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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

バレンタインの初恋

作者: シアン
掲載日:2017/07/20

 ────オワリ────





 がやがやと耳につく雑踏。たくさんの知らない人たちの話し声。

自分はどうしてここに居るのだろうかと考えて、あたりを見回すと繁華街。そこに独りでぽつんと立っているのだと言うことが分かった。


「はぁ~」



 重いため息が肺の空気を吐き出した。すると認めたくない現状が理解できたのだった。

高校からの帰り道、いつもなら一人では帰らないのに今日に限ってはひとりぼっち。

 友だちにはみんな彼氏がいて、自分にはいない。すごく悲しかった。

繁華街に来た理由は希望を求めて。誰かがこんな自分に声をかけてくれないかななんて、そんな淡い想いがあったから。

でもそう上手くいかなくて、ただ時間が過ぎていくだけだった。


「チョコか……」



 鞄の中には誰にも渡すことのなかった甘くてほんのり苦い手作りチョコレート。昨日せっせと作ったは良いが、渡す目的はなかった。

じゃあ何で作ったのだろうか。ただ作ってみたかったから。

彼氏には憧れている。これは間違いなく。でも、好きな人は出来たことがなかった。

 いや、それは語弊があるのかもしれない。両親のことは勿論好きだし、女友だちも好き、男子にだって仲の良い連中も確かにいる。

自分の中には誰かを欲したいと言う望みがなくて、ただ楽しければ良いって思う。


 それでも、一人は寂しい。

だから今は欲しくもない彼氏が側にいて、自分を支えてくれたら嬉しいと思った。


「バカバカしい」



 いつの間にかガラス張りの洋服店の目の前に歩みが進んでいて、自分の情けない顔を見て罵った。


「欲張り……だいたい、そんなことで手に入れた人が良い人間の訳ないじゃない」


 眉間に皺が寄った自分の顔、なんて情けない。いつものつり目はさらに厳しく、黒の長髪はなんだか重く感じた。切ってしまおうか、良い気分転換になるだろう。そんなよく分からない考えまで生まれた。

 誰かと一緒に居たいのに誰も側にいない。傍に居て欲しい彼氏はいないのに今だけ居て欲しい。本当にバカバカしい。


「独りは、イヤ……」



 考えがよく分からなくなった。きっと自分がわがままなんだ。

 一人暮らしをしてみたいって言う、今にして思えばただの後悔が、現状を表しているんだろう。

 優しい両親は願いを叶えてくれただけなのに、それなのに今はイヤだ。


「どうして独りはイヤなんだろう」


 そして身体は動き出していた。どこに向かっているのだろうか。自分の家、いや違う。

では何処だ。

 独りではないところ。

 たまに来ていた独りではなくなれる場所────


 いつの間にか、辺りは橙から星の煌めく黒に色を変えていた。

 それだけの時間を独りで居たのだ。


 振り返る過去は別に寂しいとは思わない。過去なんかどうでもいい、今を誰かと過ごしたい。


 今日は二月十四日。巷ではバレンタインデーと言われている日。

そんな日を何事もなく学校を終わらせ、寒くて凍えそうな夜に砂浜に来ていた。



「寒いね」



 誰に問いかけているんだろうか、それは自分自身か。


 波の音が聞こえ、それは問いかけに対しての答えにも思えた。



「そう、確かに」



 自分の声は再び波の方向へと向けられた。


 今、自分は独りじゃないのだと感じることができる。何故かと言えば暖かいから。


 外側は確かに寒い、体感温度はマイナスに届くんじゃないかと思えるほどだ。でも心はほんのりあったか。それは、周りには自分にしか視えない────白い何かが居るから。

その形は様々だ。柔らかそうにブクブクと気泡を発した肉の固まりや、目玉がくり貫けてのっぺりとした白い顔面、渦を巻いて絡み合う紐みたいな元人間の腕、他にも片足を失くした猫のような白くていつも身体が溶けているモノ。



「そうだよね。寒いなんて解るわけないか」



 考えればすぐに答えは出た。

実体がないのだから、自分が感じる五感はすべて失ってしまったのだ。

でも一つだけ共有できる感覚がある。それは第六感と言えるものだ。だからこそ互いを捉えることができるのだろう。



「安心するな、やっぱり」



 その言葉に反応してだろうか、白の固まりたちは上下にぐちゃぐちゃ音をたてそうな勢いで動きたてた。



「あったかい」



 音色はまるで熟れた果実のように甘美な響きを漂わせていた。何かに酔っているようなそんな感じだ。

そうして寒くて暖かい時間が過ぎていく。徐々に周りが狭まっているような感じがする。


 眠いのだろうか、なんだか瞼が酷く重い。意識を手放せば今はきっと楽になれる、そんな気が────身体から力が抜けていって傾いていく。斜めになる視界はなんだかおかしいけれど自然のような。


 そして瞼が落ちていって意識がなくなったのだ。









────ハジマリ────










 目を覚ましたら眠気が吹き飛んでいて、心も身体も全部が暖かくてすごく満ち足りている。それはある種の違和感だと思えてしまった。いつも足りなかった充足感が目を覚ましただけで在るというのは、一種の気持ち悪さに似ていた。だからなのだろうか、自分の存在は間違っていると思えた。


 まるで沢山の天使に抱擁を受け、空に溺れているような感覚だ。


 重力を感じない、むしろ無い。宇宙に出たらこんな風に思うのだろうかと考えた。すると何かの雑音が聞こえてきた。ざらざらとしていて耳障り、それでいて心には響いてくる問い掛け。




 ────一緒にいよう。



 その言葉には肯定する。きっと問いかけたモノも寂しいはずで、気持ちは理解できるから。でもおかしい音色だったと、ふと思考の隅に思えてしまった。




 ────ありがとう。




 返答はしていないのにお礼を言われてしまった。どうしよう。


 しかし、それは嫌なことではない。誰かの感謝の気持ちなのだから、自分に宛てられた言葉なのだから。


 自分は一人じゃないのだと証明できるから嬉しかった。


 誰かの為に何かをすることは自分自身嫌いなことじゃない。だってそうすることで一緒にいれて感謝されるんだから。


 自分がした行いで誰かが嬉しいなら、それは自分に返ってきて嬉しいことになる。


 おかしいって何度も思ったりもしたし、そう言われたこともあるけれど、自分の根底には見える範囲の知り合い、友人が困っていたら助けてあげたいって想いがあった。


 何か面倒なことがあれば進んで引き受けて助けてあげる。頼まれたら断れない。違うかもしれない────断らないんだ。


 それは自分が一人ではない証。孤独ではない証明。変な考えだけどそうすることで満足できるから。




 ────ねぇ、僕と一緒に遊ぼうよ。




 揺蕩う雑音は徐々に鮮明に色を持って耳に届いた。男の子みたいな声に聞こえてきた。聞いたことが無いはずなのに“識っている”気がするのは何故だろうか。


 そして今更ながら気づく違和感があった。意識が存在していて聴覚もある。でも身体はふわふわしている。目を覚ましたはずの現実は目蓋を開いていないのではないか。でも、目は開いている気がする。では何故暗いのだろう。




 ────おねぇちゃん。ここは何でもあるよ。何も無いけどあるよ。だから暗いんだよ。




 回答をもたらす音色。しかしそれは矛盾ばかりで要領をえない。


 この男の子と思われる方に首を向けて視界に納めようと思うが、音の位置を判別できない。聞こえているのは確かなのに全ての方向から発されているような気がする。


 気づけば身体に感覚は無く、自分の存在が曖昧だった。




 ────遊ぼぅよ。



 現状は明らかに不鮮明なのに、不安という考えだけは浮かばなかった。

 この男の子の声は妙に落ち着く。だから答えてみたくなった──「うん。いいよ」

って。


 そうすれば男の子も喜んでくれるだろうから。


 聞こえたのだろうか、自分が発したと思われる声はどんな影響を与えられただろうか。




 ────じゃあ幽霊ごっこ!




 しばらくの間が在ったように思えたが、どうやら良い方に向かっていたらしい。きっと何をしようか考えを巡らせていたんだろう。


 そして提案通り幽霊ごっこなるものをしてみることになった。


 内容は殆ど鬼ごっこ。自分が相手に触れるまで“永遠”に続け、仮に触れたら“永久”に追い回し、そして“無限”に繰り返すと言うものだった。


 それを聞いたら酷く歪で面白いって思えた。


 だってそれは──終わらない二人だけの物語だから。


 独りじゃない、永遠を二人でいれる。素晴らしい考え。寂しさはなによりイヤだから。


 ここに救いは在ったんだと思えた。


 

       §


 そして幽霊ごっこのハジマリだ。


 先ほどまで感覚の無かった身体がどうやら動くみたいだ。いや、もしかしたらさっきも気づかないだけで動いていたのかもしれないのだけれど。


 きっと身体に慣れていなかったから動けなかったんだろう。慣れてしまえばこんなに自由だもの。


 すべてが解放されて何でもできる。永遠の幽霊ごっこは歪んだ嬉しさでこの上なく楽しいものだ。


 走る速度は音を越え、無限の時間を観測し、他人のすべてを見ることができた。壁にぶつかると思ったけれど、どうやら自分の身体はすり抜けることができるようになったらしく、関係のない人々の嫌らしいところから素晴らしいところまでを見ることができた。


 でも、いくらがんばってもその人たちが話している内容は聞き取れなかった。


 そんなときに限って男の子の声が聞こえるのだ。




 ────こっちだよ~!




 頭痛を生む程大きな音で、それを聞くと他のことはどうでもよくなった。


 そして繰り返した。もう何年になるのだろう、それともまだ何秒なのか。時間の感覚は曖昧だ。終わりなんか無くてそれがこの上なく楽しいのに────どうして自分の実家なんか見つけてしまったのだろうか。


 正方形をしたサイコロみたいな形で、真っ白な壁の色、それが目印。あたりにそれ以外の不思議な家はない。


 まるで何かに引っ張られているみたいに身体が家に入っていく。そして男の子の声が何度も、何度も聞こえた。



 ────行っちゃだめ。


 ────そっちは危ないよ。


 ────僕と遊ぼうよ!


 ────独りにしないでよ!


 ────行っちゃうの……。



 でも身体と心は興味の為に動き出して止まらない。


 二階の自分の部屋に入ってみた。電気は点いていないし人がいる暖かみが欠落していた。


 そして移動しようと思って、過去の自分がしてきた通りに部屋のドアを開けようと左にスライドさせようとしたが──手がドアに引っかからない。


 その有り得ない現実が、心に重い錨を打ち込まれたみたいに痛みを覚えた。


 だが他の場所を通り抜けられるのに、この家だけ触れられるのはおかしいのだ。


 こんな今の自分がイヤなモノだと思ってしまった。


 最初は確かに楽しかったのを覚えている。どのくらい前の時間なのか知らないけれど、その想いがあったのは間違いない。だからドアを開けるのは諦めて、そのまま廊下に出ることにした。


 もう慣れた物体の通り抜け、異物が体内に入り込む歪んだ気持ち悪さ。


 両親が居るであろう居間を目指して移動すると、そこにはうなだれ、涙を流す二人の姿があった。


 言葉を交わしているが聞き取ることが出来ない。いつもなら別に気にならないのに、どうしてかこの二人の会話を聞きたい。


 姿から想像すれば、何か悲しいことが起こっているはずだと思うが判別は出来ない。


 声を掛けたいと思って発した声はなんだか変だった。自分の声の筈なのにノイズ混じりで音として成立していない。他者から聞けば空耳に聞こえ、且つ何も気に留めないであろう、そんなモノだ。


 だから両親には聞こえていなかった。





────ヒトリ────










 寂しさが胸を抉った。暖かい筈の今は誰も側にいてくれない。


 男の子に声を掛けても返ってこなくなった。


 考える時間はたくさんあったから色々な答えを出したけれど、ちゃんと腑に落ちなかった。


 両親はどうして泣いていたのだろうか、いつも笑顔で優しくて頼りがいのあった二人なのに。


 自分がいけなかったんだろうか、一人暮らしをしたいなどとわがままを言ったことが。


 矛盾だろう。独りはイヤなくせに一人暮らしをするなんて。理由はちゃんとあった。


 もしもの話だけれど、彼氏に憧れを抱いていた。そんなとき一人暮らしならいつでも自分の部屋に呼ぶことが出来るし、なんなら泊まって一緒に朝の登校も出来るからと、そう思ったから。


 学校に居るときも、登下校の時も、家にいるときもいつも一緒。そんな夢物語を夢想していたのだ。だが現実はそれを真っ向から否定してくれた。


 自分一人には広い部屋。そこに帰るのは寂しくて辛い。


 たまに友だちを連れて来て遊ぶけれど、帰るときが何よりイヤで羨ましかった。


 家には家族がいてくれるんだから。


 そう考えたら、自分の犯した選択肢は間違っていたのだと思う。でも過去を変えることなんて出来はしないんだからいくら考えても無駄だった。


 そして暗い世界に深々と冷たい筈の雪が降ってきた。もう自分ではその感覚すら思い出すことが困難だった。


 それを眺めながら実家から両親の乗った車が移動しているのが見て取れた。


 ずっと空中に漂っていた自分。少しでも誰かといたくて、それなのに今は誰もいてくれない。だからせめて両親の側に居たかった。気になったので後をついていくことに決めた。


 暗い夜道を車はひた走り、行き着いた先は病院だった。


 母が体調を崩してしまったんだろうか、心配だ。


 だけどおかしいな、父も母もどうやら元気に病院へ駆けていった。つまりは誰かの為に奔走しているんだと思うと──少し、心が、嫉妬した──


 羨ましいと思ってしまったのだ。両親を心配させて、それでいて独占してるみたいで。


 そんな思いを抱きながら自分も病院へ入っていった。


 白を基調としているのはどの病院でも同じだ。


 両親は受付で話を聞くと、焦りながら走ってはならない廊下を誰にかまうことなく駆け抜けた。端から見たら何事かと思う。まるで誰かが急病なのかあるいは────死を迎える直前か、そう見えた。


 たどり着いた場所には白衣の医師や看護師。ここまでは良いだろう、何故二人の子どもが眠っているようなのに両親はそんなに泣きそうなんだ。むしろ母は泣いているではないか。


 なんだこれは知らない。識ってはならない。



 

 ────おねぇちゃん。どうして来ちゃったの?




 それは何度も聞いた声だ。


 男の子。そうその人物の“筈”?

 何だその不確定は。どうして曖昧なのだ。確かに自分の中に認識はしていた。それは間違いない。間違いであるはずがない。だって声を──そう声しか聞いていない。いつも人間ではないモノを認識していたのに。


 今気づけばそれは逆の事実。声を聞いた記憶はないのだ。姿を認識し、自分の寂しさを紛らわせていただけだ。




 ────ねぇ、どうして。




 問いかけは止まない。


 何故来たのか。それは両親がこの病院に来たからであって、自分の意志はない。それはおかしい、興味があったから来たのだろう。でなければあの場で留まっていれば良いのだから。



 

 ────興味、僕に?




 その質問の意味がよく判らない。何故男の子に興味を持たなければならない。


 思考が様々に矛盾している。最初は確かに興味を持っていたし、一緒にいてくれて嬉しい存在だった。


 今は──


「君はいったい何なの」



 久しぶりに自分の声が出た気がする。にしても不機嫌そうな音色だ。




 ────そ、そんなことより、また、ゆ、幽霊ごっこしようよ!




 焦っているようだった。どうしてだろう。


 そんな考えをしていると母が二人の子どものうち“男の子”の方に抱きついて号泣しているようだ。


 ここに居るのは男の子、そこにいるのも男の子。矛盾のイコールが繋がりそうだ。



「ねぇあなたは、私を知っている?」



 問いかけもなんだかおかしいと思うが、そのおかしさこそが正しいのだと思う。




 ────知ってる、けど。そんなことより……。




「じゃあ、この男の子はあなたなの?」



 聞いてはならない問いかけだ。それを聞くと男の子は消えてしまうような気がする。


 回答は目の前の光景が変化するまで訪れなかった。


 去っていく眠った男の子の身体。


 泣きつく母。


 堪える父。


 そして語り出す男の子。




 ────僕は一緒にいたかっただけなのに。おねぇちゃんはどうして生きてるの?




 生きている。それは当たり前のことではないのだろうか。


 何か変だ。


 今自分の存在はどこにある。ここか、そこか、それとも未来か。


 少なくとも現在にあるこの身体は偽物だ。




 ────ううん。本物だよ。だから僕と一緒にいようよ。そうすればおねぇちゃんの苦しみなんか、もうなくなるから。




 それはとても魅力的な提案だけれど、肯定するわけにはいかない。だって悲しませてしまうって解ったから。自分がいることに意味はあるから。


 だから──


「私は、あなたの世界には居たくない」



 拒絶の言葉を放った。男の子は絶句した。




 ────おねえちゃん。僕のこと嫌いなの?




「嫌いとか、好きとかそういう次元だったらよかった。あなたはもういないんでしょ」




 ────僕はここにいるよ!




「いいえ。いない。あなたの身体はもう“無い”んでしょ」



 そう知ってしまったのだ。ここで起こった出来事を。その結果を。


 両親は紛れもなく自分の両親だが、目を凝らせば二人とも若い。


 そして、男の子の隣にいる女の子は“自分”だ。




 ────おねえちゃん。僕は一緒にいたいよ。独りは寂しいよ。




 その言葉の意味も気持ちもよく理解できた。それはきっと姉弟だから、同じ血を分けて生まれた家族だから。


 自分はきっと亡くしたから寂しがり屋なんだ。


 男の子の記憶は持ち合わせていない。でもそれは違うことのない事実なんだろう。


 こうしている今の自分は全ての必然が折り重なって出来た結果なんだ。



「じゃあ一緒に帰ろう」




 ────え?




「私がいつも一緒に居てあげる」




 ────だったらここで!




「それは出来ないよ。だってお父さんもお母さんも“また”悲しんでしまうもの」



 それは確信だった。二度も子どもを亡くしてしまえば更に悲しみは上乗せされ慟哭し涙が溢れ、世界から逸脱し同じ死の世界に旅立ってしまうかも知れない。そんなことはさせたくない。



「だから、私に取り憑いて。私なら一緒にいられるから。そうすれば寂しくないでしょ」



 その言葉を発した瞬間。世界が真っ暗に暗転した。





────フタリ────





 色々な風景が流れている。ぐるぐる回るようになっていて酔いそうだ。さっきまでなくなっていた三半規管や、様々な機能が正常に戻っていくみたいだ。それはとても脳に痛みを伴っていくものだった。

 小さい頃に失くしてしまった記憶。男の子と過ごしていた楽しい思い出。そして悲しい想い出。

 笑顔はいつも隣にあって、ずっと一緒にいるはずだったもの。それなのに無くなった。どうしてだろう。

 あぁそうだった、心臓が弱かったんだ。だからいつも支えてあげていたのだ。そんな弱い子が愛おしくて好きでどうしようもなかった。でもいなくなったから心と記憶に蓋をして最初からいなかったことにしたんだった。

 それがいけなかったのかもしれない、心に開いた穴は蓋をしたところで塞げない。空洞は空洞のまま何かを埋めなければ自分を保っていることが出来なかった。だから、きっとその穴を埋めるように誰かを欲したのかもしれない。

 徐々に頭の痛みが和らいできて今度は波の音が聞こえてきた。それに併せて身体に寒気が襲ってきた。今度は寒さで身体が痛い。こんなの体験したことがなくて放っておいたらこのまま死んでしまうと思う。だから動かなくてはならない。

 横たわっていた身体をゆっくりと起こし、周囲を確認すると良く見知った浜辺だった。

 スカートのポケットに仕舞ってあった携帯電話を取り出して今の時間を確認すると、二月十四日、二十一時だった。

 あの記憶は夢だったのだろうか、でもそんな一言で片付けられるものではなかった。確かに覚えているあの男の子の声も、両親が泣いていた病院も。

 そして、なんだか不思議な気持ちがここに残っている。今まで満たされていなかった空洞に暖かくて懐かしいモノが存在している気がする。

 手に持った携帯で確かめなくてはいけないことがあった。向かい合って、新しいこの身体と共に歩まなくてはならないから。

 携帯を操作し実家の電話番号を押した。暫く受話音が鳴った後母親が出た。


「もしもし私、ねぇ……弟のお墓の場所教えて」


 その一言を発したら、向こうから息を呑む音が聞こえ、鼻を啜る音まで聞こえた。

 切ない色をした声音で母は語りだす。双子の弟のことを。心臓の弱かったあの子が自分を護って犠牲になったことを。

 そう、今なら思い出すことが出来る。危ないことだと解っていながら行ってしまった愚かな出来事。

 あの子がどうしてもと言うから付き合ったサッカー。心臓が弱いからダメだと言ったのに、どうしてもお願いと言われ断りきれなかった。仕方なく外の公園に行き、ボールを蹴っていた。それだけだったがあの子の笑顔はとても嬉しそうで、そんな些細なことで自分自身も満足してしまった。

 そして出来事は起こってしまった。あの子が蹴ったボールが車道へころころと転がり、取りに行った。すると何が起こったのか、ボールを抱えたまま自分が転んでいた。痛みはたいしたことは無かったが、目の前の出来事はなんだか違和感を覚えてしまった。弟の身体がころころとさっきのボールみたいに車道に転がっていて。その瞬間映像が途切れた。

 そう弟が身を犠牲にして守ってくれたのだった。

 どうしてそんな事実を忘れていたのだろうか、医者に言わせれば脳の障害。自分で解釈すれば、あまりの出来事に忘れてしまうことは都合が良かったから。

 でも、その頃から不思議な白い気色悪いものを見るようになっていったのだった。

 母からお墓の場所を聞き、歩みを進めた。

 なんで二月十四日なのにお墓に向かっているんだろう、そんなよく判らない現状に苦笑いしながら辿り着くと、そこには様々な人で在った者たちが沢山いた。満足している表情をしている人もいるし、今にも襲い掛かってきそうな人もいる。でもお墓に縛られているのか出てくることは無かった。

 暗いお墓は正直怖い。死した者たちと向き合うことが多いとはいえ恐怖は拭えない。そんなことを考えながら目的の場所へ辿り着いた。

 自分の苗字と同じ、そして思い出した名前。


「久しぶり」


 素直に言葉が漏れた。ただお墓があるだけの空間に。返答などあるはずが無いのに、それは間違いではないのだと思えた。


「ごめん、忘れてて。もう思い出した。────助けてくれて、ありがとう」


 すると、言葉に反応して何か今まで見たことの無いほど曖昧な白い霧みたいなものがお墓の上から立ち昇った。


 ────おねぇちゃん……。


 悲しみを含んだ声だった。やはりこの子だけは声を聞くことが出来た。だが姿は曖昧。もう消えてしまいそうなほどに。


「おいで、私と一つになればもう寂しくないでしょ」


 こんなに優しい声が自分に出来たのは驚きだった。取り憑くってことは、ひょっとしたら自分の存在がなくなってしまうことなのかもしれない。弟の人格が入り込んできて新しい誰かになってしまうのかもしれない。それでも、この身体はなくならない。だから──


「さぁ、おいで」


 ────ううん、ダメだよ。


「え……なんで」


 理解することが出来なかった。

 互いの望みが叶うのに、それを否定しても何の益も無いはずなのに。

 一緒にいることが出来て寂しさも消える。誰も悲しむ人はいないのに。


 ────僕がわがままだったんだ。おねぇちゃんと一緒にいたかったけど、おとうさんもおかあさんも泣いちゃうもんね。それに、僕はもうおねぇちゃんの心の中にいてくれるよね。だから、大丈夫だよ。


 確かに心の空洞は埋まった気がする。それは失った記憶が蘇ったからなのかもしれない。それでも、この子と一緒にまたこの世界で生活したい。失いたくない。思い出したんだから一緒にいれることの方が何倍も良い。


「私のことは気にしなくていいの。だから、一緒にいよう」


 ────ありがとう。おねぇちゃんはこんな姿になっても僕に優しいんだね。でもやっぱりおとうさんたちにも悪いから。僕の心は満足できたから、おねぇちゃんに思い出してもらえたから。それだけでもう十分だよ。


 それは別れを意味していた単語だった。遠くに行ってもう会うことは叶わず、話すことも出来なくなるだろう。

 両親のことを言われてしまえば、もうどうすることも出来なかった。悲しませたくない気持ちは姉弟そろって同じなのだから。

 そして自分の根底を思い出した。他人ではない人間が困っていたら助けてあげたい。その結果喜んでくれるのなら、返ってきて自分が嬉しいってことになるから。

 もう納得するしかなかった。だってもう自分の助けは必要としていないし、すこし困っている様でもある。なら今叶えることは一つ。


「そっか。………私はもう忘れないよ。だから、バイバイだね」


 別れを告げることだけだった。


 ────うん。それでいいんだよね。きっとこれがお互いのため。…………最後のわがままを言ってもいいかな?


「うん、なに?」


 ────生まれ変わったら、今度はずっと一緒にいたいな…………。


 その一言を残し、お墓から立ち昇っていた白い曖昧な霧は、空に融けていくみたいに消えていった。

 静かな沈黙がこの空間を支配した。

 自分のしたことに間違いはなかったのか、これで本当に弟が満足できたのか、自分は嬉しいのか。正直今はそんな気持ちは沸かなかった。

 ただ、悲しみが心を満たしていた。自分の大切だった弟を心で封印して、やっと出会えて取り戻せるかと思ったらまた消えてしまった。

 涙が頬を伝い落ちた。

 暫くは泣いてもいいだろうか。その考えに回答をもたらすものは誰もいない。でも、答えなんか聞いても聞かなくても関係ない。勝手に溢れるものを自分で止めることなんて出来ないんだから。


       §


 ひとしきり泣いた後、携帯を手にとって時間を確認するともう二十三時だった。もう外に居て良い時間ではない。帰らなくてはならない。

 正直動きたくはない、それでも生活がある。誰かに迷惑を掛けるわけにはいかない。暫く逡巡した後、帰る決意をした。

 そしてお墓に何かお供えできるものはないかと鞄を漁ると、昨日作った手作りチョコレートが顔を出した。


「そっか……」


 これはきっとこのために作ったものだったんだ。記憶を辿れば弟の好物はチョコレートだったのだ。これは何かの因果なのだろう。

 だからこのチョコレートをお供えして、手を合わせた。

 


 二月十四日、最愛の弟に捧げるチョコレート。

 自分が昔初めて愛した人間。それが弟だった。 

 もう会うことは出来ないけれど、これからはずっと心の中に仕舞っておける、世界で一番大切なもの。

 また、生まれ変わったら一緒にいよう、そう心に願った。 

 




────終────

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