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ELEMENT2018春  作者: ELEMENTメンバー
想像の翼
10/11

黒猫貴品店特薦商品・夢見乃枕 祥子の場合(作:更松)


「今回の成功は藤原くんの活躍が大きい」

 満面の笑顔で部長が私を労うと、周りにいた同僚たちも私に拍手をした。

 称賛と賛辞の中、私はそれに応えるように自信に満ちた仮面をかぶり、心の中で安堵と落胆の混じるため息をついた。周囲にバレないように。

 

 人は中身が大事。人は見た目ではない。という人がいる。だけど、あれはうそだと思う。見た目から生まれるイメージはとても強いと思う。

 女性としては高い身長、どちらかと言えばハスキーでよく通る声に、少し冷たい印象を与える切れ長の目。

 自信がなくたって、あるように見えてしまうのか、学生の頃から望んでもいないのに役職を任されることが多かった。もちろん、与えられたからにはやるけど、別に進んでやりたかったわけじゃない。

 就職したら大人しくしていよう。あんまり目立たないようにして、好きなことをして楽しく暮らそう。それが私の人生設計だった。

「いや、藤原くんがうちに来てくれて本当によかったよ」

「は、はい、ありがとうございます」

 部長の言葉に思わず苦笑いになる。

 大人しくしているはずだった私の人生プランはうまくいかなかった。

 入社してやれと言われてやった初めての企画が通り、思いがけない成果を上げてしまったのだ。大人しく陰に隠れるはずが逆に注目を浴びることになった。

 今では、同期の女性社員と大きく溝をあけ、私の年齢では考えられないようなポジションに席を置いている。世間でいうところの勝ち組というやつだ。

「ああ、私も祥子先輩みたいになりたいですぅ!」

 後輩の本庄美咲が目を輝かせながら私の手を握る。

 美咲は二年後輩で年齢も二つ下だが、二つ下とは思えないほど童顔で、背も小さくて可愛らしい。

「本庄、お前が藤原さんみたくなれるはずないだろう? そのドジっ子属性を何とかしてから言えよな」

 美咲の後ろから男性社員のツッコミに、ドッと笑いが起きた。

「もう、ドジっ子じゃありません!」

 美咲が膨れて抗議をすると、それでまた笑い声が起きた。美咲は仲間内ではムードメーカー的な存在だ。仕事に直結していなくても、ここにはなくてはならない存在だ。

 美咲の後ろで唇をかみながら彼女のことを見つめていた。


「先輩、本当に行かないんですか?」

 打ち上げが一段落して、みんなはそのままのみんな二次会でカラオケに行くという。私はその列からソッと離れて、部長に挨拶をしていると、目ざとく美咲が私のもとに駆け寄ってきた。

「ええ、今日はこれで帰るわ」

「ええっ! そんなぁ」

 オーバーアクションで肩を落とし、がっかりした顔を見せる美咲に私は「かわりに楽しんできて」と言って笑顔で別れた。

 私は美咲たちから離れると、まっすぐ家に向かった。

 マンションでの一人暮らし。私は玄関を開けると電気をつける。手にしていた荷物を落とすようにその場に置く。

 黒と白を基調としたシックな雰囲気の玄関、それほど広くはないがシンプルでかざりっけのないリビングを足早に抜け、私は寝室の前に直行した。

 ドアを開けると、カーテンもベッドも世界が変わったようにピンク一色。私はこのピンクの部屋で待っていた栗毛色の巨大なクマのぬいぐるみに勢いよく抱き着いた。

「ただいま、ランドルフ」

 私はクマのランドルフのモコモコの胸に顔をうずめながら、自分で彼の手を取り、頭をポンポンしてもらった。

 ああ、落ち着く……。

 私はランドルフの頭ポンポンにとろけそうになった。至福の時だ。

「疲れちゃったよぉ、ランドルフ~」

「祥子は今日もよく頑張ったねぇ、えらいぞ。よしよし」

 私は自分でランドルフのセリフも言って、癒しの時間を堪能する。至福すぎてよだれが出て来てしまう。

 モフモフのランドルフのふわふわな手とお腹が最高だ。

 ふと、視線を上げるとクマのぬいぐるみに抱き着き、甘えている自分の姿が鏡に映っていてゾッとした。

 クマのぬいぐるみを抱きながらニヤけているキャリアウーマンの姿がなんとも痛々しい。けれどこのピンクの部屋とクマのランドルフを抱いている姿が本当の私なのだ。

 自分がこういうイメージでないことはわかっている、自分でも変だと思ってしまうくらいだから。

 もっと背だって小さくて、童顔で、可愛らしい感じだったら、よかった……例えば、そう、美咲みたいな感じ。そして、あんな感じでみんなに可愛がられる存在になりたかったのだ。

 可愛らしい部屋、服、小物、ぬいぐるみとか、そういうのが好き。でも、どうして現実の私はそういうイメージからかけ離れた印象を持たれてしまう。

 それも強制的に、押し付けられるように。

 私は周囲の作るイメージに応えるようにしている。私の気持ちはともかくその方がうまくいくからだ。うまくはいくけど、窮屈に感じることある。

 今までは可愛くて頼りになるランドルフに大きな手で頭ポンポンしてもらうことで心を癒していた。

 そう、三か月前までは……。


   ★


 三か月前。

その日は休日だったということもあって、私は少しだけ遠出をして、いつもは行かない商店街に買い物に出かけることにした。

 初めてやってきたその通りで私はそのお店を見つけたのだった。

【黒猫貴品店】

 厚い金属プレートに猫のシルエットと一緒に字が抜かれた看板と洒落た赤い扉は、アニメなんかに出てきそうなアンティークショップみたいだ。何だか、店の奥から、魔法が使える小学生の女の子でも飛び出して来そうな雰囲気がする。

 こんなところに、こんな可愛らしいお店があったなんて、すごい発見!

 私が興奮しながら黒猫貴品店のドアを開くとカランと月と猫をモチーフにしたドアベルが鳴った。

「……?」

 店内に一歩入った瞬間、私は別世界に吸い込まれたみたいな気がした。

 温かみのある灯が揺れるみたいな照明に、年季を感じさせる木製の商品棚やカウンター。店内全体が暖色系を基調としていて、なんとなく安心感を抱かせる。初めてきたにも関わらず不思議と肩の力が抜けていく感じがした。落ち着いた木と古い本の匂いの中にさまざまな商品がアート作品を展示すみたいにセンスよく陳列されている。

 ルビー色の炎が揺れるランタン。

 宙に浮かびそうな豪華な絨毯。

 目を疑うほど透明感のあるガラスのハイヒール。

 そんな心躍るような商品の隣には、丸々太った猫の形をした金魚鉢があり、金魚が一匹ユラリと尾ひれを揺らしている。

 店の奥には、右手側に書籍コーナー。左奥の木製のカウンターの上にはレトロな赤いレジが置かれ、その横でこの店の雰囲気にぴったりな感じの黒猫が「雪融けの季節-孤独な狼と盲の兎姫-」というタイトルの本を枕に昼寝をしていた。

「いらっしゃいませ!」

「えっ……」

 私が黒猫に触ろうと手を伸ばそうとしていると、後ろから元気よく声をかけられた。私は思わず手を引っ込め、瞬時に姿勢を正し、ニヤけていた顔をキリリと改めてから振り向いた。

見れば、漆黒の長い髪と大きな瞳、黒いドレスが印象的な女の子が笑顔を向けながら立っていた。

 見た目だけならまだ十代? でも女の私から見てもドキリとするような、妖艶さ、色っぽさがある。私は一瞬、彼女の白くて細い指で心臓をつかまれてしまったのかと思ったほど息を飲んだ。

「ゆっくり見て行ってくださいね!」

「え、ええ……」

 息を飲んだのは本当に一瞬だけだった。元気いっぱいの接客で、第一印象からのギャップがすごい。

 最初に色っぽさを感じたけどよく見れば、別にセクシーな服装でもないし、身に着けているアクサセサリーも猫をモチーフにした私好みの可愛い系ばかり。色白で猫みたいに目が大きく、小柄な彼女の印象にピッタリだ。

 黒い彼女は子猫のような動きで店内を歩き回り私を案内してくれる。

「当店のおススメはこちらの極光オーロラ! ちょっとした贈り物にもいいし、自分で楽しむのもいい感じ。産地直送の天然ものだし、今回は特別に希少価値の高い紫色が入荷していますよ! 薄暗くした部屋に浮かべたりして恋人と一緒に見上げたりしたら最高に盛り上がれるかも!」

 彼女は棚に置かれた紫色の光がゆらめく瓶を薦めてくれた。

 天然物のオーロラ……。へえ、オーロラって初めて見た……確かにキレイだけど、これってどうやって採るんだろう?

 私はオーロラの入った少しひんやりとした瓶を手に取り、中を覗き込む。

 紫色のオーロラが、花が咲くみたいに放射状に揺れている。

 すごくキレイだけど……黒い彼女の「恋人と一緒に見上げたりしたら」という売り文句が気になった。

 私、彼氏とかいないし。

ずん、と気持ち暗くなる。せっかくの幻想的な気持ちから現実に戻されるようで一気にテンションが落ちる。

「あっ! そうだ、もう一つおススメの新商品があるんだった!」

「えっ?」

 テンションだだ下がりの私の様子を察してか、彼女は私の手からひょいとオーロラ瓶を取り上げると、今度は【特薦商品】と書かれた棚の前で手を広げる。

「こちら新入荷でおススメ商品!」

「おススメ……?」

 その特薦商品はたった一つ。

 たった一つだけ商品棚に置かれていた。

「夢見乃枕?」

 と、書かれたそれは、文字通り枕だ。それ以外には見えない。

 見ただけでわかるような上等な赤い生地、絵本にでも出てくるかのような絶妙な膨らみを持つその枕の縁は金糸で彩られ、真ん中にはランドルフ見たいなクマとそれに寄り添うように眠る白い猫と小さなヨークシャーテリアの刺繍がされている。

 枕としては少々派手。

 私のあの部屋ではうまく溶け込んでくれそうだけど……。でも枕なんて、別に眠れないとかで困っているわけじゃないし……。

「ささっ、どうぞ手に取って、じかに触れて、感触を確かめてください。何せ特薦商品なんですから」

 私は言われるまま枕を手渡される。ベロアのような感触としっかりと中身の詰まった重みが伝わってくる。

「……?」

 その時だった。

 私の脳裏にこの枕が部屋のベッドにあり、毎晩楽しみにしながら眠りにつこうとしている姿が頭に浮かんだ。

 私はこの枕を使って、眠り、夢を見る。ただそれだけの一瞬の妄想のはずなのに、私はこの枕に意識を吸い込まれるような愛着を感じた。

「この枕は当店が特別契約した最高の職人の手により作り出された最高級枕。眠り心地も最高、ご使用いただければ必ず深い眠りと素敵な夢に満足していただける……」

 黒い彼女の声が、どこか遠い感じがする。

 いや、彼女の声は聞こえているんだ。他の音、お店の外の雑踏や車の音、店内のわずかな音はもっと遠ざかっていってまるで耳に入ってこない。

 少し重みのある色鮮やかな枕。

 視界にあるのはそれだけ。

 枕と私。

 私の世界にあるのはそれだけ。

 他には何もない……そんな感じ。

「この枕で見た夢は……」

「はい……」 

 黒い彼女の説明に私は夢の中から返事をするようなぼんやりとした感覚の中でやっとのこと声を漏らす。

 返事をするのが億劫だ。今はこの枕……。

 ああ……この枕……ほしい……。

「にゃは!」

「えっ?」

 黒い彼女の弾むような声で私はハッとした。私はいつの間にか、ぬいぐるみでも抱きしめるように枕を抱きしめていた。

 私が相当惚けた顔をしていたのか、黒い彼女はニヤニヤと笑みを浮かべていた。

「あ、えっと、その……この枕、ください」

「毎度あり!」


   ☆


 この枕にはルールがある。

 枕のものとは思えないほど豪華な箱の中にしっかりとした取り扱い説明書が入っていた。それにこのように書いてある。

   ※※※

この枕の品質を保つためにこまめに天日干しをしてください。

 この枕をご使用していただくと必ず夢を見ることができます。

 この枕をご使用中に見た夢は起きたあとも忘れることがありません。

 この枕は自分が望んだ夢を見るためのものではありません。

 この枕を何日にも連続使用するのはお辞めください。

   ※※※

 使い始めてすでに三か月が経っていた。あの黒い彼女が言って通り、確かにこの枕は普通の枕とは違う。

 まず、不思議なほどよく眠れる。

 頭を乗せると枕に吸い込まれるような感覚で、まさに落ちるように寝てしまう。

 そして必ずかなり鮮明な夢を見る。その内容は起きたあとでも忘れることがない。

 ある時は、どこか海外の綺麗なビーチを散歩して波の音を聞きながらゆっくりと過ごしたり、猫を助けようとして異世界に行ったりして、そこで色々な旅をした。

 私の姿のままの時もあれば、子供だったり、男性だったり、動物だったり……立場、役職も 様々だ。現実的だったり、幻想的だったり、その内容は日によって全く違う。

 私は次第に眠るのが楽しみになり、せっかく見た夢の記録をつけるまでになっていた。今ではできるだけ早く帰り、ランドルフと一緒にこの枕で寝るのが最高の楽しみだ。

 この枕を使い始めて気が付いたことがある。それは、この枕に書かれた説明についてだ。説明の中に、 

   ※※※

 この枕は自分が望んだ夢を見るためのものではありません。

   ※※※

と書かれている。どうやらこれは「最初の夢は」ということらしい。記録をつけていて気がついた。何も考えずにこの枕を使うと、新しい夢を見る。それは新しい本や漫画読むみたいにその夢の第一話を見るのだ。

 その第一話は選ぶことができない。でも、一度でも見た夢に関しては、その夢の続きを見ることができるということがわかった。

 ただ夢の続きを見ることはできても、夢の中で自分がこうなってほしい、ということがそのまま叶うわけでもないらしい。

 ここら辺も「自分の望んだ夢を見るためのものではない」ということらしい。

 それにもう一点気が付いたことがある。それはこの

   ※※※

 この枕を何日にも連続使用するのはお辞めください。

   ※※※

 という点だ。

 どうして毎日使用してはいけないのだろう? できれば毎日使いたい……この文章がなかったら間違いなくそれまで使っていた枕を捨ててしまったに違いない。

 私はこの三か月の間に、何日間か枕を連続して使う実験もしてみた。

 三日ぐらいなら特別な変化はない。四日目ぐらいから変化が現れ始める。夢がより鮮明になってくるのだ。

 五日目になると、それは急にリアルに、はっきりとした形になってくる。

 六日目になるとまるで夢が現実なのではないかと思うほどに迫ってくるのだ。

 これは、何だかヤバい。

 直感的にそう思った。

 夢と現実がわからなくなるかもしれない。

 起きたあとも、寝過ごした朝に時計の指す針が理解できないみたいな感じになった。

 信じられないようなことだけど、たぶんこれが連続して使ってはいけない理由だ。

 夢と現実の区別がつかなくなる。たぶん七日連続で使えば、かなり危険だと思う。

 でも、これも二、三日使わなければ元の状態に戻るということがわかった。たぶんだけど説明書通り【連続】で使わなければ問題ない。今では一週間の内、平日の五日間だけ枕を使い、土日はルールにしたがい、枕を干すことにした。 

 本当は打ち上げとか飲み会とか、そういうものを全部断って、すぐに家に帰って、すぐに寝たかった。

 私は三か月の間に色々な夢を見たけど、すでにお気に入りの夢を見つけていたからだ。ここ最近は、枕を使える時にはその夢ばかり見るようにしている。

「ふふ、さあ、早く寝ようっと!」


   ☆夢


 夢。

「えーと……」

 私はまるで寝起きのような少しぼんやりした頭で記憶をたどる。

 私は夢を見る時の規則を作っていた。

 私の名前は、藤原祥子……。

 それはどんな姿になっても、自分の名前を確認するということ。つまり夢を自覚するということだ。こうしておけば、夢と現実の区別が付かなることもないのではないかと思ったからだ。

「いけない、早く行かなきゃ!」

 このお気に入りの夢の中でも、私はとある会社に勤めるOLだった。

 状況だけで言えばたぶん現実の私とそれほど変わらない。

 違う点と言えば、声とか背とか小さくて、どちらかと言えば仕事もあまり器用にこなしていないと言う点だった。

 時間に余裕があるはずなのに、なぜかギリギリになってしまったり、満員電車の降りる人の波に流され、目的の駅ではない場所で出されてしまったり、ちょっと不器用で、初めての場所に連れてこられた子犬みたいに「あわあわ」してしまったりする。

 今日もなぜかうまく操作できないパソコンを前に四苦八苦して、仕事がなかなか進んでくれない。

 なんでもないことのはずなのに、なぜかわからないし、できなかったりするのだ。

 たぶん、この私はこういうのが苦手なのだと思う。

 この会社に入社したばかりの私の右隣には教育係として仕事を教えてくれる先輩がいる。

 何だかいつも眠そうで、ダルそうで、言葉数も少ない。ひだまりの中にいた猫を無理やり連れてきたみたいに不機嫌そうな顔で、デスクに座っている。でも、私やることを気にかけてくれているし、困ったら助けてもくれる。ちょっとだけ不愛想だけど頼りになる先輩。そんな感じ。「しょうがないなぁ」と言う顔をしながらも私に色々と教えてくれるし、ほんのたまにだけど褒めてくれたりもする。

 夢の中の私はそれが本当にうれしい。

 こういう先輩がいて、褒めてくれて……こういう立場に私はなりかたかったのだ。


  ★現実


 枕の効果はそれだけじゃなかった。

 良い睡眠、休息は現実世界にも影響を及ぼした。私は夢の中のダメな後輩OLと反比例するように現実世界の仕事では成果を上げていた。

「はあぁ、またやってしまいました。私ってどうしてこう失敗ばかりしてしまうんでしょう?」

 私のとなりで美咲がデスクに突っ伏している。

 どうやら取引先の人にお茶を出そうとして、つまずいてひっくり返したらしい。上司からは怒られたようだが、相手の人は笑顔で許してくれたという。

 美咲の雰囲気がそうさせたに違いない。

 私ではきっとそうはいかない……。凄く意外そうな顔をされるか、もしくは逆にフォローされるとか、ミスをミスでなかったかのようにされてしまうかもしれない。

 私はそういうのが苦手なんだ。

 でも、もしかしたら、夢の中のあの私なら……。

「……バカね」

 こんな時にまで夢のことを考えている。

 夢は夢。

 現実とは区別しなくてはいけない。私が生きているのは現実世界なのだから。

「藤原君、ちょっといいかね」

「はい」

 突然部長に呼ばれ、私は席を立った。手招きされ、そのまま会議室に案内される。

 行った先には部長を初め、数名の上役たちが私のことを待っていた。圧迫感のある視線が注がれ、私は緊張して背筋が自然に伸びるのを感じた。

 えっ、私、何かした?

「君が藤原君かね?」

「はい」

 右端に座っていた白髪交じりの男性が言った。逆光のせいか表情がよく見えない。私が短く返事をすると、その男性は続けて「噂は聞いているよ。なかなかのキレものらしいね」。

「いえ、そんな……」

 声色は好意的な感じだ。

 私は少しだけ安心する。

 でも、どうして私は呼ばれたの? 

考えを巡らせていると、私の思考よりも早く今度は部長の方から声をかけられた。

「今度から君には新しいプロジェクトを任せたいと思っていてね……」

「えっ?」

 話の内容はこうだった。

 この会社で以前から進められていた女性向け企画を、前任者から引き継ぐ形で私に任せたい……。


   ☆夢


 私の名前は、うん、藤原祥子……。

 私は苦手なパソコンの前で固まっていた。ちらりと右隣の先輩を見ると、直し切っていない寝ぐせ頭を掻きながらあくびをしている。

「あ、あの、宮崎さん、教えてもらってもいいですか?」

 口から出た名前に私はハッとする。

 そう、宮崎……彼の名は宮崎さんだ。この夢の内容や彼の顔は起きたあとでも思い浮かんでくるのに、名前は忘れてしまう。名前はこの夢に来た時にしか思い出せない。

 ああ、忘れたくない。夢から覚めたあとでも名前を憶えておきたい。

 起きたあとにすぐに書きとめようとしてもいつも忘れている。

 彼は「ああ、どこ?」と言って私がパソコンを覗き込む。私は縮こまり、さっきよりも小さな声になって「ここです」と言った。

「ああ、これはこうして……」

 彼は難なく私が問題にしていたことを解決してしまう。

 そして何事もなかったように自分の仕事に戻ってしまう宮崎さんに私はため息を漏らすのだった。


   ★現実


 私は美咲をはじめとした数名の見知ったメンバーを指名して、任された仕事に取りかかることになった。

「私なんか、本当によかったんですか?」

「もちろんよ。期待している」

 私の言葉に美咲は嬉しそうに笑う。

 美咲は確かにヘマをすることもあるけど、それが大きなミスにつながることは今までなかったし、彼女はムードメーカーになる。彼女はいるだけで意味があるのだ。

 私たちの仕事はいきなり余裕のない状態から始まった。というのも前任者が残していたものは多くの問題を抱えていたからだ。

 私たちは仕事に取りかかって、初めてそのことに気がついたのだった。

 私の生活は一変した。

 チームの指揮をとりながらも、最後まで会社に残る日が何日も続くことになった。


   ☆夢


 私の名前、えっと、そう藤原祥子だ……。

 彼が会社から出て行こうとしているのを目に止め、私は慌てて荷物をまとめてあとを追った。

 今日は声をかけよう。いつもと同じ決意を胸にエントランスまで来て彼から少し離れたところで立ち止まった。

 雨だ。外は雨が降っている。

 彼は傘を持っていなかった。

 私はピンクの折り畳み傘をギュッと胸の前で握りしめた。

 チャンスだ。雨で、傘がなくて、私は傘を持っている、話かけるチャンスだ。少なくとも駅までは、一緒に帰れる……はず。

 あとはタイミングだけ。

 私は深呼吸をした。現実世界で、後輩の女の子などに傘に入れてもらうことがあったけど、自分から行ったことはない。

 大丈夫、絶対変じゃないから、大丈夫……だと思う……。

 私がそんな風に悩んでいると彼は意を決したのか、雨の中を走って行ってしまった。

 たぶん近くのコンビニに行ったに違いない。行先はわかっている、でも、今の私には追えなかった。


   ★現実


 たまり込んだ仕事は思った以上に多く、私がやらなくてはいけない役割も仕事も予想以上だった。

 私は人を使う立場に慣れていない。

結果、私は多くの仕事を自分で抱え込む形になっていた。

「先輩大丈夫ですか? 私にできることがあれば言ってくださいね」

「うん、ありがとう」

 美咲に笑顔を返す。手伝ってほしい、けれど今は説明するのもまどろっこしい。今、現状を一番理解しているのは私だ。私が動くのが早い。私があと二人いれば……そんな考えが頭を何度もよぎる。

 大丈夫、大丈夫、問題なくこなしているはずだ。自分に言い聞かせる。

 たぶん今が山場だ。ここを乗り越えるまでの我慢だ。これを越えれば、落ち着けるはず。そうしたら、みんなに説明して、仕事をもっと分担して……。

「ああ、家に帰って寝たい……」

 それが最近の私の口癖だった。

 仕事が忙しくなるほど、あの夢が恋しくなる。

 あの枕で寝たい。

 枕を使う日は寝つきもよく目覚めも爽快だけど、使ってはいけない日の眠りはそれはひどいものだった。

 夜中まで何度も寝返りを繰り返し、浅い眠りにほんの少しだけ沈む。

枕を使わない次の日は気をつけていけなくてはいけない。しなくてもいいようなミスやど忘れをしてしまう。


   ☆夢


 枕使用六日目。

えっと私の名前は……小林……じゃなかった、そうだ、藤原祥子だ! 

 天気予報は晴れ。

 どうして、晴れ?

「ああ……」

 あの時、チャンスだったのに。私は明るい声で明日の天気を告げるテレビの前で独りうなだれる。

 雨で、傘を忘れてて、困っていて、周りに人がいなくてって、最高のチャンスだったのに……!ああ、もうこんなチャンス二度とないかも……。

「あわわ、二度とないはダメ!」

 私は自分で言って慌てて自分の言葉を否定する。本当に二度となかったら大変だ。

 私は折り畳み傘を常に持っていることにした。ちょっと重いけど、また同じようなチャンスが来るかもしれない。

 次は、次こそは……


   ★現実


「先輩、申し訳ありません!」

「えっ?」

 その日は、美咲の泣きそうな顔で始まった。美咲に頼んでおいた発注に手違いがあり、納品の期日がズレた。

今日来るべきものが来ない。

「どうするんだよ? いくらなんでもあれがなかったら、話にならないじゃないか」

 周囲から攻められ、美咲は今にも泣きだしそうだ。

 私は唇をかんで時計を見た。

「間に合わない?」

 私はすっかり縮こまった美咲の姿に責任を感じていた。私がもっとしっかりしていれば、もっと確認していれば……。

 間に合わせないと。何としても間に合わせないと!

「メーカーに問い合わせて! 今日必要な分は今から取りに行くわ」

 私はざわついているみんなを制するように声を上げた。

「い、今からですか?」

「今からよ、事情を説明して向こうにも協力してもらう。とにかく急いで!」

 私の言葉に全員が難色を示した。それはそう。たぶん、私が同じ立場であれば、同じよう難しいとか、無理だとかいうだろう。

 でも、今は言えない。

「先輩……」

「美咲、一緒に来て。ミスはしょうがないわ、でもまだ間に合うかもしれない」

「は、はい!」

 どうしてうまくいったのか、どうやってやったのか、思い出そうと思っても思い出せない。その日最後、私の前で美咲は何度も何度も頭を下げて感謝の言葉を言ったあと「私、絶対、先輩みたいになります!」そう言った。私は仲間たちからの称賛にただただ安堵するばかりだった。

 今回もうまくできた。

 達成感よりも、強い疲労感に包まれながら、私は一人家に帰った。

 トラブルはあったけど、何とかなった。

身体も心も疲れ果てていた。もう何もしないで寝たい……。

「あの枕で……」

 私はランドルフに抱いてもらいながら、干してあったあの枕を見る。

 寝たい。あの枕で……。

 でも、もう六日連続で使ってしまっている。今日使えば、七日目だ。

 連続で使ってはいけない……。

 身体を横にしているのに、眠いはずなのに眠れそうもない。

 使いたい……あの枕で寝たい……。

 思考がぼやけてくる。私は心の中で枕を使うことに反対する自分に反論する。

 だって、すごく疲れているし。たぶん、他の枕じゃ、眠れないと思う。

 もう一人の私は背筋を伸ばし、まだ仕事場にいるかのような口調で私にはっきりと言う。

 連続で使ってはいけないと書いてあったし、連続で使ったら何が起きるかわからないのに?

 私は干してあった赤い枕を手に取り、黒猫貴品店で初めて枕を手にした時のように、ジッと見つめた。

 だって、今は眠らないと……。

 眠らないと明日にひびく。明日には明日の仕事が待っている。今日眠らないわけにはいかない。

 私の言い訳をもう一人の私は少しも許すつもりはないようだ。

 自分で作ったルールを破るの? あの時、感じた危険な感じを忘れたの? 今朝だってそうだったでしょう?

 確かにそう……。

 夢の中で自分の名前を忘れかけていた。

 でも……でも、まだ、六日以降使ったわけじゃないし、どうなるのかわからない。もう一度使っても何も起きないかもしれない。

 私は枕を抱きしめながらベッドに腰かける。枕を置けばすぐ眠れる。置いて横になるだけ、頭を乗せるだけ、乗せた瞬間、目を開けていることもできないほど深い眠りに落ちていく。わかっている。絶対、そうなる。

 そうしたら……あの人に逢える。私はあの人に褒めてもらいたい……。

 もう一人の私はもう何も言わなかった。


   ☆

 

 あれ……? 何か思い出さなくちゃいけないことがあったような……?

 外は雨が降っていた。

 そのことに気が付いて私はそわそわした。

 苦手な仕事がいつも以上に手が付かなくて、操作を間違って入力したデータを保存前に三回も消してしまった。

 昨日よりも勢いよく降る雨に、宮崎さんはエントランスで途方に暮れていた。

 雨足が思ったよりもある。たぶん、昨日みたいにこの雨の中を出ていこうとは思わないはずだ。

 思い切るんだ! 思い切れ私!

「宮崎さん!」

 名前を呼ばれ、宮崎さんは驚いた顔で振り返る。

「あ、あの、傘を持っていないんですよね、よかったらどうぞ!」

 自分でも聞き取れないぐらい早口で言って、ボクサーみたいにビュッと風を切って折りたたみ傘を差しだした。

「……いいよ」

「ど、どうしてですか!?」

「だって、それ、お前のだろ?」

「大丈夫です! 私は大丈夫ですから!」

 大丈夫を連呼して宮崎さんに傘を押し付けたので、宮崎さんは仕方なくピンクの傘を受け取ったけど、少し戸惑っているようだった。

ピンクの傘は彼が持つととても小さい。二人で入るには小さすぎるし、彼が一人で入るには少し可愛すぎる。

でも、できれば……。

「えっと。い、一緒に入れば」

 小声で希望を言ってみた。すると、宮崎さんは「うんまあ、そうだな。くっついて行けばいいか」って言った。

 もしも私がお金持ちの家にいそうな少しのんびりしたヨークシャーテリアの子犬だったら、ちぎれそうなくらいしっぽを振って彼の周りを走り回っていたに違いない。

 彼は、彼には似合わないピンクの小さな傘をポンとさすと雨に濡れないように私のことをそばに引き寄せた。

 ああ……。

 私は顔を熱くしながら、彼のとなりにいることに満足した。

「それにしても、よく傘持ってきたな。今朝は晴れていたじゃん?」

「私、いつも折りたたみ傘持っているんですよ。宮崎さん、昨日も傘持ってなかったですよね」

 なんでもない会話。

 ああ、幸せだなぁ……私は心の底からそう思った。


   ☆彡


 外は雨が降っていた。

 その雨の中を一組の男女が歩いていく。

 身長の高い少々不愛想な感じのする男性のとなりを小柄な子犬のように愛らしい感じの女性がくっついて歩いている。

 通りに面したカフェテラスには景色に溶け込む影のように席に座り、この店自慢の紅茶を楽しむ黒い彼女は頬を緩め「ふふ、ルールを破ってしまったのね」と言った。

ふとカップルの彼女の方がつまずき、転びそうになると、彼が咄嗟に彼女のことを支えた。彼女は顔を赤くしながらも嬉しそうに彼の顔を見上げるのだった。

 そんな二人の横を、書類を抱えた本庄美咲が忙しそうに走り抜けていく。

 美咲は二人に目もくれない。子犬のように愛らしい彼女もまた少しもその存在を気にすることはなかった。

「あなたは自分の殻を破れるかしら?」

 雨の中を走り去る美咲の背中を見ながら、黒い彼女は紅茶に香りの中で微笑んだ。


 おわり




 黒猫貴品店内で黒猫が怒られた時に乗っていた本「雪融けの季節-孤独な狼と盲の兎姫-」《https://ncode.syosetu.com/n1131ej/》は葵生りんさんの作品タイトルを使用させていただきました。

 ご協力ありがとうございました。

 未読の方は是非こちらの作品もお楽しみください。

 本作はELEMENT2017春号掲載・黒猫貴品店「幸福スイッチ」の裏事情の関連作品となっております。未読の方は是非、ELEMENT2017春号もご覧くださ《https://ncode.syosetu.com/n1719dx/》


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