ダンジョンマスター
ミリアは、巨龍の骸骨に猛攻を仕掛け続ける。
『延長槍炎!』
火炎で出来た魔法の槍は、直前で出現した六角形の防御フィールドに阻まれる。
ならば、と複雑に跳ねるような動きをする『跳躍破裂炎兎弾』を放つも、はやり闇龍本体目前で自動的に防御フィールドが発生してその場で破裂。
「五炎飛蛇召喚!」
同時に五体もの上位火炎精霊を放ち、操るも、闇龍側も同時に五つの防御フィールドを発生させ、それに触れた途端に精霊達は消滅した。
さらにダークドラゴンは不完全ながら、肉体の蘇生まで開始していた。
その醜悪な姿は、まるで龍のゾンビだ。
ミリアの猛攻について行けないシアンは、広間の隅のほうで邪魔にならないようじっとしているしかなかった。
「くっ……なにこの化け物っ、完全に私の魔法を弾くじゃない……シアン、やっぱりエラエルの言うとおり、貴方と来て正解だった。今回の報酬、お金は全部貴方に渡すから、鎧を召喚して手伝ってっ!」
闇龍が次第に肉体を取り戻し、妖力を膨大に溜め込み始めた事に危機感を抱いたミリアが、シアンに交渉を持ちかける。
「いや、言っただろう? 俺は今、誰とも契約していないから、せいぜい星三つぐらいのレベルの冒険者でしかない」
「……まさかとは思うけど……ストックもないの?」
「……なんだ? ストックって」
シアンのその一言に、ミリアは一瞬、天を仰いだ。
と、今まで静かに肉体の蘇生を行っていた闇龍が、ゆっくりと動き出した。その魔力、妖力ともがさらに急激に上昇していくのが実感できる。
「まずい……何か仕掛けてくるわっ!」
シアンは大広間の隅っこに避難したままだ。
と、ここで闇龍は大きく息を吸い込む挙動をおこなった。
再生が不完全なため、肋骨内に存在する肺臓の膨らむ様子が、生々しく見て取れた。
「吐息が来る……しかもたっぷりと邪悪な妖力をため込んだものがっ!」
ミリアが叫ぶ。
といっても、シアンには逃げ場がない。
闇龍は黒い蒸気を勢いよく吐きながら、長い首をなぎ払うように動かした。
「……危ないっ!」
純白の鎧に身を包んでいるミリアは、大急ぎで広間の隅に移動し、シアンの前方に立って剣を構えた。
「格子聖盾!」
目の前に、格子状の魔法の障壁が出現する。
しかし闇の吐息は、一部その編み目をくぐり抜けて二人に到達する。
「うぐっ……熱っ……」
シアンが思わず呻く。
「くっ……聖鎧を纏っている私でもダメージ受けた……シアン、生きてる?」
「……ああ、何とか。君の魔法と鎧が盾になってくれたからな。だが、このままじゃあ……」
闇龍は確実に攻撃を与えるため、ゆっくりと近づいて来る。
と、彼女はまた複雑な印を結び始める。
「……ミリア、無駄だっ! あの化け物には、いかなる魔法も通用しないっ!」
「分かってるわよ。私が狙っているのは向こうよっ!」
と、先程閉じこれられた大岩の扉に目をやった。
「行くわよ……焦熱爆撃!」
最上級爆撃魔法が大岩を破壊する……かに思われたが、その直前で、大岩全体を庇うほどの大きな防御フィールドが発生。
そのすぐ手前で大爆発が起きたものの、大岩自体には全く変わった様子がなかった。
「嘘でしょ……」
さすがにミリアの表情からも、余裕が消えてしまっている。
大広間の中央付近に進み出た闇龍は、もう一度大きく行きを吸い込む動作を始めた。
「……本格的にまずいわね……シアンも何か手を考えてっ!」
「あそこに人が一人、くぐり抜けられる隙間があるな……ほら、あの床と壁面の境に、四角形の穴」
「……本当……でも、あんなのがあるなんて不自然じゃない。あからさまに罠だわ」
「たぶん、そうだろうな……だが、今はそれに懸けるしかない……少なくとも、君の足を引っ張ることはなくなるからなっ!」
「なっ……ちょ、ちょっと待って……」
シアンは、その隙間目指して勢いよく走り出し、そして闇龍のブレスが吐き出される寸前、なんとか滑る込むことに成功した。
――そこは不思議な空間だった。
高さ三メートル、幅、奥行き十メートルほどの小部屋だ。
空気は澄んでおり、ブレスの妖気が入り込んで来ることもなかった。
『……奇妙な部屋だな……多少だが、永続的な魔力が存在する。かなり高度な技術だ』
悪魔の声が頭の中に直接聞こえた。
さっきまで居た大広間の方からは、闇龍の強力なブレスとミリアの高度な破壊呪文がぶつかり合う音が響いてくるが、石壁一枚を隔てただけでずいぶん遠くのように感じられる。
シアンは、基本魔法である『魔力探知』を使ってみた。
「……魔力を帯びた燭台……何に使うんだろう……うん? この羊皮紙は……」
彼はそれを読み、驚愕の事実に目を見開いた。
と、そのとき……。
「キャァー!」
悲鳴と共に、純白の鎧に身を包んだ勇者が、シアンと同様にこの部屋に滑り込んできた。
ミリアはすぐに起き上がると、周囲を一瞥した後、シアンの方を見てほっと息をつく。
「……シアン、やっぱり無事だったのね」
彼女は安堵の表情を浮かべた。
「ああ……どうしてそう思ったんだ?」
「エラエルが教えてくれたの……あれ? ……闇龍の妖力が弱まっていく……」
「……本当だ。どういうことだ?」
『おそらく、隣の部屋から攻撃対象が消えたから、使命を失った門番が休息に入ったのだろう』
と、悪魔ディアムがシアンに告げる。
ミリアも、同じ事を天使エラエルから教えられているようだった。
「……小休止ってところか。けど、まだ入り口は閉じたままのようだな……」
「……ふう、まずは助かったみたいね……エラエルによれば、なぜかここなら攻撃も及ばないみたい」
彼女は鎧の装備を解き、元の軽装に戻った。
「でも……この部屋は一体、なんのためにあるのかしら」
ここでシアンは、先程見つけた羊皮紙を彼女に見せた。
それには、以下のような事が書かれていた。
この文書の書き手は、いわゆる『ダンジョン作製』の第一人者である『ムアト・シアス』という名の魔法使いであること。
黒龍を用いたダンジョントラップを試験的に作製して、いくつかの魔道具を組み合わせたところ、それらが暴走して黒龍を殺害、さらに厄介なアンデッドドラゴンとして復活させてしまったこと。
大広間に敵が侵入するとそこに閉じ込め、決して生きて返さぬように攻撃を加え続ける使命は忘れていないこと。
長年研究してきてようやく完成した『フルオート対魔・対物理フィールド』も実装してしまっていること。
「念のためこの避難部屋を作って置いてよかった、もうあの闇龍を制御することは不可能だから、自分は魔道具である『ネルトの燭台』を用いて時空間移動魔法で脱出する」ということ。
もしここに迷い込んだ者がいたら、無理とは思うが『失敗作』である闇龍を倒して欲しい、とのメッセージも添えられていた。
そしてその直下に、別人と思われる者の血文字で
「ふざけるなっ!」
と追記されていた。
「『ムアト・シアス』……生涯八百以上ものダンジョンを作成したと言われる、中世の大魔法使い……」
ミリアが呆れたように話す。
「ああ……しかもその半分以上がまだ攻略されていないって噂だろう? あまりにトラップや巣くう妖魔が強力過ぎて、三百年以上経過した今でも全容が明らかになっていないって」
「その彼が暴走させたって……本当、誰かが書いたとおり『ふざけるなっ!』って感じね……」
ミリアの言葉にも、怒りがこもっていた。
「彼によれば、時空間移動で脱出できるっていうことだけど……」
「ええ……だけど、この燭台では無理ね。永続魔法はほんの少ししか残っていないし、たぶん一回使い切りなんじゃないかしら。対になる魔道具も必要なはずだし」
「いや、でもそんなの使わなくても、高位魔法に『転移』できるものがあっただろう?」
「うん、そうだけど屋外でしか使えないわ。どうしよう……」
彼女の言葉は落胆で弱々しい。
しばらく言葉がなかった。
「……なあ、ミリア。さっき言ってた、『ストック』ってどういうことだ?」
「ああ、あれ? その言葉の通り、ストックよ。例えば、契約期間を一年にしておけば、一年の一日前まではその契約で魔力、発動できるでしょ。私の場合、その日に契約対象を倒せば、さらに一年間、相手のファーストキスをもらうまで余った魔力を使い続けられる。契約自体は重複で受けられるから……」
「……なるほど、そういうことか。それは考えた事無かったな。俺の場合、『悪魔の呪印』を早く解除してあげたかったから」
「あっ……そうなんだ。そういうことか……でも、困ったわね……このままじゃあ、本当に出られない……」
またしばらく沈黙が続く。
「……一つだけ、状況を打開する方法がある」
「えっ、なに? そんなのあるんだったら早く言ってよ!」
と、彼女が興味を示す。
「それは……君が俺と、『悪魔の契約』を結ぶことだ」
「……えっと、それって……どういう意味?」
「『君の処女を俺に捧げる替わりに、俺はあの闇龍を倒す』……そういう契約だ。それで俺は、悪魔ディアムから膨大な魔力を得て魔界の鎧を召喚できる」
シアンのその提案に、ミリアは数秒固まり……そして真っ赤になった。
「なっ……ちょっと、なによその契約っ! しょ、処女って……そもそも、どうして私がそうだって分かるのよっ!」
「悪魔ディアムが教えてくれた」
「……」
「……」
「……ダメ、絶対っ! 他に何か方法があるはずよっ!」
ミリアは右手の聖痕と、なにやら必死で言い争いをしていたが、次第に青ざめ始めた。
『クククッ……あの天使、覚悟を決めるように突き放しやがった……助かるにはそれしか方法がないってな』
ディアムの嬉しそうな笑いが、シアンの頭の中に響いた。