先生がおそい理ゆう
それは、寒い冬の朝のことでした。
2年4組の教室には登校した生徒たちが集まり、先生が来るのを待っていました。真面目な子どもばかりではなかったので、立ったまま友人とお喋りしたり、黒板にらくがきをしたり、様々な子がいます。その中で、顔に少しそばかすのある“ミヨちゃん”という女の子が隣の席の男の子に話しかけました。
「ねぇ、先生おそいね。なにしてるのかな?」
「そんなこと、タカシがわかるわけねぇだろ」
返事をしたのはタカシくんではなく、ミヨちゃんの前の席に座っていたカンジくんでした。カンジくんは周りの子どもたちよりも身長が高く、ぽっちゃりとした男の子です。ムッとした顔でミヨちゃんはカンジくんを睨みました。
「わかるとか、わからないとかじゃなくて、聞いてみただけだもん!」
怒った様子の少女を見てタカシくんは慌てましたが、カンジくんはニヤニヤ笑っています。
「先生なんて、こねぇほうがいいだろ?じゅぎょうはじまらねぇし」
「カンジくんさいてー!」
ミヨちゃんはふんっと鼻を鳴らして、カンジくんからタカシくんへ顔を向けました。
「で、先生はどうして来るのがおそいのかなぁ?」
タカシくんがそれに答える前に、タカシくんの後ろに座っていたサチコちゃんが「ミヨちゃん」と斜め前の少女に呼びかけました。
「どうしたの、サチコちゃん?」
「先生が来ないのはなぜか、“スイリ”してみませんか?」
そう言ってサチコちゃんは机から一冊の本を取り出して、カンジくんやタカシくんそしてミヨちゃんに見えるように手に持ちました。
「『たんていミルクのだいぼうけん』なぁに? この本?」
「タカシくんからすすめられてよんでみたんですけど、おもしろいんですよ」
表紙の女の子が虫眼鏡をもってニコリと笑っている本でした。サチコちゃんの説明では、主人公のミルクちゃんが友達の無くしてしまった大切な物を探す、探偵物語とのことでした。
「ミルクちゃんはすばらしいスイリでお友だちの大切な物をみつけるんです!」
まるで自分の無くしたものを見つけてもらったかのように、サチコちゃんは嬉しそうです。
「じゃあおれらもスイリすればいいのか?」
やる気になったらしいカンジくんは、腕を組んで考えるポーズをしました。
「先生、かぜひいたのかな?」
「そうハンダンした理ゆうは何ですか?」
「あのね、きのうぐあいわるそうにしてたよ」
「なるほど。それもあるかもしれません」
心配そうにするミヨちゃんに向かって、サチコちゃんはうんうんと頷きます。
「お! 思いついたぜ。きっとハラがいたくてトイレから出て来れねーんだよ」
「ばかじゃないの」
これしかないといった表情でカンジくんは言いますが、ミヨちゃんはあきれ顔です。
「わたしのスイリですが、おそらくじゅうたいで来れないんですよ!」
そう言って立ち上がったのは、言い出しっぺのサチコちゃんでした。
「今日、学校に来るとちゅうの道で、いっぱい車が止まっていました。だから先生も学校にまだとうちゃくしてないんだと思います」
「あ、そういえばおれも見たぜ。車がいっぱい止まってたな」
「たしかに。サチコちゃんがセイカイかもしれないね」
話がまとまりかけた時に、不満そうに斜め後ろへ文句を言い出したのは、カンジくんでした。
「おい、さっきからだまったままじゃねーか。おまえもスイリしろよ、タカシ!」
「……」
さてタカシくんは、何と答えたのでしょう。
▲▲ ▲ ▲ ▲
それは、寒い冬の朝のこと。
2年4組の担任教師はいつもと同じ廊下をいつもとは違う沈鬱な表情で歩む。
あと少しで2年生も終わりだというのに、どうしてこんなことになってしまったのか。自分はこれからどうすればいいのか、どれほど考えても良い案は何一つとして浮かばない。
そしてたどり着きたくはなかった2年4組の教室に入ると、担任教師は低い声で話し始める。
「遅れてしまってごめん。今日はみんなに、辛いことを話さないといけない」
そこで一拍おき、目元が赤いのを悟られないように眼鏡の位置を直す。息を吐くと驚くほど白かった。
「今朝、2年4組の仲間であるタカシ君が――事故で亡くなった」
見渡すと、不思議そうな顔をする生徒たち。亡くなった、ではいまいちわかりにくかったかと、言葉を選びなおそうとしたとき、1人の女子生徒がすっと手を挙げる。
「先生! タカシくんならもう来てますよ」
彼女の隣の席は、もう二度と登校することがない亡くなった生徒の席。その女子生徒の前に座る少年が、まるで彼がいるかのように話しかける。
「ほら、なくなったとか言われちゃてるぞ、タカシ。何とか言えよ」
しかし、担任教師の瞳に映るのは、ただの机と椅子。
ただ、それだけだった。