祝福の勇者
その日、帝都から馬車で二日ほどの距離にあるイフカの街に、シアンは呼ばれていた。
今度の街は、近郊の山中に緑龍が住み着いたということだった。
料金としては格安なのに、今まで確実に依頼された魔獣・妖魔を全て撃退しているという実績が買われて、シアンに依頼が回ってきたのだ。
もちろん、例の『生娘』云々の契約条件は把握しているだろう。
『闇堕の勇者』に依頼することが、街の不名誉とみなされることも考えた筈だ。
それでも彼に頼むということが、この依頼の困難さを示していた。
手紙にはこう書かれていた。
「幾人もの冒険者が緑龍の巣に挑み、そして帰って来なかった」と……。
緑龍は、ドラゴン族の中ではさほど強い魔物とは考えられていない。
それでも、龍は龍、四つ星の冒険者が複数人いなければ退治は困難だ。
当然、街の役員達もそれを知っていて、そのレベルの冒険者を何人も募り、送り出したはずなのだ。
それでも困難、となれば、残るは五つ星、『勇者』と称される伝説級の冒険者を投入するしかない。しかし、そのためには莫大な金銭が必要となる。
そのレベルの冒険者が、極端に不足しているのだ。
そのために奪い合い、値段のつり上げ合いになる。
特別な事情を持つ『勇者』を除いては……。
シアンが街に辿り着くと、その壁の中は閑散としていた。
人気が無いわけではなく……街の中心部が、なにやら大賑わいとなっている。
仕方無く、その場所に行ってみると……驚きの光景が広がっていた。
まだ若い……十代後半ぐらい、白い革鎧を纏った金髪の少女が、中央広場に用意されたステージの上に立って、剣術の舞を披露していたのだ。
女性としてはなかなか見事な剣舞だが……せいぜい二つ星レベルだ。
それでも大勢詰めかけた観衆は、拍手を送っていた。
と、今度はその娘、なにやら呪文の詠唱を始め、そして十メートルほど離れて用意された人形に向かって指をかざした。
途端にその指先から炎が生まれ、人形を燃やした。
「炎属性の魔法か……初級だな」
シアンはぼそりとつぶやく。
歓声はもっと大きくなる。
と、娘が追加で呪文を詠唱すると……その人形は小さな爆発を起こし、吹き飛んだ。
「おおーっ!」
という歓声、拍手。
「……中級の攻撃魔法か……なかなかやるな、三つ星ってところか……」
あの若さ、しかも女性でそれだけの能力ということは、注目に値する。
『……ククク……あの娘……』
シアンの右腕に潜む悪魔が、気になるつぶやきをした。
その娘は、歓声に応えるべくステージの上で観衆に向かって手を振っていたが、シアンの姿を見つけると、側に居た、役人と思われる四十歳ぐらいの恰幅のいい男になにやら話しかけた。
と、その男は、慌ててシアンの元に駆け寄ってきた。
娘はまた、手を振って観衆に愛想を振りまく仕草に戻っていた。
「……あの、シアン・ロックウェル様でしょうか」
「ああ、そうだが……名前を知っているということは……」
「はい、私はこの街の助役をしております、アグリと申します。実は、大変申し訳ないのですが、行き違いがありまして……貴方様には、依頼の断りの連絡をしたのですが、間に合わなかったようで……」
「依頼を断る、だと……? 納得できる理由があるんだろうな」
「は、はい……実は、あのステージ上におられる『祝福の勇者』様に、今回の緑龍退治のお願いをすることになりましたので……」
「『祝福の勇者』だと……あの娘が?」
シアンは、唖然としてしまった。
確かに最近、五つ星を取得して新しく『勇者』と認定された者がいて、しかも女性の魔術師だとは聞いていたが……。
「……あの方は、ある特別な契約の儀式をすることによってのみ、その力を発揮できると聞いています。その点においては、貴方様と同じなのですが……」
それを聞いて、シアンは俄然興味を持った。
「なるほど……俺のような能力者がいるということか。おもしろい、是非見てみたい。依頼のキャンセルは残念だが……そういうことなら、足を運んだ甲斐があるというものだ」
シアンは、依頼を断られた悔しさからではなく、本心からそう口にした。
以前から興味を持ち、探していたのだ……自分のような、悪魔と契約した特別な力を持つ冒険者がいるのではないか、と。
「……では、今から儀式を始めますねっ!」
と、ステージ上の娘は明るい声でそう話した。
「なっ……こんな観衆の前で呪いの儀式を行うのかっ!?」
シアンは戸惑ったが、本当に彼女が能力者かどうかも怪しいので、ここは静観することにした。
そして一人の、十代中頃と思われる、まだあどけなさの残る少年をステージ上に呼び寄せた。
可愛らしい顔つきで、いわゆる美少年、だ。
美しく、凛々しい小顔の娘と、姉弟と言っても信じられそうな組み合わせだ。
観衆からは、冷やかしの声も飛んでいたが、娘が静かにするようにゼスチャーすると、シンと静まりかえった。
娘が、凛とした声で話し始める。
「……では、依頼内容を確認します。期限は二週間。その間に、私はこの街の近郊に住みついたという緑龍を退治します。そしてその後、報酬として、さらに二週間以内に貴方の生涯における初の接吻……つまりファースト・キスを貰い受けることとします」
「……なんだ、あのふざけた条件はっ!」
シアンはあきれ、憤った。
『ククク……俺と似たようなものだろう?』
「重みが全く違うっ!」
シアンは悪魔に対して小声で文句を言ったつもりだったが、隣の若者に変な目で見られた。
「汝、我と前述の期限・条件にて、天使エラエルの名の元、契約を結ぶことに異論はありませんか」
「……天使、だと?」
シアンがまた、過剰に反応する。
「はい、異論ありません」
少年は歯切れ良く答えた。
「では……これが最後の確認です。汝、この契約の証として、聖痕を受け入れますか」
「はい、受け入れます」
と、娘がかざした右腕と、少年の首元が白い光で繋がり……そして少年のその部位には、純白の紋様が浮かび上がった。
「……これで私との契約は成立しました……私がドラゴンを倒して帰ってくるまで、他の誰ともキスできないから……あとちょっとの間だけ、我慢してね」
娘の軽い冗談に、会場は盛り上がった。
そして役人の合図と共に、集まった民衆は笑顔で散り散りになっていった。
「……ディアム、どういうことだ」
『どうもこうも……お前には俺という悪魔が憑いて、あの娘には天使が憑いた。それだけのことだろう?』
「じゃあ、あの娘には本当に天使が憑いているのか?」
『ああ、さっきお前も儀式、見ただろう? 契約成立の瞬間、娘の魔力が膨大にふくれあがった。あの力は本物だ』
「……なぜ俺には悪魔で、あの娘には天使なんだ?」
『さあ? 前世の行いが悪かったんじゃないのか?』
一度死んでいるだけに、シアンとしては反論の余地がなかった。
と、そこに先程の娘が近づいてきた。
「初めまして、私はミリア・ウイングと言います……えっと、『闇堕の勇者』さんですよね?」
「……その言い方はやめてくれ。俺の名はシアン・ロックウェルだ」
「……シアンさん、ね。ごめんなさい、私、貴方の仕事、横取りしちゃったみたいで……でも、冒険者の仕事ってそういうの、よくあるらしいし……悪く思わないでね」
ミリアは、悪びれずそう口にした。
先程のステージ上の振る舞いといい……この娘、なかなかに強心臓だと、シアンは思った。
「……ああ、気にしていない」
と、ここで側にいた役人のアグリが、
「それで、あの……シアン様、キャンセル料はいかほどお支払いすればいいでしょうか……」
と、恐る恐る聞いてきたが、彼は
「そんなもの、いらないさ。彼女と知り合いになれたんだ、それで良しとする」
「いえ、それでは申し訳なくて……」
と、ここでミリアが二人の間に入った。
「待って……いい解決案があるわ。シアンさん、貴方にも龍退治、手伝ってもらいたいの。報酬は……そうね、依頼料の半分でどうかしら?」
「……半分、だと? ……今の俺は、龍を倒せるほど腕利きじゃないぞ」
「ええ、それでも三つ星程度の実力はあるんでしょ? 十分、戦力になるわ。それに私は、あの子のファーストキスっていうもっと大きな報酬もあるし」
シアンは、この娘の脳天気さに少し呆れた。
それを察知したのか、彼女は少しだけ目を真剣にして、
「それだけ、私は自分の力に自信があるっていうことよ。それに、同じような能力者と知り合いになっておいて損はない。あなた自身は邪悪じゃないっていうことだし」
「俺が、邪悪じゃない? どうしてそう思う?」
「エラエルに聞いたの」
と、彼女は右手の甲に宿る聖痕を見せてきた。
「えっと……それでは、私はどうすれば……」
二人の会話について行けない役人のアグリは戸惑っていたが、後は二人で話し合う、キャンセル料は必要無いという言葉を聞いて、安心して帰って行った。
「……それで、シアンさん……」
「シアン、でいいよ」
「……ありがと。じゃあ、シアン……引き受けてくれるかしら。エラエルの話じゃあ、潜在的な能力は私以上だっていうことだし……」
「そうなのか? 俺は君の力を知らないから、よく分からないが……」
「うふふ。一緒に来てくれたら、たっぷり見せてあげるから。それに、私……実はちょっと寂しかったのかもしれない。たぶん貴方は、私と同じ世界から来た人だから……」
その言葉に、シアンは確信した。
この娘も、自分と同様に、異世界に連れて来られた人間だ、と。
そう考えると、彼女の事が急に身近に思えてきた。
金髪、碧眼、小顔で二重瞼の整った顔立ちで、凛々しい中にも親しみを感じさせる雰囲気を持つ。
小柄ではあるが均整がとれた、しっかりと胸の膨らみも感じさせる体つき。
外見だけで判断するならば、今までこの世界で出会った中でも、最も可憐で美しい少女だった。
「……じゃあ、とりあえず緑龍を倒すまでの間だけだけど、よろしくね、シアン」
「あ、ああ……」
彼女が握手を求めてきて、少し戸惑いながらも彼はそれに応じた。
『ククッ……シアン、なかなかおもしろい娘だな。お前がペースを握られるとはな』
悪魔が、彼にだけ聞こえるように小声でシアンに話しかけてきた。
「……そうか? ……まあ、ちょっと変わった娘ではあるが、本当に俺と同郷なのだとしたら、こういう娘がいてもおかしくはないな」
『……なるほどな。それで気に入ったっていうわけか』
「……よせよ、気に入ったとか、そんなんじゃないさ」
『ククッ……そう言いながら、鼓動はいつもと違う感じだぜ……あと、もう一ついいことを教えてやろう』
「……どうせくだらないことだろう?」
『それはお前次第だ……あの娘、まだ男を知らない生娘だ』
シアンは、その言葉を聞いた瞬間、ドクンと鼓動が高鳴るのを感じた。