無いよね!」
私は心の奥底からホッとした。悠介のことをあれほど愛しているとは知らなかった。人に取られて惜しくなったわけじゃない。
「悠介に謝らなきゃ!」
これまでデートより仕事を優先した事や、親に会ってくれと言われたのを渋っていた事など、自分勝手な態度を反省した。
スマホを開くとラインに既読がついていた。そして『叔父さんになったよ!』と産まれたばかりの甥と悠介の写真が送られていた。くどくどと、姉が急に産気づいたのに義兄が生憎留守でとか言い訳が延々と書いてあった。
「馬鹿! 怒ってないよ」
私は『おめでとう! 新米叔父さんに、今すぐ会いたい!』と返信した。
涙に濡れた夢見乃枕を説明書の通り日干しして、私は悠介とのデートに向かった。
おしまい